2017年5月4日木曜日

20170504『仏説阿弥陀経』について(18)


昨日は憲法記念日であった。安倍首相は3年後、日本国憲法を改正し、第9条に第3項を追加し、自衛隊を明記すると宣言した。日本国憲法前文には「日本国民は、・・(中略)・・平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」と書かれている。しかし現実の世界は、東條元首相の遺言にあるとおり、「国家から欲心を除くことは不可能なことである。されば世界より今後も戦争を除くことは不可能」な状況にある。個々の人間は人間性にあふれ、お互い愛し合うことを願うが、その個々の人間の集合体である国家(日本国を含む)は、「人間性の要素をもつ野獣」と変わらない。
                 
日本が「アジア諸国を植民地から開放する」という大義の下、耐えきれないほどの犠牲を払って戦った大東亜戦争(戦後「太平洋戦争」と呼称が変更された)の戦陣に散華した方々が「悪いことをした人たち」のように思われ続けていることは真に悲しいことである。

いわゆる「従軍慰安婦」問題や、「南京大虐殺」問題は、「人間性の要素をもつ野獣」である国々がそれぞれ自己保存の本能に動かされているため未来永劫解消されることはないであろう。国際社会における「五濁悪世」は絶対無くならないであろう。

今を生きる日本人は、「自分たちが何者であり、何処から来て何処に行こうとしているのか」よく自覚する必要がある。前の戦争で戦った人たちが教養として身につけていた萬葉集や古事記・日本書記などに書かれていることを、我々日本人は学び直す必要がある。

以下のことは遺跡・史書・科学的知見に基づく真実である。
 ① 日本の歴史書『日本書記』『続日本紀』の記述にある「高麗(こま)」は「高句麗(こうくり)」のことである。同書に記述されている高麗人の官位は高句麗の官位である。
  岩波文庫『日本書記』(二)の「補注(巻第九)の九」の項に、高麗を日本でコマとよむことになったいきさつ、及び「コマ」の漢字に「狛」が使われたいきさつ、について記述されている。
 ② 中国と北朝鮮の間の国境(鴨緑江)近くの中国吉林省通化市に建っている好太王碑(こうたいおうひ)(「広開土王碑(こうかいどおうひ)」とも言われる)石碑に刻まれている文言の一部。好太王は高句麗の第19代の王である。また「辛卯年」は西暦391年である。
  百殘新羅舊是属民由來朝貢而倭以辛卯年來渡海破百殘■■新羅以為臣民」
  ■■は「加羅(から)」と判読されている。「倭」は日本、「百殘」は「百済」のことである。日本は海を渡って百済・加羅・新羅の人々を臣民にしたのである。
 ③ 高句麗と百済の支配層は扶余(ふよ)(現在の中国東北部にかつて存在していた民族・国家)の出であり、中国の清王朝を支配した満州族と同じ女真族である。中国の歴史書には、高句麗と百済で使われていた言語は似ている、と書かれている。一部の研究者は、高句麗語は朝鮮語とは遠く日本語には近い、と指摘している。
 ④ 高句麗は西暦663年の白村江の戦いで百済が滅びて孤立し、西暦668年に中国唐王朝により滅ぼされ、高句麗の北部の民は現在の北朝鮮北西部に隣接する中国遼寧省朝陽県に強制移住させられた。高句麗に遺った民は高句麗の再興を図ったが全て失敗した。高句麗の遺民の一部は日本に渡って来た。
  日本には地名で「狛江」「高麗」「巨摩」などは渡来帰化した「高麗人(こまびと)」に由来するものである。
 ⑤ 高句麗に関する歴史認識について、高句麗が現在の韓国・北朝鮮の歴史と連続するものであるかどうかについて論争がある。(Wikipedia「高句麗論争」)
 ⑥ 『隋書倭國傳』の一部。
  「新羅・百濟皆以倭爲大國多珍物、並敬仰之、恆通使往來。」(新羅・百濟、皆倭を以て大國にして珍物多しと爲し、並びに之を敬仰し恆(つね)に通使・往來す。)
 ⑦ 『日本書記』雄略天皇八年春二月(はるきさらぎ)の条の一部。
  新羅王・・(中略)・・乃使人於任那王曰、高麗王征伐我國・・(中略)・・伏請救於日本府行軍元帥等」(高麗王・・(中略)・・乃(すなは)ち人(ひと)を任那(みまな)の王(こきし)のもとに使(や)りて曰(い)はく、「高麗の王、我(わ)が國(くに)を征伐(う)つ。・・(中略)・・伏(ふ)して救(すく)いを日本府(やまとのみこともち)の行軍元帥等(いくさのきみたち)に請(こ)ひまつる」

 万葉の時代、「やまと言葉」は漢字の持つ意味の部分を無視して、その音や訓を使って仮名としての漢字が用いられていた。日本書記が編纂された時期には、「やまと言葉」を中国語の漢字の意味に当てはめた漢字が用いられた。上記括弧( )内の文字は「やまと言葉」である。

われわれ日本人は「やまと言葉」を話していた人々の子孫である。彼らは縄文人と渡来系弥生人が混血した人々であった。縄文人はホモサピエンスがアフリカを出立した早い時期にユーラシア大陸でヨーロッパ系の人々と分岐した人々で、北海道から沖縄までの日本列島でしか生き残ることができなかった人々である。渡来系弥生人は長江中流域からポートピープルとなって直接または遼東半島→朝鮮半島南部経由で日本に渡ってきた人々である。

北朝鮮は核・ミサイル兵器をちらつかせて、日本に脅威を与えている。もしかして北朝鮮には扶余系・女真族の人々の血が濃く混じっている人々が多いのかもしれない。歴史は繰り返しているように見える。私は、我々日本人は自分たちのルーツを知り、自分たちの歴史を知ることによって、国際社会の中で生き残ることができる、と思っている。