2013年7月4日木曜日

臨死体験の実話に思う(20130704)


 男は自分が一世紀前か何世紀前か分からぬが過去の世の誰かの生まれ変わりだろうと思っている。自分が死ぬと自分の意識は未来に新たに生まれる誰かに宿るのだろうと思っている。男は意識は魂であると考えている。男はホーキング博士がニュートンの生まれ変わりだという話を聞いたことがあった。

 男は意識は時空を超越していて無限であると考えている。意識は融通無碍であり多様の様態のまま同時に進行するものであると考えている。このような意識は生物の中でヒトにしか存在していない。2500年前インドのシャーキャ族のゴータマ・ブッダは、人間には「過去の世」と「今の世(現世)」と「未来の世」の三世があってそれが連続しているというようなことを説いておられる。ブッダは現世の人の有り様はその人の過去世の行いの善悪次第であり、現世の人の行いの善悪次第によって来世の有り様が定まるというようなことを説いておられる。一方でブッダは現世の人の行いはその人の前世(=過去世)の業に左右されるものではないとも説いておられる。またさらにブッダは人の「過去世」や「来世」が存在するとか存在しないとかいうようなことを議論してはならないとも説いておられる。

 男は自分の身近な人が死の3日前に、その人がいわゆる幻覚・幻視をしたのだろうと思えるようなえも言われぬような非常に美しい光景のことを語ったことを記録した。それは彼の妻が彼から直接聞いて驚き彼に何度も「馬鹿なことは言わないで」と言ったという光景である。彼はその光景のことを彼の妻に話したあと「わしは25日に死ぬ、25日に死ななければ26日か27日には死ぬ」と言った。彼は26日の朝4時「のどが渇いた」と言った。彼の家族は彼に冷えたお茶を与えた。彼は冷えたお茶を沢山飲んだ。そして数時間後息を引き取った。彼は死ぬ4日前に男に「わしは為すべきことは全部為した、もう思い残すことは何もない」と言っていた。その時は彼の起居動作も左程困難そうには見えず元気そうに見えた。

 彼が見た光景というのは赤色系の大きな光のかたまりと白色の光のかたまりであった。彼は「お宮の方に赤い大きな日と白い日が見える。そりゃァとても美しい日だぞ、綺麗だぞ」と彼の妻に言った。彼はそのような光景を見た翌日の24日の午後、「お宮の方に菊の花が一杯広がっていてそれが等間隔に並んでいてわしの所で一本だけになった」と言った。「お宮」というのは彼が深く関わった地区の小さな神社のことである。その神社は彼の家から50メートルほど離れたところにある。彼の妻が「そんな馬鹿なことは言わないで」と言ったら、彼はいつものとおり元気な声で「実際に見たのだから仕方がないではないか」と言ったという。このような臨死体験の話はよく聞く。ある医者は「それは死の恐怖から逃れるため人間の脳に組み込まれ自己防御機能である」と説明する。しかしそれが科学的に証明されているわけでない。

 男は人の意識はその人が死んだ後も存在し、新たにこの世に生を受ける人の中に入ると信じている。その新たにこの世に生を受ける人はその人の身内とは限らない。男はその意識が宿る先はその人の生前の意識次第であると思っている。生前自分の意識を高みに近づけるように努力した人は、その意識をより高みに近づけることが可能な資質を持っている人の肉体に宿る。その逆に生前自分の意識を高みに近づけるような努力をしなかった人は、その意識をより高みに近づけるように一層の努力をしけかればならないような資質・形質を持っている人の肉体に宿る。その「来世」の人が「前世」のとき交通した人と意識の世界で交通するときはその意識のレベルは「前世」の人と交通しているときと同じようなレベルである。一方でその「来世」の人を供養し、回向している「現世」の身近な人や僧侶のお蔭や、その「来世」の人の精進努力次第で、その人はその「来世」において意識を高みに近づけるようになる。つまり「来世」にいるその人の意識は時空を超越し、融通無碍であり、多様の様態のまま「現世」と「来世」の間で同時進行しているのである。男はそのように考え意識というものは輪廻転生するものであると信じている。

 彼は6月26日朝死んだ。その日は正に男の父親の命日であった。男は自分の家・A家と彼の家・Y家のそれぞれの先祖は深い関係にあり、多分Y家はA家が先祖の時代の時のように再び興隆するように支援してくれているのだと思っている。男をこれまで支えてくれて、よい子孫を遺してくれている男の女房はY家から来ている。男は何か深い因縁を感じている。

 仏教は人間の正しい生き方を教えている。仏教に帰依し、死んだ人のため供養し、回向する人は「現世」において幸せであると同時に「来世」においても更に幸せになることが出来るのである。このようにして人間は生まれて一生を終えて死んでゆくことをくり返しながら今日まで営々として良い社会を作って来たのである。先祖を敬い、死者の供養をし、回向することは非常に大事なことである。日本人は靖国神社に祀られている英霊たちを供養し、回向しなければならない。そうすることが日本国の繁栄・平和・安全のため極めて重要である。