2013年7月8日月曜日

真実の愛――『八重の桜』――会津藩士の妻女たちの最期に思う(20130708)


  男は今日の明け方つぎのような夢を見た。断片的でありよく覚えていないが、ある場所に皆が集まる夢である。男と男の妻ほか数人の人たちは誰だか定かではないがある誰かが運転する車に乗ってその場所に行った。其処で男の妻は他の人の妻たちとともに何か接待の役をするため其処に向かった。本来その接待役は主催者側の責任ある立場の人たちの妻たちが受け持つものであった。それなのに何故男の妻たちが接待の主役を務めることになったのかその理由は分からない。主催者側で本来接待役をする立場にあった女性たちは皆浮かぬ顔をしていた。その後場面が変わり、どういうわけか男の妻ほか幾人かの女性たちは処刑されるため何処かに向かっていた。先頭に男の妻がいた。男の妻は自分がこれから処刑されるというのに従容として其処に向かっていた。最後尾の二人の女性たちの表情は悲しみの表情をしていた。
 

 男の妻は純粋無垢の気持ちで男に尽くしてきた。自分が処刑される場所に向かっているのにまるで普通の表情である。男は呆然としてその列を見ている。男は目が覚めて思った。これは男の妻が男に深い愛情を示すとともに彼女がかねがね言っているように「私はいつ死んでも良い。長生きしたいとは思わない。これまで誰にも真剣に尽くしてきたので何も思い残すことはない」という心情をそのまま表しているものである。
 

 ここに男の妻が小学校5年生のときの学級の集合写真から切り取った写真がある。その集合写真に小学校5年生のときの男の妻が前列中央に学童服を着て写っている。その写真を見ると男の妻は小学校5年生の時、将来男の妻になることが定められているかのような表情を漂わせている。彼女は男の家のため尽くし、男の家を本来あるべき正しい有り様に変えてくれた。男の家は名門旧家であると伝えられているが其処には何か深い業のようなものがあった。それを男の妻は断ち切ってくれた。それは他のどのような女性も絶対できないものであった。男の妻はそれを行う役目を担って男の家の嫁となったように見える。
 

 昨夜NHK大河ドラマ『八重の桜』を見た。会津の女性たちは会津に侵攻してくる薩長軍主力の新政府軍と戦い散っていった。その中には、会津藩江戸詰勘定役中野平内の長女・中野竹子らにより組織された20名ほどの女性のみの部隊(娘子軍)の一員であったが捕縛され自刃したとも言われる神保修理(諱は長輝)の妻・雪子や会津藩家老西郷頼母の母や妻子らの自刃がある。また会津藩娘子軍の中心的存在であったが被弾し母・こう子の介錯により果てた竹子がいる。竹子は薙刀の名手でありその薙刀には「もののふの猛きこころにくらぶれば 数にも入らぬわが身ながらも」と辞世を記した短冊が結ばれていたという。ウィキペディアによれば彼女たちは頼母が登城後自分たちが足手まといになってはならぬと頼母邸で自刃したという。それぞれ下記のとおり辞世の歌を遺している。

 母 律子(58歳)  「秋霜飛兮金風冷 白雲去兮月輪高」

  妻 千重子(34歳) 「なよ竹の風にまかする身ながらも たわまぬ節はありとこそきけ」

  妹 眉寿子(26歳) 「死にかへり幾度世には生きるとも ますら武雄となりなんものを」

   由布子(23歳) 「武士の道と聞きしをたよりにて 思いたちぬる黄泉の旅かな」

  長女 細布子(16歳) 下の句、 次女 瀑布子(13歳) 上の句

                   「手をとりてともに行なばまよはじよ いざたどらまし死出の山みち」
 

 女性たちは最も価値あると確信するものに自分の命を捧げた。男の妻もそのようにしてきた。だから何も思い残すことはないのである。これ以上の無私・真実の愛は他にあろうか?男も男の妻のためならば従容として死に就くだろう。もしそういう場面に直面したならば・・。