2013年9月17日火曜日

「意識」と「仏教」(9)――日本は何故大東亜戦争を戦ったか?――

 日本は古来高い文化を持つ国ある。日本人は平均的に高い資質を持っている。江戸時代の終わり頃日本人は欧米の新しい文明に触れたとき、あまり時間を費やさずにその文明を吸収し消化した。日本がそれを基礎にして欧米以上の文明を築き上げつつあった頃、イギリス・オランダ・ドイツ・フランス・ロシア各国はアジアを侵食し植民地化を進めていた。アメリカもハワイや太平洋諸島を支配下に置きつつあった。日本は自らの領土の保全とアジア諸国を欧米列強の侵食から解放することができる程の力を持つに至った。そして日本は欧米諸国と肩を並べようとしたが欧米諸国から差別を受け酷いいじめに遭った。

 日本は武士道の国である。武士が腰の刀を抜くときは自分が生きるか死ぬかの時である。日本は日本に対する欧米諸国による差別といじめに堪えながら礼をもって誠実に欧米諸国と向き合い、忍耐強く事態の打開に努めた。しかし日本は日清戦争の結果日本が清国から正当に譲り受けた遼東半島をロシア・ドイツ・フランス三国から「放棄せよ」と迫られた。日本はこの不当な干渉を跳ね返すことができるだけの力を持っていなかったから、天皇陛下のお言葉を受けてその三国の要求に従った。日本人はこの屈辱に耐え、国力の充実のため一丸となって頑張った。日本人は食べる物も食べないほどに我慢して一生懸命働いた。

 帝政ロシアが崩壊し共産主義のソ連が誕生した。共産党員たちはシナ(中国)人をそそのかし、シナ(中国)全土から日本人の追い出しにかかった。この結果非常に多くの日本人が虐殺に遭った。日本軍はシナ(中国)居留の邦人を護るため遂に立ち上がった。日本軍と蒋介石軍との戦いが始まった。アメリカは蒋介石軍を後方で支援し日本を苦しめた。

黙って相手の為すままに任せていたら日本の前途はない。戦へば死ぬかもしれない。日本は座して死を待つよりは戦って死に、未来に希望をつなぐ道を選んだ。こうして日本はアメリカ・イギリスを相手とする大東亜戦争に踏み切った。アメリカは日本が先に戦争を仕掛けてくるのを待っていた。そして敢えて自国の兵士を犠牲にし、アメリカが日本と戦うための正当な理由を作り上げることに成功した。「Remember Pearl Harbor!」である。

日本は最後の一兵が死ぬまで戦う覚悟で戦った。それは日本の明日に希望をつなぐ戦いであった。それは「Last Samurai」の戦いであった。それは商売のように妥協し居り合いを付けるというものではなかった。それは易経でいう本来あるべき状態をもたらす「折中」を得るためのものであった。その「折中」は自らの命を犠牲にすることも辞さない行為によってしか得ることができないものであった。今日本人はそのとおり「折中」を得ている。しかし私たちは先人たち・Samuraiたちの御霊に顔向けができるだろうか?

人は死後天上界・人間界・修羅界・地獄界・餓鬼界・畜生界に永遠に輪廻転生する。今を生きる日本人の多くは先人、すなわち過去世の日本人の来世を生きているだろう。しかし現世の日本人が日本の今の為自らの命を投げ出して戦陣に散華した人たちを悲しませ、残念に思わせているとするならば、日本人の子孫は修羅界・地獄界・餓鬼界・畜生界に生まれることになるだろう。何処かの国のような「修羅の国」に日本は決してならぬようにしなければならぬ。

今日本人は長い平和の眠りから覚醒しつつある。日本人の「意識」は先人たちの「意識=霊魂」と響き合いを始めた。日本は古来「言霊」の国・「合力」の国である。天皇は日本人大多数の精神の中心的存在であらせられる。