2013年10月23日水曜日

「意識」と「仏教」(12)――日本はなぜ戦争をしなければならなかったのか――

仏教では輪廻転生して「あの世」においても「この世」の行いの報いを受けると説いている。仏教では人は「この世」における行いの如何によって、「あの世」においては天上界・人間界・修羅界・地獄界・餓鬼界・畜生界の何れかに永遠に輪廻転生を繰り返すと説いている。無辜の民の大虐殺を命じた者とその命令を実行した者は次の世には畜生に生まれ変わり、そこから絶対這い上がることはできないであろう。それでもそのような罪深い人々を「この世」の人たちが真剣に供養するならば畜生の身ながら次の世に生まれ変わるときは餓鬼以上の世に生まれることもあり得るだろう。その人たちが功罪半ばであるならば、次の世では地獄以上の世に生まれるかもしれない。

ある国における「この世」の状況は、現にその世に生きている人々の「集合的無意識(collective unconsciousness)」の状態によって決まる。仏教が国民の間に根付いていない国家においては集合的無意識の中の「修羅」の無意識が強いのである。そのような国家はそう簡単には普通の「人間」的な国家に変わることはできないだろう。国家としての無意識を形成するものはその国家の民の集合的な体内遺伝子(DNA)と体外遺伝子(文化・伝統など)に基づくものである。これはなかなか変えることはできない。歴史が示すとおり、過去にこれを変えようと試みた‘ある組織的なもの’は結局成功を収めることはできなかったのである。

日本はなぜ戦争をしなければならなかったのか。日本国民は日米関係・日中関係・日韓関係を深く考えなければならない。そのとき開戦及びその終戦時の天皇陛下のお言葉(詔書)を読んでその意味をかみしめる必要がある。

 開戦の詔書(昭和16128日)に次の一節がある。
 「中華民国政府曩(さき)ニ帝国ノ真意ヲ解セズ、濫(みだり)ニ事ヲ構ヘテ東亜ノ平和ヲ撹乱(かくらん)シ、遂(つい)ニ帝国ヲシテ干戈(かんか)ヲ執(と)ルニ至ラシメ、茲(ここ)ニ四年有余(ゆうよ)ヲ経へタリ。」「米英両国ハ、残存政権ヲ支援シテ東亜ノ禍乱(からん)ヲ助長シ、平和ノ美名ニ匿(かく)レテ東洋制覇ノ非望ヲ逞(たくまし)ウセムトス。」

 終戦の詔書(昭和20815日)に次の一節がある。

 「曩(さき)に米英二国(にこく)に宣戦せる所以(ゆえん)も、亦(また)実に帝国の自存(じそん)と東亜の安定とを庶幾(しょき)するに出(い)で、他国の主権を排(はい)し、領土を侵(おか)すが如(ごと)きは、固(もと)より朕が志(こころざし)にあらず。」「世界の大勢(たいせい)、亦また我に利(り)あらず。」「敵は新(あらた)に残虐なる爆弾を使用して、頻(しきり)に無辜(むこ)を殺傷(さっしょう)し、惨害(さんがい)の及ぶ所、真(まこと)に測(はか)るべからざるに至る。」