2015年2月1日日曜日

20150201国家は一つの生物種である(22) ―― 超個体の意識・無意識 ――


 国家は動物に例えれば蟻や蜂などのような昆虫の個々が集まってあたかも一つの個体を形成して超個体となっているようなものである。蟻や蜂などでなくても動物たちは個々の種ごと群れを成してそれなりに社会を形成している。人間の集団である国家は個々の人間が集まって高度な社会を形成した超個体である。「国」を名乗る武装集団や一つの国家の中で活動する武装集団も同様に人間の組織的集団であるからそれぞれ超個体である。

 人間と動物との根本的な違いは意識である。意識には自分が自覚している意識と、自分が自覚できない無意識の二つがある。無意識にもその深さの程度によって階層がある。自分が意識して自分の身体に覚え込ませたものは最も浅い無意識である。武道・茶道・華道・芸道などは先ず先生から教えられたことを元にその道を理解し、次にその理解したことが自然にできるように鍛錬を重ねれば、自分はいちいち意識しなくても自然に自分の身体が動くようになる。つまりその段階で意識は無意識になる。しかしそれは意識の段階では浅い。

 人を殺してみたいという衝動に駆られる人が少なからず存在していて時々事件が起きている。人はなぜ他人を殺すのか?ある19歳の女子大学生が「人を殺したい」と常々思っていてその機会をうかがっていた。その女子学生は自分の部屋に一つの斧を隠し持っていた。その女子学生の前にある老女が現れた。その老女は彼女に宗教の勧誘をしようとしていた。その女子学生と老女は一つの部屋で二人きりになった。女子学生はその老女を殺害した。

 戦場で敵を殺害せざるを得ない場合を別として、一般に殺人者は自分が殺す相手に対して共感する心を持ち合わせていない。つまり無意識の衝動が彼または彼女に殺人の行為を引き起こさせる。その衝動は何処からもたらされるのだろうか?自分自身の中にそのような殺人という指令を発する部分があるのだろうか?或は自分自身の外にそのような指令を発する何かがあるのだろうか?人の行動のほとんど多くは無意識的である。身に迫る危険を反射的に回避する機能は人間を含むすべての生物に備わっている。いわゆる「イスラム国」で二人の日本人が殺害された。その時二人は自分の身を護ろうとしたに違いない。


国家のレベルで考えた場合、国家の‘無意識’は国家自身が持っているもののほか、国家の外からその国家をあたかも透明無臭のガスのようになって覆っているものもあるのではないだろうか?日本は「神代(の昔)より言霊の幸(さき)わう国、皇神(すめらかみ)の厳(いつく)しき国」(万葉集巻五・894番)と言い伝えられてきた国である。日本人は自らの在り様を問い直さなければならない。日本人は自らの歴史・文化・伝統を大事にしなければならない。自らをよく知るということはよく生きるということである。国家も同じである。日本は戦後失ったものの中から本来あるべき良いものを取り戻さなければならない。