2015年2月21日土曜日

20150221国家は一つの生物種である (23) ―― セルフアイデンティティ ――

  
 子供はその父親と母親から半分ずつの遺伝情報を受け継ぐ。ヒトのゲノムの染色体は性染色体を含め24本あるが、性染色体を一つに数えてその組み合わせ数を考えると、子供は父親と母親からそれぞれ223 = 8,388,608通りの組み合わせの中から遺伝情報を受け継ぐ。したがって合計(223)2 = 8,388,608×8,388,608 = 70,368,744,177,664通りの組み合わせの中から遺伝情報を両親から受け継ぐ。このため親子・兄弟・姉妹、互いに似たところもあり、似ていないところも生じる。

 一方、一組の男女が二人の子供をもうけるとして、一世代を25年とすると、100年で24人、1000年で2401兆人の子孫ができることになる。実際はこれよりずっと少ない人口であるので、上記の70,368,744,177,664通りの遺伝情報は日本人の間で、或は日本人の親から生まれた子供は無数の先祖の遺伝情報の何かを受け継いでいることになる。その人の容貌・形質・知能・性格・遺伝病などの遺伝情報は完全に混じり合ったものになっている。

 ヒトのDNAはつなぎ合わせるとおよそ1mにもなる。ヒトを含め有性生殖を行う生物にはその細胞内に2セット分のゲノム情報があるので、ヒトのDNAの長さはおよそ2mにもなる。これが細胞の核の中に折りたたまれて収められている。ヒトの細胞の数は60兆個であると言われている。その一つ一つに同じDNAがあり、皆同じ構造になっている。

各細胞たちは老化や損傷により新しい細胞に入れ替わる。新しい細胞は細胞の分裂により生じる。ヒトの細胞は人工培養の場合約20時間の周期で分裂する。細胞の寿命は骨など最も長いもので数年から10数年、赤血球は120日とまちまちである。

ヒトのゲノムの塩基対の数は約30億である。そのうちタンパク質をコードする遺伝子の数は25,000である。細胞の分裂のときに遺伝子の重複とか転座が起きて突然変異が生じる。ヒトの場合年間3個程度の突然変異が起きていると言われている。突然変異した遺伝情報がグループの中で定着した場合、進化と言われる。ヒトも他の真核生物も日々進化している。ただヒトがヒトを超える新たな生物種(超ヒト)に自然的に進化することはないだろう。以上述べたことは生物学などの知見を参考にして書いたものである。

 ヒトは国家を構成し、共通の言語・文化・伝統の中で暮らしている。60兆個の細胞から成るヒトは国家の「細胞」のようなものである。高度に発達した国家とそうでない国家の間には進化の程度・内容に差が生じるに違いない。日本には縄文人・渡来系弥生人・渡来帰化人の混血である日本人と、特に近代以降日本人と結婚し日本に帰化した外国人や、外国籍の人で日本人との間に子供をもうけた人がいて、日本人は単一民族のように見えるが本質的に雑種である。それゆえ日本人の容貌・形質・性格などは非常に多様性に富んでいる。これが日本人の創造性を一層高め、日本という国家が環境や状況に対する適応力をますます優れたものにしている源になっていると考えられる。但しそれは源泉であって川の本流ではない。川の本流は何によって作られるのか、また何によって護られるのか。

 人間にとってセルフアイデンティティが重要であるように、国家にとってもそれは大変重要である。日本国民は天皇がいるので一つにまとまっている。それも神武天皇以来男系の皇統が守られてきたからこそ日本人はひとつにまとまっているである。統合の中心が重要である。それはある意味で宗教的なものである。アメリカの場合は大統領選出のプロセス・星条旗・アーリントン墓地などがそれに相当している。

一部の人たちにより夫婦別称や女系天皇を容認させようとする動きがある。これは結局男系の皇統を崩す動きにつながるものである。このことに気付いていない人は多い。男系の皇統を絶対崩してはならない。彼らは戦後の家庭教育・学校教育・社会教育の中で、日本の古代史・近現代史や仏教・神道や伝統・文化や萬葉集など古典について十分学習していない人たちではないだろうかと思われる。

 天皇・日章旗・国歌、そして軍隊(自衛隊)特に海軍(海上自衛隊)の旗である旭日旗は、日本人としての出自がどうであれ、日本人が日本人であるということを意識することができるシンボルである。靖国神社・全国の護国神社は祖国日本のため戦って命を落とした人々と今を生きる人々との魂の交流の場である。日本を貶めたいと思う人たちにとってそれらは気に入らないものであろうが、日本人ならそれらを断固守るようにしなければならない。さもないとこの日本国の存続は次第に難しくなってゆくに違いないと思う。つまり川の流れは千路に乱れ、どれが本流なのか分別ができなくなってしまうということである。