2016年3月12日土曜日

20160312「仏教」をキーワードに、思いつくまま綴る(12)―― 虐待児ら一時保護2万2000件 ――


 仲野徹著『エピジェネティクス』と太田邦史著『エピゲノムと生命』の2冊の本を読み終えた。Newtonムック『現代科学も決してつくれない“超精密機械”細胞のすべて』など図解でわかり易く書かれている雑誌を読んだ人や、高校・大学等で生命科学関係の予備知識を得ている人なら、上記の本に書かれていることは大変理解しやすいと思われる。

 親から虐待を受けた子どもらが施設で一時保護されるケースが増えていて、都市部の保護施設は飽和状態であることが讀賣新聞で報道された。相談・通報を受けて一時保護所が保護した件数は、一昨年度(2014年度)に過去最多の22005件になったそうである。最近、子育てを満足にできず、自分たちの子供を虐待し、故意的に死なせてしまう親が多い。このことは大変憂慮すべき社会的現象である。

一方で託児所があまりにも足りないため、働くこともできず、結婚することも、子供を産むこともためらう若い女性たちがあまりにも多すぎる。女性が適齢期に結婚し、子供を産むことが難しい社会は決して良い社会ではない。官僚も政治家も学者もこのことについて強い問題意識を持つべきである。若い女性たちが子供を産みやすい環境を、国家として是非整えるべきである。その環境としての一つの案は、「子育ての半分は国家・社会が全面的に負う仕組み造り」である。その仕組みの中で、女性は出産適齢期に結婚し、23人子供を産み、その子供を保育園に預けたら、女性は本格的に働き始め、その職場に接近した場所に必ず安心できる託児所があることである。その職場と自宅の間を子供連れで往復する交通手段も、快適なものを国家が提供することである。そういうことが国家としてできているならば、男と女は権利が同じである、と初めて言える。現状は決して男女同権ではない。

上記の本に書かれている学術的な部分は省略するが、上述の問題にかかわる部分を上記の本から一部をランダムに「である調」で下記のとおり引用する。マスコミ関係者には、「生命科学・分子生物学・進化生物学・遺伝学などは専門外である」と敬遠せず、是非、上述の問題の解決のためエピジェネティクスと社会の関係について、積極的に、かつ継続的に取り組んでもらいたいものである。

    最近になって環境によって獲得された形質の一部が、エピゲノムの記憶を介して次世代に引き継がれることが少しずつわかってきた。つまり「環境」と「遺伝」は相互作用する。
    親世代のストレスが、子の人生にも影響を及ぼしている可能性がある。このような状況が、昨今の育児放棄の増加や、児童虐待の連鎖に結びついているとしたら、大変憂慮すべき状況であると考えられる。加えて、社会的遺伝という生物学的現象が、社会の階層化や格差の固定化や拡大に、人知れず貢献している可能性も捨てきれない。
   エピゲノム修飾の大半が生殖細胞で消去されるものの、一部は世代を超えて伝わるという問題点が生まれた。これにより、育児放棄の連鎖、社会階層の固定化などの、負の側面が生じる可能性も出てきたことになる。
    生まれたての赤ちゃんがどう扱われるかによって、この視床下部―下垂体―副腎系の機能が影響を受けるということが、50年以上も前に行われたラットの実験から判っていた。同じ系統のラットであっても、毛繕いをしたり、体をなめたりして子供をよく可愛がる親と、そうでない親がいる。どちらの親に育てられるか。乳児期における育児の仕方が違うだけで、成体になってからのストレスに対する反応が異なる。
    胎児期における環境因子が成人後の疾患発症と関係するという報告は数多くなされており、事実としては確実である。長い年月にわたり、何らかの形で、体の中のどこかの細胞に記憶が残っているはずであるから、そのような現象にエピジェネティクスが関係している可能性はきわめて高い。
   生命科学は進歩すればするほど複雑化して、専門外の人にはわかりにくくなっていく。


仏教は、因縁・因果応報・輪廻転生を説いている。現代は、そのことを科学的に説明できるようになりつつあるのではないだろうか?