2017年4月21日金曜日

20170421『仏説阿弥陀経』について(16)


朝のあるテレビのワイドショーを見ていたらレギュラーのコメンテーターT氏が北朝鮮問題について「日本はもっと外交努力するべきだ」という趣旨のことを言った。ある新聞の記事には某野党の女性論客Y氏が審議入りしたテロ対策法案について安倍総理との論争の末、安倍総理に対して「器が小さいんだよ!」と言い放った、と書かれている。あるテレビの昼のワイドショーである女性コメンテーターは「従来外交の話し合いだけで平和を守ることができると思ってきたが、平和は力によって守られると言われると驚く」というようなことを言っていた。

東條元首相は処刑される前に遺言を残している。それには「国家から欲心を除くことは不可能なことである。されば世界より今後も戦争を除くことは不可能なことである」と書かれている。正にその通りである。平和は軍事力・経済力・外交力など力によること以外に保つことはできない。平和ボケした日本人は今ようやくそのことに気付き始めた。

人々は自分たちの人間性を確信し、自分たちが野生動物たちとは異なる崇高な存在であると確信し、国家が野生動物たちと同じ様な存在であることを認めたがらない。ところが現実は国家というものが理性を供えているが野生動物のように生存のため暴力を振るう組織、即ち軍隊を持ち、自分の国に歯向かう国家への警戒心を持ち続けている。軍隊という力なしには国家は生き残ることは出来ない。

今回アメリカは日本とアメリカの同盟が如何に強固なものであるかとうことを日本に敵対する国に対して実際の形で見せつけた。アメリカは「平和は力で守られる」と世界に向けて公言し、日本に危害を加えることは即ちアメリカに危害を加えることと同じことであるということを鮮明にした。

それでも日本は安心していてはならない。同盟国のアメリカといえども欲心があり、日本の防衛のため自国民が犠牲になることは望まない。日本は自らの国を自らの力で守りきるという覚悟を持たなければならない。国民の最大多数が安全と安心と繁栄を確保することこそが国民の最大多数の幸福になる。Y氏の器量では安倍総理の器量を測れないだろう。

人間の社会では野生動物の社会と同じように生存及び自己保存のために争いが絶えない。釈尊がおっしゃったようにこの世は五濁悪世である。五濁とは劫濁(こうじょく)・見濁(けんじょく)・煩悩濁(ぼんのうじょく)・衆生濁(しゅじょうじょく)・命濁(みょうじょく)の五つのことである。劫濁は「時代の穢れ」、見濁は「邪悪で汚れた考え方や思想が常識となってはびこる状態」、煩悩濁は「欲望や憎しみなど煩悩によって起こされる悪徳が横行する状態」、衆生濁は「心身ともに人びとの資質が衰えた状態」、命濁は「自他の生命が軽んじられる状態」である。(真宗大谷派東本願寺ホームページより引用)

それでも人間は生存及び自己保存のため最良の方法を求め続けて進化してきた。釈尊がおっしゃっているように、今を生きる人の人生は前世の宿縁の続きである。人は自分の前世の悪い宿縁を断ち切るように努力する人生を送らない限り、自分の来世においても悪い宿縁が続く。釈尊はそのように説いておられる。

人間の集合的組織体である国家も同様である。国民の大多数が五濁の悪い宿縁を断ち切るように努力しない限り国家の有り様は変わらない。悪い人間の来世が修羅か地獄か餓鬼か畜生かに転生するように、国民の大多数が五濁の悪い宿縁をもっている国家はなかなか良い国家に進化することができないのである。

『脳科学は宗教を解明できるか』(春秋社刊)という本がある。これにはポパー(Sir Karl Raimund Popper)の“三つの「世界」”のことが紹介されている。それによると“「世界Ⅰは物質の様相」、「世界Ⅱは各個人の心を成す意識」そして「世界Ⅲは文化の様相」であり、それぞれ存在しているものである。宗教はこの三つの世界のすべてと関わりを持つ。”としている。

『佛無量壽經卷上』には「我聞如是 住王舎城 耆闍崛山中 與大比丘衆 万二千人倶 一切大聖 神通已達 (私は、仏(ほとけ)が一時、王舎城(おうしゃじょう)の耆闍崛(ぎじゃくつ)山中に大比丘衆一万二千人と俱(とも)に住んでおられたとき、皆(みな)大聖(だいじょう)で已(すで)に神通(じんづう)に達していた、ということを聞いている。)」という書き出しで、釈尊が認識した仏の世界のことが説かれている。“一時佛”の仏とは釈尊のことである。

王舎城は摩竭陀国(まがだこく)の王都であった。耆闍崛山は王舎城近郊の山頂にある精舎(しょうじゃ)である。精舎は寺院のことである。今から約2500年前の古代インドで修業と座禅を重ね禅定にはいった人々は皆大聖(だいじょう)となり、宿命通・天眼通・神足通などの神通力を得ていた。そういうことがこの『佛無量壽經卷上』の初めに書かれている。大聖とは高位の菩薩のことである。『佛無量壽經卷上』の初めの部分にその菩薩の名前が挙げられている。その中に舍利弗・阿難など釈尊の十大弟子の名前がある。舍利弗(しゃりほつ)はシャーリプトラ、阿難は阿難陀(アーナンダ)とも言い、彼は釈尊の従弟である。


幸い多くの日本人は先人たちのお蔭を被って、ポパーの「世界Ⅲ」を共有している。日本人は五濁悪世からなるべく離れることが出来るようになっている。真に有難いことである。