2017年4月15日土曜日

20170412『仏説阿弥陀経』について(15)


私は、今から約2500年前のインドで仏教を開かれたお釈迦様(釈迦牟尼・梵語Śākya-muniの音写・シャークヤ族の聖者・釈迦牟尼世尊・釈尊)はユリ・ゲラー(Uri Geller)が持っているような超能力をはるかに超えた超能力を持っておられたお方であったに違いない、と思っている。

アメリカのCIAはユリゲラー(Uri Geller)の超能力を公認したと言われている。ユリ・ゲラー(Uri Geller)は遠隔地から透視する能力を持ち、また念力でスプーンを曲げることもできると言われている。

世の中には科学の常識では理解できないことが実際に起きている。科学が未発達な時代にはそのような超能力をかなり多くの人が発揮できたと思われる。その中で釈尊は普通の人では絶対に見通せないような極めて遠い過去のことも極めて遠い未来のことも見通す力を持っておられたお方であったに違いない。

釈尊は王家に生まれ、7歳の時生母を亡くされたが裕福な環境に育ち、幼少の頃から古代インドの宗教・バラモン教の教えを学んでおられた。バラモン教、後のヒンズー教では輪廻転生と輪廻からの解脱の方法について説かれている。仏教では輪廻転生が説かれている。

釈尊は普通の修業者では到底身に付くことができないような神通力をお持ちであったに違いない。その神通力の一つに最も重要な「宿命通」と言われる力がある。これは前世から決められている運命を識(し)ることが出来る能力のことである。

釈尊は王家の長男であり、ヤソーダーラという名前の妃とラーフラという名前の息子がいた。ラーフラは『仏説阿弥陀経』に書かれている羅睺羅(らごら)のことである。羅睺羅は釈尊の十大弟子の一人である。

釈尊は29歳の時妻子を捨てて出家し、難行苦行をし、欲望を制御し、座禅瞑想を続けてついには禅定に入り、その禅定を深化させ、ついには真理を悟って仏陀(Buddha)になられた。仏陀になられた釈尊は極楽の国土が存在していることを知り、その国土がどのようにして作られたのかを知った。『無量寿経』にはそのことが詳しく述べられている。

釈尊は十大弟子の一人・多聞第一(たもん・だいいち)と称せられた阿難陀(あなんだ)に対し、法蔵(ほうぞう)という菩薩が天文学的な時空を超えた過去に「自分も仏陀となって世の為に尽くしたい」と誓ったということを語られた。因みに阿難陀は釈尊の従弟である。

法蔵菩薩はどの宇宙の中でのことかはわからないが元は王の一人であり、自分の国や財産を捨てたお方であった。この法蔵菩薩は後に阿弥陀仏となられたお方である。法蔵菩薩は四十八の願(がん)を立て、五劫、即ち一つの宇宙が誕生し消滅するまでの時間の五倍と言う極めて長い時間をかけて修業し、ついには西方の極楽世界に成仏され、十劫を経た今現在も人々を救いの手を差し延べておられる。因みに1劫は422000万年とされている。

法蔵菩薩は第十八願(がん)で「設我得佛 十方衆生 至心信樂 欲生我國 乃至十念 若不生者 不取正覺 唯除五逆 誹謗正法 (よしんば我仏を得んとも 十方の衆生心の信楽に至ること 我が国に生まれることを欲すること 乃至 十たびの念 もし生じざれば 正覚を取らじ。唯五逆と正法を誹謗するを除く。)」

括弧( )内は、私が訳した訓読である。間違っているかもしれない。これを私は次の括弧“”内のとおり、現代語的に意訳する。“(修業中の)私(法蔵菩薩)が、仏の法を会得したとしても、人々が心の底から仏の本当の願いを信じて喜ぶこともせず、私が住んでいる仏の国に生まれることも希望せず、そればかりか十回の念(忘れない思い、念仏)さえも、もし出てこない状態であるならば、私は仏の悟りを体得しない。しかし仏教に目覚めた人は仏の本当の願いを知り、仏の国に生きることを望み、何度も念仏を唱えることであろうから、私(法蔵菩薩)は修業に修業を重ねて仏の真の悟りを体得し(阿弥陀仏)となり、人々を救うであろう。ただ、自分の父を殺す人々、自分の母を殺す人々、仏教の修業の最高段階に達した人を殺す人々、仏教僧の団体の和合を壊す人々、仏の身体を傷つける行為をする人々、及び仏法を誹謗する人々を救うために私は仏になることはない。” 会得は「頭で理解すること」である。一方体得は会得したとおりに体が出来上がっていることである。

中国大陸や朝鮮半島で儒教の普及により仏教が衰退した。ところがわが日本国では聖徳太子や聖武天皇のお働きにより仏教が定着し今日に至っている。鑑真和上は聖武天皇の御世、新たに僧尼となる者に戒を授けるため危険を冒して日本に渡って来られたお方である。武士の時代においても例えば鎌倉の建長寺を開いた蘭溪道隆(らんけい どうりゅう)は南宋から渡来した禅僧であった。日本には奈良時代の昔から数多くの仏僧が中国から日本に渡来し、日本に帰化して仏教を広める活動をされた。日本はそういう国である。

 このお蔭を被って、今、こうして一市井の無名老人である私も、釈尊の教えに接することが出来ている。真に有難いことである。日本人の大多数の人々は、悠久の歴史の中で、先人たちのお蔭を被ってそれぞれ良い輪廻転生の中でそれなりに幸せな今生を送っている。