2014年12月18日木曜日

子供たちの桜 (20110513)

 表題の「子供たちの桜」は、歌手の森 昌子が被災地で、またNHKのスタジオで歌った歌の題名である。森 昌子はこの度の大震災で被災された方々を、自分にできることで何とか慰問したい、しかしかえってその方々の迷惑にならないかと毎日悶々としていたという。そのような時、息子さんに「きっと喜んでもらえる」と肩を押され、勇気を出して3か所の避難場所をまわり、懐かしい歌の数々を歌った。その代表的な一つがその歌である。

 森 昌子によれば、その歌を聴いてくれている同年輩かそれ以上のお母さんたちが、そっとハンカチで目を押さえていたのを見て、逆に自分が励まされたという。映像には、彼女が抱きかかえている赤ちゃんと一緒に写っている写真や、彼女と遊んで笑顔を見せている子供たちの写真が紹介されていた。その映像を、男は女房と一緒に観ていた。

 その歌の歌詞の最後に「忘れないで 忘れないで 咲いていることを」「死にたいときも 忘れないで 忘れないで 生まれたことだけは」という下りがある。聴いていてとても良い歌である。森 昌子の、清らかで優しく語りかえるような歌声がとても良い。

今度の巨大津波により親を失った子供が沢山いる。子供を失った親も沢山いる。夫と子供を失った母親もかなりいる。妻子を失った父親もかなりいる。商店を経営していたある男性は、巨大地震の発生直後、妻と二男に「逃げろ」と言い残して消防団員として詰め所に駆け付けた。小学校にいた長男は無事避難していた。ところが「逃げろ」と言い残してきた妻と二男は逃げ切れず、津波に飲み込まれて死んでしまった。森 昌子の「子供たちの桜」という歌の歌詞は、生き残った人たちへのメッセージである。

 この世の諸々の現象は無常である。桜の木も人間も時々刻々変化していて同じ状態が続くということは絶対ない。それでも桜の木は生きている限り毎年春に花を咲かせる。人間も生きている限りその花を見、或いはその桜の木に何かを感じ取ることができる。

 この世の諸々の現象のことを「諸行」という。仏陀の弟子は、この諸行が千変万化してゆく様を、たった四語の「諸行無常」という言葉で言い表した。諸行無常の中に人は何かの意味を読み取り、何かを学ぶことができる。その「何か」や「意味」は、人びとを迷いから導く仏陀の方便としての「何か」であり、「意味」である。

 人びとに避難を呼びかけ続け、大津波に飲み込まれて死んだある一人の若い女性は、子供のとき「人の役に立つことがしたい」という記事を文集に遺している。彼女は日ごろの心掛け通りに行動し、殉職した。彼女は、彼女の呼びかけで避難した人びとの記憶の中だけでなく、彼女のことを知った世界中の人々の心の中に生きている。彼女の母親は、そのことを知り、慰められ、打ちひしがれた気持から抜けだすことができ、生きる勇気を得ることができた。殉職した彼女のことは記録に書かれ、後世に伝えられてゆくことだろう。

 これまで平穏無事に生きてきた男は、女房に「俺はまだ完成させなければならないことが残っている。お前は俺より先に死んではならない」と言った。女房は「お父さんが死んだらすぐ私も死ぬのが一番良い」と応じた。しかしそのとおりになるという保証はない。