2014年10月3日金曜日

20141003輪廻転生について考える


 人間は60兆個・200種類の細胞で構成されている。その60兆個の細胞のうち800億個が脳の細胞である。脳の一個の細胞には1万本ものスパイン(spine)と呼ばれるとげ状の突起がある。人間の脳の細胞同士はとげ状の突起(spine)をつなぎ合わせてネットワークを構成している。実際につながってネットワークになるのはスパインの一部である。

このネットワークは6歳ごろまでの間に完成すると言われている。その後は学習や訓練によってネットワークの個々の線(軸索)の太さが増加する。そのネットワークの個々の軸索が太くなることによって信号の伝達速度が向上する。信号の伝達速度が向上すればするほど、その人の能力は高まる。脳内に完成した細胞ネットワークは学習や訓練によってそのネットワークの軸索が太くなってゆく。6歳ごろまでに完成された脳内ネットワークの良否だけではなく、その後の学習や訓練によってその人の能力が決定されるのである。

人間の脳にはそのネットワークの軸索を太くする働きをする細胞(オリゴデンドロイサイトoligodendrocyte)や必要なタンパク質を運搬する細胞(分子モーターmolecular motors)が存在している。オリゴデンドロサイトは繋ぎ合った細胞同士の軸索の上を移動しながら脂肪でできた腕をその軸索に巻き付けて軸索を太くしてゆく。分子モーターは役割ごとに90種類ある。これらの細胞の働きは遺伝子の発現によるものである。

意識は感覚・感情・行動・記憶の各要素が統合されたものである。以前私は意識は人間にしか存在していないものであると思っていた。しかし上記の概念では意識は動物にも存在しているし、感情をプログラムされたコンピューターにも意識を持たせることは不可能ではないかもしれない。

 人間には言語がある。人間はその言語を用いて自分が意識したもの・体験したこと・他人が意識したこと・他人が体験したなどを詳細に記録し、後世に伝えることができる。人間は想像力を働かせて自分の意識を遠い過去から遠い未来まで拡げることができる。人間の意識は時空を超越するものであり、広大無辺・融通無碍・自由自在なものである。

 人間の意識は800億個もの脳神経細胞の活動によって作り出されるものである。その細胞のスパインの突起部分が他の脳神経細胞のスパインの突起部分と結合することにより意識が生まれる。意識の量はその脳神経細胞の数と脳神経細胞同士の結合の度合いの濃淡によって決まるものである。

 脳神経細胞を作り出し、一つの脳神経細胞のスパインと他の脳神経細胞のスパインとの間で結合を生じさせるものは遺伝情報である。遺伝子の発現によって意識を生み出す仕組みができる。人間は死ぬと脳神経細胞も消滅する。しかし遺伝情報は子孫に伝わる。また本人の遺伝情報は本人の骨など体の組織が残っている間は残る。子孫に伝わった遺伝情報はその子孫の意識の元となる。

 人の才能・素質は遺伝によるものが50%ぐらいあることが分かってきている。親から遺伝的に受け継いだ才能・素質を十分発揮できるかどうかはその人の運命ではなく、その人が成長・学習・訓練等に関する正しい知識を持っているかどうかによるものである。人は欲得に心を曇らせることなく物事を素直に受け止め、正しい知識によって最大の努力をすれば自然に自分の未来が開かれるものである。例え自分が自分の死に直面せざるを得ないような状況におかれたとしても、自分の死がある役割を担っていることを自覚することができれば何も苦しむことはないのである。仏教や易経はそのような自覚の仕方を教えるものである。つまらぬ雑学に時間を費やすよりはそのような教えを学ぶことに時間を費やすほうが余程良い。他者より上に自分を格付けしようとしてもがくことは愚かである。

 私は「意識は霊魂である。意識は脳内に碇を下して体全体を包んでいる」と考えている。人は死んでもその霊魂は何かの形で永遠に残る。過去世・現世・来世の因縁は人間だけのものである。「あの世」の存在の有無を科学で証明することは不可能である。しかし極めて素直に「あの世」の存在を信じることができる人は幸せである。

 われわれヒトの遺伝子の99%以上は他の生物の遺伝子と共有している。ヒトの遺伝子の53%は植物の遺伝子と共有し、残りの46%を動物と共有している。ヒトの遺伝子の個人間の差は僅か0.1%である。ヒトのDNAは約30億塩基対から成っているので、その0.1%、つまり300万塩基対の違いが個人間・人種間の形質の差をもたらしている。

 人間は地上のあらゆる生物と同根である。人間だけが特別な存在であるのではない。仏教では「あの世」の存在を肯定し、人は死後六道に輪廻転生するとしている。善男善女は死後新たな人間として「人間界」に生を受けるが、悪人は生前犯した罪の程度に応じて「修羅界」「地獄界」「餓鬼界」「畜生界」のいずれかに生を受けて苦しむことになる。


動物界の最上位に君臨する人間はほとんど同根の他の動物を殺して食べている。つまり人間は「畜生界」に生きている同根の動物を殺して食べている。善男善女はそういう人間である。他の動物を殺さなければ人間は生きては行けないのである。他人を殺すことは最もいけないことである。人間は他の動物を殺すことは必要最小限にし、その動物を憐れみ、その動物を存在させている大自然に感謝の気持ちを表明するべきである。野菜など植物とて人間と同根である。人間は畑の作物を大切に思う気持ちがなければならないのである。