2014年10月22日水曜日

20141022国家は一つの生物種である(14)―― 最期の迎え方 ――


 このブログの左欄「You Tube より」にリンクを貼ってあるが、「国旗の重み~六十年の時を経て届いた手紙~」という一つの動画がある。先の大東亜戦争(注:戦後GHQの意向により「太平洋戦争」と言い換えさせられた)において長田和美という海軍中尉が最期の二日前と前日に書きのこした日記の一節である。日記は60年後に95歳になっていた妻のもとに届けられた。
(関連: http://hibikorejitaku.blogspot.tw/2011/11/20111113-4-96-11-19-6-15-nhk-20111113-4.html )

 妻はその手紙を食い入るように読み、そして涙をこぼし、サイパンに送られる兵士たちを乗せた軍用列車の通過を駅のホームで見送り、デッキに立っていた夫のこぼれるような笑顔を見、双方互いに手を振りあって列車がまっすぐな一本線の先に小さく見えなくなるまで見送ったことを回想していた。95歳になっていた妻は60年たって改めて夫の愛に接し「思い出をいただいて、こんなに嬉しいことはありません」と、その手紙を届けたNHKS氏に語ったという。

 その手紙の一節を以下に示す。
「昭和十九年(1944年)(七月四日)命令に従い、私は艦隊司令部に出頭した。いまや司令部は前線と化し、空襲のまっ只中にある。生きて帰れるかわからなかったが、任務終了後無事に戻ることができた。とうとう最後の抵抗をする判断が下された。・・(中略)・・このように絶望的な状況下で戦えるのは日本人だけであろう。しかし敵の圧倒的な力を目のあたりにして、さすがの大和魂も歯が立たない。・・(中略)・・あと一日か二日で最期を迎える。

 何も思い残すことはない。できる限りのことは行った。私の心はおだやかで満ち足りている。・・(中略)・・どのように名誉ある最期を迎えられるかのみを考えている。これは私だけではなく、非戦闘員達にも日本人として名誉ある最期を迎えさせてやりたい。・・(中略)・・

 (七月五日)わが妻、シズエへ 何も言い残すことはない。君と結婚して十七年がたった。幸せな思い出に満ちた十七年だった。来世への思い出でこれ以上のものはないだろう。君になんとか恩返しをしたかった。感謝の気持ちでいっぱいだ。私のぶんも子どもたちを可愛がってほしい。私が至らぬために、子どもたちに迷惑をかけるかと危惧している。

 今後日本は本当に困難な時期を迎えるだろう。日本は、あらゆる勇気を奮い起こして困難を乗り越えなければならない。君は優しすぎる。父親を亡くした息子たちのよい相談相手になってやり、彼らを強く、廉直な日本人に育てておくれ。日本がある限り、暮らしに困ることはないだろう。万一の時が来たら、日本人として名誉ある最期を迎えてほしい。

 コン、マサ、ヤスへ。強い正直な日本人になっておくれ。将来の日本を担ってほしい。兄弟どうし、互いに協力しあい、全力を尽くしてお母さんを助けてあげてくれ。コンとマサ、君達は兄としてヤスの面倒をよく見てやってくれ。・・(後略)」

 日中間で大きな食い違いがある歴史認識の論議は別として満州事変の遠因となった柳条湖事件以降、日本の兵士たちや非戦闘員たちは大義のために戦い、それぞれ思いをこめて死んでいった。私は、故国日本の行く末のことを思い、故国に遺してきた妻子・親・兄弟・姉妹・恋人・友人らのことを思いつつ死んでいった幾百万人の方々の御霊は、現に今を生きている我々日本人の中に必ず転生しているものであり、我々は過去世に生きていた人々の現世を生きているのであり、そのように生命は永遠である、と確信している。

 私はその状況を国家という‘生物’の‘細胞’のような個々の国民の動きの中に俯瞰して見ている。個々の細胞は一個の生き物のようである。細胞の核内にあるゲノムには多細胞体が生き残るため必要なすべての情報が書き込まれている。細胞は想像をはるかに超えた一つの装置である。国家において‘細胞’のようなものである個々の国民も同様である。

 上記遺書の文言の中に「大和魂」「来世への思い出」「あらゆる勇気」「廉直な日本人」「名誉ある最期」「正直な日本人」「将来の日本を担って」という言葉がある。これらの言葉は日本人の資質を示すものである。もし左翼の大学教授や学校教師らによってそれらの資質を言葉巧みに否定するような教育が行われるとすると、日本人のゲノムは幾世代を経てゆくうちに徐々に変化し、それらの資質が低下し、日本という国家は退化してゆくことだろう。

 そうなると日本人は未来の幸せへの願望のため固定的観念で善と悪とを仕訳するようになり、次第に多様性が薄れて超自然力の存在を信じるようになり、それを利他でなく利己のために用いる儀式を行うようになり、己を他より高みに格付けすることを願うようになるかもしれない。それは有り得ないだろうが、それは日本という国家の退化である。


 個々の国民でも一つの国家でもみな根源的な自己保存欲求につき動かされている。国家は ‘ゲノム’を持っている一つの生物種であり、根源的な自己保存欲求に突き動かされている存在である。そのため人々は時に協同し、時に敵対する。国家同士も同様である。それを避けることはなかなか難しい。進化した国家はそれを巧みに避ける術を心得ている。