2015年12月21日月曜日

20151221「仏教」をキーワードに、思いつくまま綴る(3) ―― 「煩悩」と「輪廻転生」。それは国家でも同じである。 ――


 ここに、昭和36年(1961年)初版発行の『正信聖典』(浄土真宗 親鸞会)という小冊子がある。これは、昭和54年(1979年)に他界した父が所持していたものである。この本には上段に親鸞聖人が作った七言絶句の長詩『正信偈』、下段にその訓読が書かれている。今までこの小冊子のことをすっかり忘れていたが、『正信偈』を持ち帰った筈だと書棚を探していたらそれが見つかった。私は、このお経は大変素晴らしいお経であると思っている。

 僧侶はお経を上げ、葬儀や法要の参列者はただ手を合わせて黙って聞いていて、そのお経の意味は分からずに、その厳粛な雰囲気の中でただ有難がっている。その儀式が終われば、人々は再び煩悩に満ちた日常に戻る。

 「煩悩」とは広辞苑によれば、「衆生の心身を煩わし悩ませる一切の妄念。貧・瞋・慢・疑・見を根本とし、その種類は多い」とある。因みに「瞋」とは「いかる・いからす」「目をわくいっぱいに開く・かっと目をむく」ことである。『仏教要語の基礎知識』(水野弘元著、春秋社)によれば、「煩悩」には根本煩悩として六種または十種あり、“中でも貪欲・瞋恚・愚痴(貧・瞋・痴)の三つはもっとも基本であり、この中でも愚痴すなわち無明が最も根本とされる。”この「無明」とは“無知であって、四諦や縁起の道理を知らないこと”である。“四諦は人々の苦しみや悩みをいやすための原理を説いたもの”である。“縁起とは「種々の条件によって現象が起こる起こり方の原理」である。なお、「瞋恚」とは『学研 漢和大辞典』によれば「①自分の心に反するものを怒り怨む。②目をむいて怒る」ことである。

 私自身も「瞋恚」であり、なかなか改まらない、但し「怨む」ことは全くないのであるが、人々は如何に「貪欲・瞋恚・愚痴」の日常を送っていることか!これが時に言葉による暴力・切傷・殺人の基になっている。良寛は「欲無ければ一切足り、求むる有れば万事窮す」と詠っている(『意に可なり』)。欲が無ければ怒ることも少なくなるだろう。

 煩悩は遺伝・教育・内省によりその顕れ方が異なるであろう。私は、煩悩の顕れ方は遺伝によるものが一番大きいと思っている。人の性格は生まれつきのものであるから絶対変わらないが、人の行動は教育や内省により変わり、一見その人の性格は変わったように見える。しかし、何かの折に突然その人の地が顕れて周囲の人を驚かすことがある。

 人は生きている限り煩悩を捨て去ることは絶対にできない。しかし、家庭や学校や社会による教育と、その結果身につく自己内省に基づく努力により、煩悩の顕れ方が変わってくる筈である。

 『人間(ひと)は死んでもまた生き続ける』(大谷暢順著、幻冬舎)に、“仏教には「輪廻転生(りんねてんしょう)」という思想があります。・・(中略)・・この輪廻思想は、仏教が開かれる前からインド人のなかにしみ込んだ教えです。・・(中略)・・キリスト教の場合は、人生は一度きりで、死者は最後の審判の日に復活して神の裁きを受け、神の国に受け入れられるか、地獄に落ちるかのどちらかとされています。イスラム教もほぼ同じで、ユダヤ教のほとんどの宗派は、死者は土にかえると考えられているそうです”とある。

 輪廻転生の思想では、人は死んだら地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上の何れかの世界に生まれ変わるとされている。この思想では、「前世→現世→来世」の繰り返しは死後も続くものであり、今生きている人は前世の宿業を負って現世を生きているとされている。現世で畜生と同じような生き方をした者は、死後、畜生に生まれ変わることになっている。

人間は死んだら何かに生まれ変わるが、この生まれ変わりは「意識(または自分自身では気付くことが出来ない意識(=無意識)」の継承と前世・現世の意識・無意識の共鳴・共振である、と私は考えている。意識・無意識は時空を超越し、広大無辺に自由自在・融通無碍である。これは霊魂でもあるが、意識・無意識は人間だけが持っているものである。

私は、意識・無意識について前世・現世間の共鳴・共振があるゆえに、畜生以下に堕ちた人も現世の人との間で意識・無意識と共鳴・共振して上位に引き上げられることもあり得ると考えるものである。大本山永平寺が出している『修證義』には「設(たとい)天上人間地獄鬼畜なりと雖(いえど)も、感應(かんのう)道交(どうこう)すれば・・(中略)・・帰依(きえ)し奉(たてまつ)るが如(ごと)きは生生世世處處に増長し、必ず積功累徳し」とある。

 ところで、私は人間の集団である国家も意識・無意識を持っており、それは政府が変わるたびに生まれ変わるものであり、国家にも煩悩と輪廻転生があると考えている。国家としての煩悩ゆえに国家は他の国家を見下したり、他の国家に対して攻撃的になったり、利害を調整して協調的になったりする。


 日本人(但し、日本では人が死んだ場合、仏式の葬儀を営む人が圧倒的に多いと思われるので、集合的に「日本人」と言う。)は古来、輪廻転生の思想をもって後世へと命を繋いできた。日本人は「貪欲・瞋恚・愚痴」の三つの最も基本の煩悩を遠ざけつつ、これまで歩みを進めてきた。日本は明治維新・大東亜戦争の終結・政権の交代のたびに大変化或は小変化で生まれ変わったが、私は、日本人が聖徳太子や聖武天皇について正しい教育を受け、日本が神武天皇以来の皇統を守り続けるかぎり、日本は生まれ変わるたびに「天上界の上位」に上って行くことだろうと固く信じている。