2016年12月1日木曜日

20161201手製の仏壇


 亡父が遺した家と土地は母(継母)の他界後一年を経て売却された。その家は長年空き家になっていて、今後必要とされない状況であったので、その家・土地を相続する権利がある者が語り合って売却処分となったのである。

 その家にあった仏壇の中からご本尊(阿弥陀如来を描いた絵図)や厨子・香炉・花器・鐘などの仏具と亡父・亡継母の法名軸を持ち帰り、手製の仏壇の中に収めた。その仏壇は四つのガラス扉付きの高さ190㎝・幅165㎝の書棚の一角に、棚を取り外して高さ60㎝幅40㎝ほどの空間を作り、内側を金張りにしたものである。その中に単4乾電池が入っていてLEDのランプの頭を押さえるとスイッチが開閉される仕組みの灯篭を仏具屋で購入して収めた。厨子の裏側に終戦(昭和20年、西暦1945年)の翌年12月に享年33歳(満32歳)のとき他界した亡母と、その翌年生母の乳を吸うことなく享年2歳で他界した末弟の法名が書かれている紙も折り畳んで置いてある。

 その扉を開けると良い香りが漂ってくる。普通の仏壇では線香を焚くとその香りが辺りに漂うが線香の煙も漂う。灯篭のロウソクの煙も漂う。しかしこの手製の仏壇に中にはLEDの光が灯る小さな灯篭があり、線香を焚かなくてもその香りが漂うように、多量の良質の線香が入っている箱の蓋を開けたままにして置いてある。手前に布製台座付の鐘を置いてあり、私は畳肩衣という略式の法衣を肩に掛けて横に垂らし、灯篭を灯し、数珠を手にして「チーン」と鐘を鳴らして読経する。読経時には明かり・香り・鐘の音の三つが重要である。

読経の発声の抑揚などは経本(その仏壇の下に西本願寺派・東本願寺派・親鸞会の三つの経本を納めてある)に譜が書かれているとおりに行う。毎日『正信偈』など読経し、経本に書かれているとおりに「南無阿弥陀仏」と念仏を唱える。親鸞会という浄土真宗の一派が作成した経本には親鸞聖人が作られた七言絶句の『正信偈』を読み下したものが書かれているので、それも『正信偈』を理解するために朗読している。

 ところで親鸞聖人の教えを説く教団として「真宗教団連合会」という組織があって、これには浄土真宗本願寺派・真宗大谷派・真宗高田派など10ほどの教団が加盟している。これとは別に上述の「浄土真宗親鸞会」という教団がある。この教団は親鸞聖人の教えを巡って、本願寺派・大谷派など対立している。この教団は布教方法を巡って批判されている。

 私は元来「一匹狼」で何処かの組織に入って活動することを好まない。しかし私は昨年継母の他界により、もともと亡父が門徒であり亡父のあとその継母が門徒であった寺の門徒になり、真宗大谷派から「准大講頭挌」という肩書を頂いている。このため私は遠隔地に住んでいてもその寺との縁が続いている。毎年本山と教区に指定の額のお金を納めている。

 毎日読経し、その読み下しや御文などを朗読しているうちに、親鸞聖人の御教えが次第に自分の心の中に溶け込んでくるように感じている。親鸞聖人は阿弥陀仏に一心に帰依する人は煩悩のまま浄土に生きることになる、と説いておられる。私は自分の哲学として、過去世・現世・来世にわたる意識のつながりが絶対あると考えている。つまり今を生きている人は誰かの「あの世」を「この世」として生きているのであり、「この世」を終えた人は、時を経て、殆どの場合親族の誰かとして生まれ変わるものである、と私は考えている。

 遠隔地にあるお寺の門徒であっても私は言うなれば「自分派」の浄土真宗「独り会」の者のようなものである。私は親鸞会の主張も良く吟味しながら自分なりに親鸞聖人の教えを忠実に学ぼうと思っている。手製の仏壇の下の棚には『原始仏典(中村元編・筑摩書房)』『新訳仏教経典(大法輪閣版)』『仏教の基礎知識(水野弘元著・春秋社)』『正法眼藏(岩波文庫)』『歎異抄(岩波文庫)』『歎異抄(真宗教団連合編)』『親鸞(笠原一男著・NHKブックス)』、さらにその下の棚にはスピノザの哲学関連の本や『脳科学は宗教を解明できるか(春秋社)』『意識は傍観者である(早川文庫)』などが収められている。

 書棚は西側を背にして置かれているので手製仏壇も背後は西方である。今私は椅子をくるりと回転させ、東側の窓に面して置かれている机上のコンピュータに向かってこれを書いている。自分の書斎にこのような仏壇があるということは大変恵まれていることである。このような恵まれた環境にありながら自分の天与の寿命を無知・無為のゆえに縮めるような愚かなことはしてはならない。精進・工夫・努力しつつ時を送るようにしているうちに、私もやがて「この世」を去ることになる。私が今在ることは正に有り難きことなのである。