2017年3月20日月曜日

20170320『仏説阿弥陀経』について(12)


私は『曹魏天竺三藏康僧鎧譯 佛無量壽經 卷上』を読んで理解しようとしている。インターネットで入手した『無量寿経上講義』がその読解を助けてくれる。法然上人のお弟子であった親鸞聖人が私を導いて下さっている。今の時代、このようにして、先人たちの労苦のお蔭を被って比較的容易に釈尊(釈迦牟尼(Śākyamuni))を身近に感じることができるようになっている。真に有難いことである。

この経典の翻訳者・康僧鎧(こう そうがいskt:Saghavarman सँघवर्मन्、生没年不詳)は、古代中国の曹魏時代の訳経僧である。天竺(インド)出身の僧と伝えられているが、康の字から西域の康国・ 康居国の出身とする説もある。「訳経僧(やっきょうそう)」とは経典の翻訳に従事する僧のことである。特に、中国においてはサンスクリットの経典を漢訳する僧をさすことが多い。鳩摩羅什や玄奘三蔵などが代表的。霊仙三蔵のような、日本人の訳経僧もいる。「三蔵法師(さんぞうほうし、繁体字:三藏法師、簡体字:三藏法、拼音: Sānzāng fǎshī)」とは仏教の経蔵・律蔵・論蔵の三蔵に精通した僧侶(法師)のこと。また転じて訳経僧を指していうようになった。単に「三蔵」と呼ぶこともある。(以上、Wikipediaより引用。)

曹魏時代は西暦220年から265年の間である。古代中国の書物の内容を西暦2017年に生きている私が読んで理解しようとしている。古代の日本人は古代の中国から漢字を導入し、さらに平仮名と片仮名を発明したことにより、古代中国人が書いた物を読みこなした。この知的な蓄積があったおかげで、今を生きる日本人は1800年前の古代中国人が書いた物を読解することができる。この有難さを感じている日本人は多いだろうか?

阿弥陀仏はどういう仏様であろうか? 阿弥陀仏は宝蔵菩薩が四十八の願(がん)を立て、五劫、即ち一つの宇宙が誕生し消滅するまでの時間の五倍と言う極めて長い時間をかけて修業し、西方の極楽世界に成仏したお姿である。その阿弥陀仏は(Amitābha「量(はか)りしれない光を持つ者(無量光仏)」又はAmitāyus「量りしれない寿命を持つ者(無量寿仏)」) である。

阿弥陀仏は阿弥陀如来とも言われる。如来(tathāgata)とは「如実に来れる者」・「真如より来れる者」という意味であり、真如法界から来たって真如を悟り、如実の強化活動などの生活を為し、如実に去り行く者で、仏陀の同義語である。(水野弘元著『仏教要語の基礎知識』より引用。)

 わが日本国には聖徳太子・聖武天皇らのお蔭で仏教が根付いている。またわが日本国には2000年以上にわたる万世一系の男系の皇統の天皇がいるお蔭で、このように秩序ある国体が持続されている。国家を「一つの人間」として観た場合、日本は心身ともに健全で、進化し続けている国である。このことを日本国民は自覚するべきである。

 皇位継承に関して「女性宮家」の設置を是とする議論が出ている。その議論の陰には日本国の弱体化を意図する勢力の深慮遠謀がないかどうか?私はそれがあると直感的に思っている。男系の皇統は何が何でも持続されるようにしなければならない。

天皇は日本国民の統合の象徴である。古墳時代人ともよばれる原日本人は縄文人と長江中流域からジャポニカ種の稲作文化を持ってやってきた渡来系弥生人の混血である。その原日本人の中から天皇の先祖が現れた。それが神武天皇である。原日本人は紀元後大陸側の政変等により大陸(主に朝鮮半島)から新たに流入した人々と混血し、現在の日本人の形質が出来上がった。日本人は多人種の混血種であるが、そのベースになるY染色体DNAのハプロタイプは大陸に存在しないD1b系統である。D1b系統をベースにした多人種混血種の日本人が一つの民族としてまとまりを見せている理由は、民族統合の象徴である男系の皇統の天皇がいるからである。もしこの皇統が途切れ女系天皇となってしまったら、日本人は民族としてのまとまりを欠くことになるだろう。

用明天皇元年(585年)に仏教の受容を巡ってわが国内に激しい対立があった。その対立を収め、国内に仏教を広めた立役者は聖徳太子であった。初の女性天皇であった推古天皇の御世に皇太子を務めたのは厩戸皇子、即ち後に聖徳太子と呼ばれたお方である。女性天皇は男系皇統の中継ぎである。女系天皇ではY染色体遺伝子は途絶えるが、中継ぎの女性天皇であればY染色体遺伝子の皇統は維持される。

聖武天皇(大宝元年701年)―天平勝宝8756年))は奈良に東大寺を建立し、全国各地に国分寺・国分尼寺を建立させた。東大寺は国分寺・国分尼寺の総本山であるとともに、今でいう総合大学の役割も担っていた。国分寺・国分尼寺は全国各地で仏教による国家の鎮護の役割を担っていた。

日本ではこのような背景があったから、シナ大陸や朝鮮半島で弾圧されて廃れた仏教が日本では盛んになり、法然上人とその弟子であった親鸞聖人により阿弥陀仏への信仰が広められたのである。日本国民は何と幸せな国民であろうか。もし多くの日本人がそのことを自覚しないならば、日本国民はきっと不幸になることだろう。