2017年3月27日月曜日

20170328『仏説阿弥陀経』について(13)


 阿弥陀仏になるため五劫、即ち一つの宇宙が誕生し消滅するまでの時間の五倍と言う極めて長い時間をかけて修業中の法蔵菩薩が立てた四十八の願(がん)の第五に「設我得佛 國中人天 不悉識宿命 下至不知百千億那由他 諸劫事者 不取正覺」という言葉がある。

 私は三省堂『漢辞海』と光生館『現代中国語辞典』を引用しながら、これを翻訳し、解釈してみようと思う。勿論、インターネット上には現代日本語に翻訳されたものが出ている。私はそれも参考にする。こうして今からおよそ1760年前に中国語に翻訳された仏教の経典に書かれていることを、今を生きている日本人の私が自ら理解しようとしている。下記の私の現代語訳には誤りがあるかもしれないが、私自身は正しい翻訳をしたと思っている。

第五願にある「宿命」とは「前世から決められている運命」のことである。その運命を識(し)ることが出来ることを「宿命通」という。「宿命通」は五つある神通力の一つで最も上位にある神通力である。因みに五神通は「宿命通・天眼通・天耳通・他心智通・神足通」である。第六願・第七願・第八願・第九願は、それぞれ天眼通・天耳通・他心智通・神足通に関する願である。法蔵菩薩は、自分が天眼通・天耳通・他心智通・神足通を得なければ自分は「正覚(=正しい悟り・成仏)」しない、と願を立てられたのである。

第五の願は「たとい我仏を得たとしても、国中の人天悉く宿命を識らず、百千億那由他の諸劫の事を知らずに至れば、正覚を取らじ」という願である。これは現代語に訳すれば「たとい私が仏(の法)を理解したとしても、もし国中の人間界・天上界がみな宿命をわからず、102×1011×1060個の宇宙が誕生して消滅するまでの期間の事を知らずにいたなら、私は仏にはなりません」という願である。

因みに那由他は、元は仏教用語で梵語の"nayuta"を音訳した「極めて大きな数量」(新村出編『広辞苑』第三版)の意味である。那由他は阿僧祇(1056)の万倍の1060のことである。江戸時代に執筆され、当時ベストセラーとなった数学書である『塵劫記』の塵劫記寛永11年(西暦1634年)版にそのことが出ている。(以上、Wikipediaより引用。)

今、私がそのような作業を行うことが出来るのは、先人たちの努力の蓄積があったからに他ならない。私がこの世を去った後、私の子孫がもしこのブログの記事を読んだならば、彼または彼女はどう思うだろうか?それは誰も分らない。自分が誰かの「来世」を今、自分の「現世」として生きているのだということも、自分の死後、自分は誰かの「現世」として生きるということも科学的には全く証明できないことである。

 仏教では「前世」「現世」「来世」の因果・因縁のことが盛んに説かれている。巷の会話で「地獄も極楽もこの世にあり、あの世にもあるのだ」・「因果応報だ」などの言葉を聞くことがある。生物学上の「遺伝」や人間学上の「意識」は因果・因縁と深い関係がある。近年、エピジェネティックな遺伝のことも話題になっている。
 (関連:
 20160218「仏教」をキーワードに、思いつくまま綴る(9)―― エピジェネティクスの面から考える子供の養育 ――

 「宿命」とは「前世から決められている運命」のことであり、それを深い禅定により認識することができれば人は自分の宿命を知り、現世においてその宿命に賢く対処することができるに違いない。私はそう思うのであるが、つらつら考えてみると現在わが国に横行している、いわゆる「葬式仏教」「儀式仏教」では宿命のことがあまり大事に考えられていないようである。しかし人々は宿命を恐れるから現世利益を願い、寺院で仏教の僧侶に、神社で神道の神職に祈祷やお祓いをして貰っている。

 日本人は世界に存在しない日本人独自の縄文人のDNAをベースに、非常に多様なDNAを有しているせいか、日本には「何でもあり」の文化がある。年の初めに神社や寺院に詣で、結婚式は神社やキリスト教会で行い、葬式は仏教で行い、夏祭りで神輿を担ぎ、阿波踊りに興じる一方で、ハロウイーンで仮装した人々が町中で楽しむなど、日本には古い文化も新しい文化も非常に多様に混在している。

 日本はヨーロッパの多くの国々と同じ様に自然に発生し、進化してきた国である。一方、アメリカはヨーロッパから人々が移り住んで独立宣言をして出来た国であり、国旗を統合のシンボルにしている国である。これに対して日本の周辺の国々の成立状況はかなり事情が異なっている。DNAの研究結果、日本はそれらの国々の人たちと血縁関係は遠い、ということが分ってきている。

 人間同様、国家についても因縁・因果について考えてみることが重要である。人間も国家も安定・不安定の状況をもたらしている因縁・因果がある。宿命は人間だけでなく、国家にもある。我々日本人は日本国の宿命を理解し、男系の皇統を維持してきた皇室と日本国の歴史についてよく知ることが大変重要である。最近、子供たちに「教育勅語」を教え、それを暗唱させたある幼稚園のことが話題になったが、「教育勅語」にはおかしな部分は全く無い。私は、これを子供たちに教えることを問題視する方が間違っている、と思っている。