2018年9月25日火曜日

20180925日本人の進化の原動力 ―― 『古事記』を読む ――



 小笠原の南に南硫黄島という無人島がある。その広さは皇居の約1.5倍で、最高標高は916mである。先般この島に関する学術調査が行われ、コダマ(木霊)というカタツムリの一種について調査が行われた。カタツムリは世代交代が早いので進化の過程を調べる上で好都合な生物である。そのコダマは北海道に生息している生物であるが無人島の南硫黄島で発見された。これは恐らく野鳥の身体に付着していたものがその島で地面に落ちて進化したものであろうと考えられている。その島では亜熱帯の低地・雲霧の中高地・温帯の高地ごとにそれぞれ進化したコダマが発見され、DNAの調査のため採集された。この研究成果は地球上のすべての生物の進化の原動力となっている遺伝子の発見につながるかもしれないと期待されている。

 ヒトと呼ばれる人類も進化の過程にある。日本人は縄文人・渡来人・帰化人の血が長い年月の間に入り混じった人種であり、現在も日本人と世界各地の人々との間で混血が続いている。今後50世代も経れば、日本人の容貌・体躯・諸能力等は現在とかなり違ったものになっているだろう。アイヌの人々は縄文人の子孫であるが、縄文人の血を引く現在の日本人とは遺伝子の一部に大きな違いがあることが分かっている。そのアイヌの人々も50世代後にもなれば、多分純粋なアイヌの人々は居なくなっていると考えられる。

 混血と言う意味では、異なる人種の種類が多いアメリカや中国やロシアも同様であろう。多くの人種の混血が進行している国は、国家として一つにまとまっていて安定が続く限り益々強い国家に進化して行くに違いない。一般的に言えば、進化の過程で後発の生き物は、それ以前に分岐した生き物より自存力が強いと考えられる。縄文人を先祖にもつ日本人は縄文人より後に分岐した人々と混血しているので自存力が強いと言えるのではないか?

古代に縄文人と渡来人の混血していた日本人は、古来自国が「小国」であるという意識は無かったし、これからもその意識はないだろう。聖徳太子から古代中国の隋の皇帝に宛てた手紙には「日出る国の天子日没する国の天子に書を致す。恙なきや」と書かれていた。古代日本の朝廷は古代の中国朝廷に対して歴史書『日本書紀』を示して、日本の国名を「倭国」から「日本」に変更させた。寛仁3年(1019年)に刀伊(女真族の一派とみられる集団を主体にした海賊)が対馬・壱岐を襲い、さらに筑前(福岡)に侵攻した時も、文永11年(1274年)と弘安4(1281)の二度にわたり当時の中国の元王朝の大軍(大艦隊)が対馬・壱岐を含む北九州に侵攻してきた時も、また応永26年(1419年)に李氏朝鮮軍が倭寇討伐を名目として対馬に侵攻してきた時も、当時日本の武士たちがこれらに対処し、これらを撃退している。勿論台風・台風接近と言う天祐もあった。日本は近現代においても強大な国々と戦争をした。日本人は古代から自らの国を「小国」と思っていないのである。

日本人にとって大事なのは日本を取り巻く様々な状態である。日本人は自分自身を他の国の人々と比べることにあまり興味はない。明治天皇は、「四方の国、皆同胞と思う世に」と歌を作られた。笹川良一は「世界は一家、人類は皆兄弟」と言った。国際連盟を立ち上げる時、人種差別撤廃を主張したのは唯一日本であった。

日本人は無意識のうちにそういう心を表している。これが日本人の特質であり、日本人が進化を続ける原動力となっているものである。この原動力は日本による韓国併合後の朝鮮半島の近代化と経済振興策の実行・台湾の統治・東南アジア諸国の解放と統治・パラオなど南洋諸島の統治において発揮された。戦後の日本人はそのことを忘れていたが、台湾・東南アジア諸国・パラオなどの南洋諸国の人々から逆にそのことを思い出させられている。

日本人はなぜこのようにあるのか? 私は、それは『古事記』・『万葉集』にその答えがあると考えている。戦後の日本人は精神改造を強いられた。私が小学校2年生のとき、教科書は書かれていた内容の一部が黒塗りだった。しかし今の日本人は強制されずとも、或いは「遠ざけよ」と言われても、心の何処かで『古事記』・『万葉集』に何か親しみを感じている。何故ならそれらの書物は日本人の心を素直に映し出すものであるからである。

竹田恒泰著『古事記完全講義』の一節に“今、日韓共同で、歴史認識を統一させようと作業部会が開かれていますけれども、もう毎回大喧嘩。血を流すほどの喧嘩をして、全然歩み寄りが出来ないんです。日本人が口を開くと、韓国人が「ふざけんなぁ!」「侵略者ぁ!」となりますし、韓国人が何かを言うと、日本人は「そんなの認められるかぁ!」「史実と異なるだろう!」とか言って平行線なんですよ。・・・・ウソじゃ無かった出雲の無血国譲り・・・・世界的にも例がない‘話し合い’で生まれた統一国家・・・・「好きな神様を拝んでいいよ!」が無血統一のキモ”とある。縄文人と渡来人とが混血していた人々の王国・出雲は、同じく縄文人と渡来人とが混血していた人々による大和王権と話し合って、それぞれの精神文化を認めあうことで平和裏に大和王権の支配下に入った。この水平的な協調の精神は、約16000年前から役3000年前まで続いた縄文時代に培われたものであるに違いない。

出雲王国が大和王権の支配下に入る時、出雲王国側からの要求により、巨大な神殿が建設された。近年その遺構が発見された。その建築物の高さは48mであったことが推定されている。この巨大な神殿は大和王権側からの提供されたものである。『古事記』には大国主神が次のとおり大和王権側の使者に伝えたことが書かれている。
① この葦原の中の国は、天照大神の大御業を受け継ぎになるお方に献上します。
② ただ私の住処として壮大な宮殿を作って下さるならば、私は神々の先頭に立って、またしんがりとなって、神々を統率します。(続く)


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