2018年9月9日日曜日

20180909三つの型の「何でも有り」の国々 ―― 『古事記』を読む ――



日本は、“「何でも有り」”しかし「群れに従順」の国である。
アメリカは、“「何でも有り」しかし「○○を忘れるな」の言葉で団結”する国である。
 「○○を忘れるな」の「○○」は「メイン号」・「アラモ」・「真珠湾」である。
中国は、“「何でも有り」しかし「皇帝が必要」”な国である。

上記三つの「何でも有り」の中身はそれぞれ根本的に違っている。日本人の先祖は遠い昔多くの人種が混血したため今の日本人は非常に多様なDNAを持っているが、国家としては2678年前に神武天皇が即位して以来男系の皇統が続いている単一民族の国家である。アメリカは白人・黒人・ヒスパニック・ネイティヴアメリカンなど多くの人種から成り立っているが、国旗・国歌・大統領選挙・合衆国国立墓地などの象徴により“アメリカ人”としてまとまっている。大多数の漢族の他に55の少数民族が存在している中国は、中国共産党が一党支配している“中華民族”の国家である。中国では歴史的にモンゴル族や満州族の皇帝が存在していたが、現在は中国共産党の代表者が“皇帝”の役割を担っている。

『古事記』・『日本書紀』を深く学べば、日本人にとって天皇の存在が如何に重要であるかわかる。戦後、日本人は自らのアイデンティティを見失っていた。竹田恒泰著『古事記完全講義』に“「茹でガエル症候群」()。要するに‘百年殺しの刑’をかけられたんですよ、日本は。・・・中国人向けの『日本書紀』日本人向けの『古事記』”とある。

私は、『古事記』の「上つ巻」内容の大部分は神話の物語であるが、物語の一部には実際にあった事が象徴的に語られていると考えている。(下記⑬以降は、一部私の想像を含む。)
①火照命(ほでりのみこと)。火照命(ほでりのみこと)は隼人阿多君の祖である。
②火照命(ほでりのみこと)は海幸彦(うみさちひこ)として、鰭(はた)の廣物、鰭の狭物を取った。
 海幸彦とは海の獲物を得る男のことである。鰭とは海の大小の魚のことである。
③火遠理命(ほをりのみこと)山幸彦(やまさちひこ)として、毛(け)麤物(あらもの)、毛(け)の柔物(にこもの)を取った。山幸彦とは山の獲物を得る男のことである。「さち」は道具で、山幸は弓矢、海幸は釣り針を意味する。
④ホデリノミコト(海幸彦)は兄、ホオリノミコト(山幸彦)は弟である。
⑤海幸彦と山幸彦は兄弟喧嘩をした。
⑥海神・ワタツミノカミ(綿津見神)は山幸彦に「兄が高いところにある乾いた田を耕すときは、お前は低いところにある湿潤の田を耕せ。兄が低いところにある湿潤の田を耕すときは、お前は高いところにある乾いた田を耕せ。わしには水を扱う力があるから乾湿如何様にも出来るのだぞ。だからお前の兄は3年の間に必ず貧しくなるのだ。もしお前の兄がお前に何か悪いことをしたら、わしは潮の満ち干を加減してお前の兄が苦しむようにしてやる」と言った。
⑦兄・海幸彦は降参した、そして海幸彦の子孫である隼人族は弟の子孫に代々服従するようになった。(つまり隼人族は朝廷に代々仕える身分になった。)
⑧海神の娘・トヨタマヒメ(豊玉毘賣命)は、山幸彦に出会い、その神々しさに打たれ、父・ワタツミノカミにそのことを報告した。
⑨ワタツミノカミは山幸彦が天の神の御子であると確信し、自宅の客間をアシカの皮などを敷き詰め、飾りつけをして山幸彦を迎え入れ、丁重におもてなしをし、娘・トヨタマヒメを山幸彦と結婚させた。
3年後トヨタマヒメは天の神の御子ホオリノミコト(山幸彦)の子供を身ごもり、一人の御子(アマツヒコヒコナギサタケウガヤフキアエズノミコト)を生んだ。
⑪ホオリノミコトは高千穂に宮殿を建て、其処に住み亡くなった。その御陵(お墓)は高千穂の山の西にあり、宮内庁が管理している。
⑫アマツヒコヒコナギサタケウガヤフキアエズノミコトとトヨタマヒメの妹・タマヨリヒメ(玉依毘賣)の間に生まれた子供の二男が初代神武天皇となられたカムヤマトイワレヒコである。
⑬約6300年前に起きた鬼界カルデラ大噴火により、鹿児島県上野原縄文遺跡にみられる「黒潮の民」の文化は壊滅的な被害を受けたが、その中で生き残った人々の子孫は海幸彦として象徴されている。
⑭「黒潮の民」は遠い昔スンダランドから海を渡ってやって来た人々である。彼らは丸ノミ石斧製造・造船・航海・漁労の技術を持っていた。
⑮縄文人と渡来系弥生人が混血した人々の長が山幸彦として象徴されている。渡来系弥生人は約3000年前に日本に渡って来た長江中流域の稲作漁労民を先祖とする人々である。
⑯渡来系弥生人の先祖は北方から良い暮らしを求めて南下してきた畑作狩猟民から圧迫を受けたが、日本に渡って来た時既に青銅製の剣など北方の文化に染まっていた。
⑰渡来系弥生人が日本にやってくる前に、長江河口付近で漁労に従事する人たちが居た。彼らは舟で沖に出るとき食料として米を携行していた。彼らは時に嵐に遭い、沖縄や鹿児島に漂着して其処に住みつき「黒潮の民」の血を引く縄文人との間に子孫を残した。その子孫の長が海神・ワタツミノカミ(綿津見神)として象徴されている。
⑱「黒潮の民」は日本各地に散らばり、その土地の人々との間に子孫を残した。彼らは海神族としてワタツミノカミを祖霊神とした。
⑲海神族は応神天皇三年十一月に安曇野連の統率下に置かれた。安曇野連の先祖は上記⑰の「黒潮の民」の血を引く縄文人との間の子孫の有力者である。
                                   (続く)
 

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