2010年7月13日火曜日

ブッダ『感興のことば』を学ぶ(115) (20100713)

 書棚に1冊のノートがあった。その中に次の詩が書かれていた。作詞の日付は12/9/89とある。男が現役のころ書いた詩である。決して出来の良いものではなく、公開も大変恥ずかしいものである。しかし、一人の、ごく普通の人間が 57歳のとき作ったものである。

 反古にすればきっと後悔すると思うので、ここに遺しておく。子にとって母は偉大である。わが子に対して真実・無私の愛情を注ぎ込むその本性に、すべての男は頭が下がる。

 昨今、そのような本性を失った母が散見される。そのような母に生まれた子は可哀そうである。橋の欄干から川に投げ込まれた女の子、10日間以上もトイレに缶詰めにされろくに食べ物も与えられずにいた男の子、義父や実の母に父が違う妹と差別され虐待され、学校に相談したがろくに話も聞いてもらえず絶望的になって罪を犯した少女、などなど可哀そうな子供たちが毎日のように報道されている。今の世の中は何処かおかしい。

 この詩は男のそういう思いを少しでも多くの人々に伝えたくて公開する。



   題『母(妻)への讃歌』



まだ 胎児であった お前の肉体が

母の 子宮に あった時

母は お前の鼓動を感じて

限りない 幸福感に 満たされていた



お前の「精神」の 宿主である お前の「肉体」は

母の「肉体」を 痛めつけて この世に 生れ出た

その時 母の「精神」は 

歯を食いしばって その苦痛に耐え

お前を この世に産み出した



母の「精神」は

お前の この世における 第一声を聞いて和み

そして 暫くの間 休息をとった

それから お前を 育て上げるための 苦闘が始まった



まだ言葉を話せない お前との間の 意思疎通 それは

お前の表情 お前の泣き声 お前の仕草

その 一つ一つから 

母は お前の 希望を 読み取った



その 愛に満ちた この母の 顔を 見よ

それは 母にしか 出来ない ことだ



母は お前を 育て上げるため

全てを 打ち込んだ

あらゆる 仕打ち

あらゆる 苦難に 耐えながら



そして ようやく お前は 成人した

母の 人生の 一区切りがついた

母は 独りで 納得した

「全てが 終わった

これで 私の役目は 終わった

これでよいのだ」――と

誰からも 慰められることもなく

誰からも 称賛されることもなく



全ての 子等よ

全ての 夫等よ



独りぼっちの母を

子育ての終わった妻を

いたわれ



その気持ちが 

母への 妻への 最大の 贈り物だ



母は 妻は やがて年老いて

この世を 去ってゆく



ブッダ「感興のことば」第32章「修行僧」最終番

82  戒めをたもっている人は修行僧であり、空を体現している人は瞑想者であり、専念している人はヨーガ行者であり、ときほごされてやすらぎに帰しているところに安楽がある。


83 修行僧はこのように楽しむことと楽しまないこととに堪え、情欲の煩悩の潜勢力を取り出して除きつつ・・・・・。