2017年5月12日金曜日

20170512『仏説阿弥陀経』について(19)


大多数の人々が下記に列挙する事項を認めれば、世の中は平和になるだろう。人々は自分が人間であるがゆえに自分が理想とする姿を神や仏に求める。一部の著名な人々や自分がそのような著名な人になりたがっている人は、人々が五濁悪世から脱するための最も理想的な方法を描いてそれを正義であるとし、他の人々にそのことを語り、自分の主張に対する同調者を出来るだけ多く自分の周りに集めようとする。

自分の主張に同調する人を出来るだけ多く自分の周りに集めるための最も効果的な方法は何か?それはマスメディアを利用することである。マスメディアを巧みに利用しているメディア出身の知事がいる。twitterfacebookなどを利用することにより、自分の主張を直接他の人々に訴えることができる。その上で自分の主張をマスメディアにも取り上げてもらうようにすれば、更に効果的に自分の主張を拡散させることができるに違いない。

しかし人はそれぞれ個人として自分自身を保存しようとする。人は自分の欲心を無くすことができないから、自分が最も利益を得るように行動する。人は仏陀に成らぬかぎり五濁悪世の中に生き続けなければならない。野獣も自己保存の行動をする。自己保存の面で同じでも、人は「自分は人間であって野獣とは絶対違う」、と思いたがっている存在である。

世界の平和を達成するため、次のことは出来るだけ多くの人々が認めるべき事項である。
a 国家は人間性の面を持っている野獣である。
b 世界の平和は武力を基本する総合的な力によって維持することが出来る。
c 武力以外に総合されるべき力の要素は次の諸力である。
    外交力・情報力・経済力・科学力・技術力・文化力・スポーツ力・団結力など。
d 価値観を共有する国家同士が同盟し、団結することにより、その同盟国個々が有する力の総和以上の総合力を、同盟国同士の各々がそれぞれ持つことができる。
 e  日本という国家の団結力の源泉は2000年以上にわたり綿々と維持されて来た男系の皇統にある。ミトコンドリア遺伝の女系では絶対ダメである。

分子遺伝学的にも日本人は世界で最も混血した人種である。NHKのEテレ『サイエンスZERO』で、日本人の遺伝子はアジアの中で特異であり、中国人・韓国人の遺伝子と大きくかけ離れていることが紹介されていた。【関連:20160413「仏教」をキーワードに思いつくまま綴る(18)】

日本は単一民族国家である。アイヌの人は「民族」ではない。国連の人権差別撤廃委員会が琉球・沖縄の人々を先住民族とする勧告文を出したことは、日本民族の分断を図る某国の陰謀であるに違いない。分子遺伝学的にアイヌの人々も旧琉球の人々も日本人と全く同じである。皆、「日本民族・大和民族」の一員である。アイヌの人々と旧琉球の人々のY染色体ハプログループのD1b系統は日本本土の人々より多い。それは北海道や沖縄では混血の度合いが少なかったため、縄文人の遺伝子が色濃く受け継がれてきたからである。

Y染色体ハプログループのD1b系統は日本人だけに存在する系統であり、台湾・中国・韓国には全く存在していない。「日本と韓国はよく似た者同士」と言われるが、人種的には日本人と韓国・北朝鮮人は全く別種である。

古代中国の歴史書に書かれている「倭人」は、縄文人と渡来系弥生人の混血種・古墳時代人が作った「大和(やまと)の国」の人々のことである。古代「倭人」たちは朝鮮半島に進出していたが、朝鮮半島の動乱時に扶余系である高句麗人・百済人たちとともに日本に渡来してきた。「倭人」たちにとって自分たちは「渡来」ではなく本国への「引き揚げ」であるが、当時の朝廷はその「倭人」たちも「渡来・帰化」扱いにしていた。

古代における朝鮮半島における動乱で、高句麗人たちの一部は当時の唐(中国)によって強制移住させられた。百済人・高句麗人・新羅人の一部は日本に移住した。彼らの遺伝子は現在の朝鮮半島の人々の間に少なからず残っている筈である。近代になって高麗(こうれい)人たちは李氏朝鮮における混乱を逃れて清(当時の中国)の領土であった沿海州に移住した。日露戦争の結果彼らはロシアによって自分の土地を奪われた。満州事変勃発後彼らは日本のスパイであるとされ、ソ連によって中央アジアに強制移住させられた。日本人は16世紀に豊臣秀吉の軍隊が、20世紀に日本軍とソ連との軍事衝突により朝鮮人を苦しめたという爪痕を残している。これが日本人に対する韓国人の恨みの源になっていると考えられる。

長い鎖国を経て近代国家になった日本は、並み居る列強の国家群に伍して生き抜かなければならなかった。日本という国家も正に「人間性の面を持っている野獣」のようであった。日本がアジア諸国を欧米の植民から解放するという大義のもとに遂行した大東亜戦争(戦後アメリカによって「太平洋戦争」と呼称を変えさせられた)終了後、日本国は二度と軍事強国にならぬように、憲法前文においても第9条においも「戦争放棄」が記述された憲法をアメリカによって押し付けられた。その結果日本は専守防衛に徹する平和国家になった。

しかし日本を取り巻く現実の世界は依然として「人間性の面を持っている野獣」のような国家ばかりが存在している。国家の「人間性の面」だけを見て平和を維持しようとすることは極めて困難である。日本人は上述aeのことを良く認識しなければならないのである。


2017年5月4日木曜日

20170504『仏説阿弥陀経』について(18)


昨日は憲法記念日であった。安倍首相は3年後、日本国憲法を改正し、第9条に第3項を追加し、自衛隊を明記すると宣言した。日本国憲法前文には「日本国民は、・・(中略)・・平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」と書かれている。しかし現実の世界は、東條元首相の遺言にあるとおり、「国家から欲心を除くことは不可能なことである。されば世界より今後も戦争を除くことは不可能」な状況にある。個々の人間は人間性にあふれ、お互い愛し合うことを願うが、その個々の人間の集合体である国家(日本国を含む)は、「人間性の要素をもつ野獣」と変わらない。
                 
日本が「アジア諸国を植民地から開放する」という大義の下、耐えきれないほどの犠牲を払って戦った大東亜戦争(戦後「太平洋戦争」と呼称が変更された)の戦陣に散華した方々が「悪いことをした人たち」のように思われ続けていることは真に悲しいことである。

いわゆる「従軍慰安婦」問題や、「南京大虐殺」問題は、「人間性の要素をもつ野獣」である国々がそれぞれ自己保存の本能に動かされているため未来永劫解消されることはないであろう。国際社会における「五濁悪世」は絶対無くならないであろう。

今を生きる日本人は、「自分たちが何者であり、何処から来て何処に行こうとしているのか」よく自覚する必要がある。前の戦争で戦った人たちが教養として身につけていた萬葉集や古事記・日本書記などに書かれていることを、我々日本人は学び直す必要がある。

以下のことは遺跡・史書・科学的知見に基づく真実である。
 ① 日本の歴史書『日本書記』『続日本紀』の記述にある「高麗(こま)」は「高句麗(こうくり)」のことである。同書に記述されている高麗人の官位は高句麗の官位である。
  岩波文庫『日本書記』(二)の「補注(巻第九)の九」の項に、高麗を日本でコマとよむことになったいきさつ、及び「コマ」の漢字に「狛」が使われたいきさつ、について記述されている。
 ② 中国と北朝鮮の間の国境(鴨緑江)近くの中国吉林省通化市に建っている好太王碑(こうたいおうひ)(「広開土王碑(こうかいどおうひ)」とも言われる)石碑に刻まれている文言の一部。好太王は高句麗の第19代の王である。また「辛卯年」は西暦391年である。
  百殘新羅舊是属民由來朝貢而倭以辛卯年來渡海破百殘■■新羅以為臣民」
  ■■は「加羅(から)」と判読されている。「倭」は日本、「百殘」は「百済」のことである。日本は海を渡って百済・加羅・新羅の人々を臣民にしたのである。
 ③ 高句麗と百済の支配層は扶余(ふよ)(現在の中国東北部にかつて存在していた民族・国家)の出であり、中国の清王朝を支配した満州族と同じ女真族である。中国の歴史書には、高句麗と百済で使われていた言語は似ている、と書かれている。一部の研究者は、高句麗語は朝鮮語とは遠く日本語には近い、と指摘している。
 ④ 高句麗は西暦663年の白村江の戦いで百済が滅びて孤立し、西暦668年に中国唐王朝により滅ぼされ、高句麗の北部の民は現在の北朝鮮北西部に隣接する中国遼寧省朝陽県に強制移住させられた。高句麗に遺った民は高句麗の再興を図ったが全て失敗した。高句麗の遺民の一部は日本に渡って来た。
  日本には地名で「狛江」「高麗」「巨摩」などは渡来帰化した「高麗人(こまびと)」に由来するものである。
 ⑤ 高句麗に関する歴史認識について、高句麗が現在の韓国・北朝鮮の歴史と連続するものであるかどうかについて論争がある。(Wikipedia「高句麗論争」)
 ⑥ 『隋書倭國傳』の一部。
  「新羅・百濟皆以倭爲大國多珍物、並敬仰之、恆通使往來。」(新羅・百濟、皆倭を以て大國にして珍物多しと爲し、並びに之を敬仰し恆(つね)に通使・往來す。)
 ⑦ 『日本書記』雄略天皇八年春二月(はるきさらぎ)の条の一部。
  新羅王・・(中略)・・乃使人於任那王曰、高麗王征伐我國・・(中略)・・伏請救於日本府行軍元帥等」(高麗王・・(中略)・・乃(すなは)ち人(ひと)を任那(みまな)の王(こきし)のもとに使(や)りて曰(い)はく、「高麗の王、我(わ)が國(くに)を征伐(う)つ。・・(中略)・・伏(ふ)して救(すく)いを日本府(やまとのみこともち)の行軍元帥等(いくさのきみたち)に請(こ)ひまつる」

 万葉の時代、「やまと言葉」は漢字の持つ意味の部分を無視して、その音や訓を使って仮名としての漢字が用いられていた。日本書記が編纂された時期には、「やまと言葉」を中国語の漢字の意味に当てはめた漢字が用いられた。上記括弧( )内の文字は「やまと言葉」である。

われわれ日本人は「やまと言葉」を話していた人々の子孫である。彼らは縄文人と渡来系弥生人が混血した人々であった。縄文人はホモサピエンスがアフリカを出立した早い時期にユーラシア大陸でヨーロッパ系の人々と分岐した人々で、北海道から沖縄までの日本列島でしか生き残ることができなかった人々である。渡来系弥生人は長江中流域からポートピープルとなって直接または遼東半島→朝鮮半島南部経由で日本に渡ってきた人々である。

北朝鮮は核・ミサイル兵器をちらつかせて、日本に脅威を与えている。もしかして北朝鮮には扶余系・女真族の人々の血が濃く混じっている人々が多いのかもしれない。歴史は繰り返しているように見える。私は、我々日本人は自分たちのルーツを知り、自分たちの歴史を知ることによって、国際社会の中で生き残ることができる、と思っている。


2017年4月27日木曜日

20170427『仏説阿弥陀経』について(17)


日本で仏教を広めるため最初に尽力されたのは聖徳太子である。聖徳太子は二十歳のとき推古天皇の御世(西暦593年〜628年)の皇太子で、厩戸豊聡耳皇子(うまやとのとよとみみのみこ)という名前であった。『日本書記』には厩戸皇子に「録(まつりごと)摂政(ふさねつかさど)らしむ。万機(よろずのまつりごと)を以て悉(ことごとく)に委(ゆだ)ぬ」とあり、厩戸皇子は推古天皇に代わって政治を行っていた。『日本書記』には、厩戸皇子は「内教(ほとけのみのり)を高麗(こま)の僧(ほふし)慧慈(ゑじ)に習(なら)」とある。

『日本書記』には推古天皇の三年(西暦596年)に「高麗(こま)の僧(ほふし)慧慈(ゑじ)帰化(まうおもぶ)く。則(すなはち)皇太子、師(のりのし)としたまふ」とある。なぜ、元正天皇の御世・養老四年(西暦720年)五月に完成した日本の正史『日本書記』の記述が「高句麗」でなく「高麗」なのか謎である。

聖徳太子が師事した慧慈は仏教の真髄を正しく把握し、正しい仏教を習得した高僧であった。聖徳太子は慧慈に八年間師事して仏教の真髄を学び、これによって仏教的な世界観や人生観を確立し、仏教の正しい信仰に徹することが出来た。(前掲『仏教要語の基礎知識』による。)

『日本書記』には高麗と書かれているが高麗の建国は10世紀であるから私は高句麗が正しいのではないかと考える。高句麗は朝鮮半島の北部にあった国である。高句麗と百済の支配層は同族であり、現在の中国東北部(満州)にあった国・扶余の出身であったと言われている。百済は西暦663年に滅び『日本書記』には合計3,100人余りの百済人が日本に渡って来て、現在の大阪・滋賀・愛知・岐阜あたり(古代で「東国」と呼ばれた地域)に居住したことが書かれている。当時、百済には「倭人」と呼ばれた日本人も住んでいたようで、上記3,100人余りの中には倭人も含まれていたかもしれない。

高句麗は西暦663年の白村江の戦いで百済が滅びて孤立し、西暦668年に中国唐王朝により滅ぼされ、高句麗の北部の民は現在の北朝鮮北西部に隣接する中国遼寧省朝陽県に強制移住させられた。高句麗に遺った民は高句麗の再興を図ったが全て失敗した。高句麗の遺民の一部は日本に渡って来た。『続日本紀』によれば、元正天皇の御世の霊亀二年(西暦716年)に、現在の静岡・神奈川・千葉・茨城・栃木各県に居住していた高句麗遺民1799人を現在の埼玉県北部に「移住させ、初めて高麗郡を置いた」とある。

日本には高句麗滅亡後新羅からも僧侶など人々が渡って来ている。『続日本紀』に天平宝字二年(西暦758年)に「帰化した新羅僧32人・尼2人・男19人・女21人を武蔵国の未開発部に移住させた。ここに初めて新羅郡を設置した」とある。新羅郡は後に新座郡と改められた。

『続日本紀』には、孝謙天皇の御世、天平宝字元年(西暦757年)に「高麗・百済・新羅の人たちで以前より聖化(天皇の徳化)を慕って来朝し、わが国の風俗になじみ、姓(氏)を給わることを望む者は、すべてそれを許し認めよ」とある。ここでも「高麗」となっている。

千数百年も経てば2n(注:nは世代数、例えば一世代を25年とすれば100年で四世代、千年で40 世代となる)で拡散するので、縄文人の遺伝子を基層としている現在の日本人の遺伝子の一部に日本に渡って来た百済人・高句麗人・新羅人の遺伝子が含まれていることは間違いないだろう。皆、同じ母から生まれた「同胞」になっている。

江戸末期の漢学者・歴史家・詩人・書画家・頼山陽は、その作詞『百済を復す』の中で、「唐と吾と孰(いず)れか得失 忠義の孫子(そんし)海を踏みて来り 長く王臣と為(な)りて王室を護る」と詠っている。この詩の「王室」は「皇室」のことである。日本が42,000人の兵と800隻余りの軍船を送り、百済の兵5,000人と共に当時の中国・唐と朝鮮の新羅の連合軍と戦った西暦663年の白村江の戦いに敗れ、滅ぼされた百済から日本に渡ってきた人々は日本の朝廷に貢献したことが『日本書記』に記述されている。

余談であるが、Wikipediaによれば“『扶桑略記』には寛平6年(884年)の9月(旧暦)に新羅船45艘は対馬を襲ったが、日本は大宰府の奮戦で、これを迎撃して危機を脱した。合戦後の捕虜となった新羅人の賢春は尋問で、前年来の不作により「人民飢苦」の状態が続き、新羅では「王城不安」だったと答えている”とある。

ところで百済・高句麗の支配層は現在の中国東北部(満州)にあった国・扶余の出身である。日清戦争の時の「清」は女真族が建てた当時の中国であり、日清戦争後日本が進出した満州も元々女真族が建てた地域であった。私は現在の東アジアの状況を観ずると国際社会の中の「宿縁」を感じざるを得ない。

さて、仏教の経典が釈尊没後どのような過程を経て成立したかということはWikipediaに示されている。釈尊(釈迦牟尼 Sākyamuni サークヤ族の聖者)がこの世を去られて直ぐ、「僧伽、サンガ」と呼ばれる出家者集団で個人個人が釈尊から聞いた釈尊の言葉を集める作業(結集)が、マハーカッサパ(魔訶迦葉尊者)が中心になって行われた。聖徳太子が高句麗の高僧から学んだ仏教のルーツはこの結集にあるのである。


2017年4月21日金曜日

20170421『仏説阿弥陀経』について(16)


朝のあるテレビのワイドショーを見ていたらレギュラーのコメンテーターT氏が北朝鮮問題について「日本はもっと外交努力するべきだ」という趣旨のことを言った。ある新聞の記事には某野党の女性論客Y氏が審議入りしたテロ対策法案について安倍総理との論争の末、安倍総理に対して「器が小さいんだよ!」と言い放った、と書かれている。あるテレビの昼のワイドショーである女性コメンテーターは「従来外交の話し合いだけで平和を守ることができると思ってきたが、平和は力によって守られると言われると驚く」というようなことを言っていた。

東條元首相は処刑される前に遺言を残している。それには「国家から欲心を除くことは不可能なことである。されば世界より今後も戦争を除くことは不可能なことである」と書かれている。正にその通りである。平和は軍事力・経済力・外交力など力によること以外に保つことはできない。平和ボケした日本人は今ようやくそのことに気付き始めた。

人々は自分たちの人間性を確信し、自分たちが野生動物たちとは異なる崇高な存在であると確信し、国家が野生動物たちと同じ様な存在であることを認めたがらない。ところが現実は国家というものが理性を供えているが野生動物のように生存のため暴力を振るう組織、即ち軍隊を持ち、自分の国に歯向かう国家への警戒心を持ち続けている。軍隊という力なしには国家は生き残ることは出来ない。

今回アメリカは日本とアメリカの同盟が如何に強固なものであるかとうことを日本に敵対する国に対して実際の形で見せつけた。アメリカは「平和は力で守られる」と世界に向けて公言し、日本に危害を加えることは即ちアメリカに危害を加えることと同じことであるということを鮮明にした。

それでも日本は安心していてはならない。同盟国のアメリカといえども欲心があり、日本の防衛のため自国民が犠牲になることは望まない。日本は自らの国を自らの力で守りきるという覚悟を持たなければならない。国民の最大多数が安全と安心と繁栄を確保することこそが国民の最大多数の幸福になる。Y氏の器量では安倍総理の器量を測れないだろう。

人間の社会では野生動物の社会と同じように生存及び自己保存のために争いが絶えない。釈尊がおっしゃったようにこの世は五濁悪世である。五濁とは劫濁(こうじょく)・見濁(けんじょく)・煩悩濁(ぼんのうじょく)・衆生濁(しゅじょうじょく)・命濁(みょうじょく)の五つのことである。劫濁は「時代の穢れ」、見濁は「邪悪で汚れた考え方や思想が常識となってはびこる状態」、煩悩濁は「欲望や憎しみなど煩悩によって起こされる悪徳が横行する状態」、衆生濁は「心身ともに人びとの資質が衰えた状態」、命濁は「自他の生命が軽んじられる状態」である。(真宗大谷派東本願寺ホームページより引用)

それでも人間は生存及び自己保存のため最良の方法を求め続けて進化してきた。釈尊がおっしゃっているように、今を生きる人の人生は前世の宿縁の続きである。人は自分の前世の悪い宿縁を断ち切るように努力する人生を送らない限り、自分の来世においても悪い宿縁が続く。釈尊はそのように説いておられる。

人間の集合的組織体である国家も同様である。国民の大多数が五濁の悪い宿縁を断ち切るように努力しない限り国家の有り様は変わらない。悪い人間の来世が修羅か地獄か餓鬼か畜生かに転生するように、国民の大多数が五濁の悪い宿縁をもっている国家はなかなか良い国家に進化することができないのである。

『脳科学は宗教を解明できるか』(春秋社刊)という本がある。これにはポパー(Sir Karl Raimund Popper)の“三つの「世界」”のことが紹介されている。それによると“「世界Ⅰは物質の様相」、「世界Ⅱは各個人の心を成す意識」そして「世界Ⅲは文化の様相」であり、それぞれ存在しているものである。宗教はこの三つの世界のすべてと関わりを持つ。”としている。

『佛無量壽經卷上』には「我聞如是 住王舎城 耆闍崛山中 與大比丘衆 万二千人倶 一切大聖 神通已達 (私は、仏(ほとけ)が一時、王舎城(おうしゃじょう)の耆闍崛(ぎじゃくつ)山中に大比丘衆一万二千人と俱(とも)に住んでおられたとき、皆(みな)大聖(だいじょう)で已(すで)に神通(じんづう)に達していた、ということを聞いている。)」という書き出しで、釈尊が認識した仏の世界のことが説かれている。“一時佛”の仏とは釈尊のことである。

王舎城は摩竭陀国(まがだこく)の王都であった。耆闍崛山は王舎城近郊の山頂にある精舎(しょうじゃ)である。精舎は寺院のことである。今から約2500年前の古代インドで修業と座禅を重ね禅定にはいった人々は皆大聖(だいじょう)となり、宿命通・天眼通・神足通などの神通力を得ていた。そういうことがこの『佛無量壽經卷上』の初めに書かれている。大聖とは高位の菩薩のことである。『佛無量壽經卷上』の初めの部分にその菩薩の名前が挙げられている。その中に舍利弗・阿難など釈尊の十大弟子の名前がある。舍利弗(しゃりほつ)はシャーリプトラ、阿難は阿難陀(アーナンダ)とも言い、彼は釈尊の従弟である。


幸い多くの日本人は先人たちのお蔭を被って、ポパーの「世界Ⅲ」を共有している。日本人は五濁悪世からなるべく離れることが出来るようになっている。真に有難いことである。

2017年4月15日土曜日

20170412『仏説阿弥陀経』について(15)


私は、今から約2500年前のインドで仏教を開かれたお釈迦様(釈迦牟尼・梵語Śākya-muniの音写・シャークヤ族の聖者・釈迦牟尼世尊・釈尊)はユリ・ゲラー(Uri Geller)が持っているような超能力をはるかに超えた超能力を持っておられたお方であったに違いない、と思っている。

アメリカのCIAはユリゲラー(Uri Geller)の超能力を公認したと言われている。ユリ・ゲラー(Uri Geller)は遠隔地から透視する能力を持ち、また念力でスプーンを曲げることもできると言われている。

世の中には科学の常識では理解できないことが実際に起きている。科学が未発達な時代にはそのような超能力をかなり多くの人が発揮できたと思われる。その中で釈尊は普通の人では絶対に見通せないような極めて遠い過去のことも極めて遠い未来のことも見通す力を持っておられたお方であったに違いない。

釈尊は王家に生まれ、7歳の時生母を亡くされたが裕福な環境に育ち、幼少の頃から古代インドの宗教・バラモン教の教えを学んでおられた。バラモン教、後のヒンズー教では輪廻転生と輪廻からの解脱の方法について説かれている。仏教では輪廻転生が説かれている。

釈尊は普通の修業者では到底身に付くことができないような神通力をお持ちであったに違いない。その神通力の一つに最も重要な「宿命通」と言われる力がある。これは前世から決められている運命を識(し)ることが出来る能力のことである。

釈尊は王家の長男であり、ヤソーダーラという名前の妃とラーフラという名前の息子がいた。ラーフラは『仏説阿弥陀経』に書かれている羅睺羅(らごら)のことである。羅睺羅は釈尊の十大弟子の一人である。

釈尊は29歳の時妻子を捨てて出家し、難行苦行をし、欲望を制御し、座禅瞑想を続けてついには禅定に入り、その禅定を深化させ、ついには真理を悟って仏陀(Buddha)になられた。仏陀になられた釈尊は極楽の国土が存在していることを知り、その国土がどのようにして作られたのかを知った。『無量寿経』にはそのことが詳しく述べられている。

釈尊は十大弟子の一人・多聞第一(たもん・だいいち)と称せられた阿難陀(あなんだ)に対し、法蔵(ほうぞう)という菩薩が天文学的な時空を超えた過去に「自分も仏陀となって世の為に尽くしたい」と誓ったということを語られた。因みに阿難陀は釈尊の従弟である。

法蔵菩薩はどの宇宙の中でのことかはわからないが元は王の一人であり、自分の国や財産を捨てたお方であった。この法蔵菩薩は後に阿弥陀仏となられたお方である。法蔵菩薩は四十八の願(がん)を立て、五劫、即ち一つの宇宙が誕生し消滅するまでの時間の五倍と言う極めて長い時間をかけて修業し、ついには西方の極楽世界に成仏され、十劫を経た今現在も人々を救いの手を差し延べておられる。因みに1劫は422000万年とされている。

法蔵菩薩は第十八願(がん)で「設我得佛 十方衆生 至心信樂 欲生我國 乃至十念 若不生者 不取正覺 唯除五逆 誹謗正法 (よしんば我仏を得んとも 十方の衆生心の信楽に至ること 我が国に生まれることを欲すること 乃至 十たびの念 もし生じざれば 正覚を取らじ。唯五逆と正法を誹謗するを除く。)」

括弧( )内は、私が訳した訓読である。間違っているかもしれない。これを私は次の括弧“”内のとおり、現代語的に意訳する。“(修業中の)私(法蔵菩薩)が、仏の法を会得したとしても、人々が心の底から仏の本当の願いを信じて喜ぶこともせず、私が住んでいる仏の国に生まれることも希望せず、そればかりか十回の念(忘れない思い、念仏)さえも、もし出てこない状態であるならば、私は仏の悟りを体得しない。しかし仏教に目覚めた人は仏の本当の願いを知り、仏の国に生きることを望み、何度も念仏を唱えることであろうから、私(法蔵菩薩)は修業に修業を重ねて仏の真の悟りを体得し(阿弥陀仏)となり、人々を救うであろう。ただ、自分の父を殺す人々、自分の母を殺す人々、仏教の修業の最高段階に達した人を殺す人々、仏教僧の団体の和合を壊す人々、仏の身体を傷つける行為をする人々、及び仏法を誹謗する人々を救うために私は仏になることはない。” 会得は「頭で理解すること」である。一方体得は会得したとおりに体が出来上がっていることである。

中国大陸や朝鮮半島で儒教の普及により仏教が衰退した。ところがわが日本国では聖徳太子や聖武天皇のお働きにより仏教が定着し今日に至っている。鑑真和上は聖武天皇の御世、新たに僧尼となる者に戒を授けるため危険を冒して日本に渡って来られたお方である。武士の時代においても例えば鎌倉の建長寺を開いた蘭溪道隆(らんけい どうりゅう)は南宋から渡来した禅僧であった。日本には奈良時代の昔から数多くの仏僧が中国から日本に渡来し、日本に帰化して仏教を広める活動をされた。日本はそういう国である。

 このお蔭を被って、今、こうして一市井の無名老人である私も、釈尊の教えに接することが出来ている。真に有難いことである。日本人の大多数の人々は、悠久の歴史の中で、先人たちのお蔭を被ってそれぞれ良い輪廻転生の中でそれなりに幸せな今生を送っている。