2015年1月7日水曜日

20150107国家は一つの生物種である(18) ―― 国家の進化と多様化――


 生物はその進化の過程において自然淘汰によって進化してきたのではないということである。遺伝子に突然変異が起きたときその突然変異が環境への適応に有利な遺伝子である場合、代々世代を重ねる間にその遺伝子が集団の間に次第に広がり、環境に適応した新たな種が誕生する。しかし突然変異のほとんど多くは環境への適応に有利な遺伝子でもなく、不利な遺伝子でもない中立な遺伝子への変異であると言われる。突然変異した遺伝子の中でごく稀に環境への適合に有利な遺伝子が出現し、それが生き残って世代を重ねる間に増えて行った場合に、新たに進化した種が誕生する。そのようにして生物は進化し多様化する。パン酵母も稲も鳥も魚も猛獣も人類も進化・多様化の過程で分岐して行ったものである。人類を含め生物は皆同根である。

人間の遺伝子には年間3個の突然変異が起きている。20万年前、今世界に拡散している人類が誕生して以来、人類はそれぞれの環境で進化し続けていて今日の多様な人種の構成になっている。それでも人種間における遺伝子の違いは1%も無いという。

突然変異は細胞分裂時の遺伝子複製の過程で遺伝子の混成(シャフリング)が起きるため生じるという。我々の体の細胞の中で頻繁に起きているこのような現象を国家のレベルで考えてみたい。

国家において国民は細胞のようなものである。世代を重ねるうちにその細胞の中の遺伝子はシャフリングされてゆく。日本人は縄文人を基層集団にした多様な人種の混血である。しかし日本は神武天皇以来2675年の間万世一系の天皇を戴き、長い年月を重ね、皆同胞であり親族のような単一民族の国家である。人々は「互いに助け合った方が得であって、他人を押しのけても、結局は損になると骨身にしみている(文化人類学者・船曳建夫氏寄稿の読売新聞1月6日付け記事より引用)」。

日本には極端な貧富の差はない。日本の過去の歴史をみても為政者が人々を苦しめて自分たちだけが富をかき集めるというようなことは無かった。仁徳天皇(313年〜399年)は群臣に詔(みことのり)して「高台に登って遠くを望んだが家々に煙が上がっていない。これは百姓たちが貧しいためであろう。向う三年間はことごとく課税をやめ、百姓たちを苦しみから救え」という趣旨のことを言われた(参考:岩波文庫『日本書記(二)』)。後世の権力者たちは仁徳天皇の徳政を手本にしてきた。

『安岡正篤 易経講座』で安岡正篤先生は「陰なくして陽はない、陽なくして陰はない。陰と陽とはまったく相対的なものであって、その相対に即して対立している。・・(中略)・・陰陽の調和が大事なんで、本当に調和すれば中の力が強くなる」と言っておられる。この「中」の精神こそ、日本という国家が進化する過程で獲得したものである。日本は先の戦争でアメリカに降参し、「中」を得て新たな環境に適応することができた。天皇はその「中」の精神の象徴であらせられる。

日本という国家はそれぞれ進化してきた多数の国家群の中の一つとして独自に進化しているが、様々な圧力に屈して「中」の精神を忘れるようなことが決してあってはならない。

民主党のある有力政治家が堂々と第一番の理念として「夫婦別称」を掲げた。これは結局のところ「女系天皇」への道を開くものである。このこといついては論理よりも直感が重要である。ただし問題についての理解不足もあるので議論は尽くす必要がある。

歴史上中継ぎの天皇として「女性天皇」は何度も存在した。それは中継ぎであるからY染色体遺伝子の継承は途絶えることはなかった。しかし「女系天皇」を是とするようになればミトコンドリア遺伝子の継承となり万世一系ではなくなってしまう。日本の「中」の精神は見失われてしまうだろう。日本という国家の進化はそこで止まってしまうに違いない。
(関連:①『安岡正篤 易経講座』に学ぶ(18)(20120114)
http://hibikorejitaku.blogspot.jp/2012/01/1820120114.html 

②古代、記録に残っている渡来人の数(20120701)
http://hibikorejitaku.blogspot.jp/2012/07/20120701-m7a-d2-5000-2500-20120505-1000.html 

聖武天皇(17)「皇統・皇室を守ることこそ日本国内外の平和につながる」(20120601)
http://hibikorejitaku.blogspot.jp/2012/06/20120601-270-310-1-8670-781-806-539-571.html  )