2015年1月13日火曜日

20150113国家は一つの生物種である(19) ――いわゆる従軍慰安婦問題――


 平成27年(2015年)113日付け産経ニュース(インターネット版)に『中国にとって日本はもはや「大国」ではなくなったのか』と題して以下の記事があった。“中国にとって日本とは何かという問いは、日本にとって中国とは何かという問いと同様、きわめて重要なものである。戦後70年となる今年、私は日中関係の改善を願うが、あまり楽観的にはなれない。(フジサンケイビジネスアイ 元滋賀県立大学教授・荒井利明)”

前回『20150107国家は一つの生物種である(18) ―― 国家の進化と多様化――』でも取り上げたが、文化人類学者文化人類学者・船曳建夫氏は読売新聞1月6日付け記事で「日本人論」について“西洋の側ではないが、さりとてアジアにも戻れない。何処にも仲間がいない孤立感を裏返して、肯定するようになったのでなないか」と分析する”と述べている。

フランスの連続銃撃テロ事件の犠牲者を追悼する大行進がフランス全土で370万人に達した。このパリ大行進にはオランド仏大統領・メルケル独首相・キャメロン英首相・レンツイ伊首相・ネタニヤフイスラエル首相・ケイタマリ大統領・アッパスパレスチナ自治区政府議長らも腕を組んで歩いた。近年の欧州の特殊な事情がそのような連帯感を生んだ。日本はG8のメンバーではあるが、ほとんど多くの日本人は日本と欧州の間でそのような直接的な連帯の必要性を感じていない。しかしもしこの日本国内でそのようなテロの危険性が高まれば話は全く別である。

韓国の朴槿恵(パククネ)大統領は12日行われた新年の記者会見で安倍首相との会談について、“日本との新しい関係を模索する。一歩前進できる首脳会談にしなければならないが困難がある。元慰安婦のおばさんたちが生存している間にうまく解決することが重要だ”と述べた。

これに対して菅官房長官は“隣国の首脳が会うのに前提をつけるべきではない。いわゆる従軍慰安婦問題については政治的、外交的問題にすべきでないという考えを韓国側に粘り強く伝えていきたい”と述べた。一方、岸田外相は“首脳同士の意思疎通は重視されなければいけない”と述べ、首脳会談の実現に向けて努力する姿勢を示した。その上で、いわゆる従軍慰安婦問題については“安倍首相も心が痛むという思いをたびたび表明している。21世紀は女性の人権をはじめ人権侵害のない世紀にしなければならない”と述べた。

日本はいわゆる元従軍慰安婦に対して小泉首相(当時)は手紙を出し、“政府と国民が協力して進めている「女性のためのアジア平和国民基金」を通じ、元従軍慰安婦の方々へのわが国の国民的な償いが行われるに際し、私の気持ちを表明させていただきます。いわゆる従軍慰安婦問題は、当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題でございました。私は、日本国の内閣総理大臣として改めて、いわゆる従軍慰安婦として数多の苦痛を経験され、心身にわたり癒しがたい傷を負われたすべての方々に対し、心からおわびと反省の気持ちを申し上げます”と書いて日本人の気持ちを伝えている。日本は従来から一貫して韓国に対して誠実に対応して来ている。

日本は韓国による竹島の不法占拠や中国による尖閣諸島への不当な干渉があるにも拘わらず、韓国や中国に対してひたすら誠実に、日本と中国・韓国との間の関係改善のための努力を傾注して来ている。それにもかかわらず状況は少しも改善されていない。

日本は大東亜戦争(戦勝国アメリカによって「太平洋戦争」と呼称変更)中、東京大空襲で10万人もの人々が一挙に死んだことや原爆投下で何十万人も死んだにも拘わらず、「あれは大変な災難だったと」自らを慰め、ひたすら平和への道を歩んできた。

日本はひたすら忍耐・辛抱・努力を惜しまず、礼儀正しく、懸命に平和を保とうとしている。それは、「‘生物種’としての日本国家」が自らの存続のため、環境に適応して行こうとする過程である。もし他に適応の道が無ければ、日本は今でも常に起きている突然変異の中から、環境に適応するため有利な‘遺伝子’を選び、飛躍的な進化を遂げることになるかもしれない。

生物はそれぞれ孤立している。生物は同じ種同士仲間になるが、自らの存続のため仲間を殺すこともある。異なる種同士では自存のため共生する以外は個々に孤立し、敵対している。‘生物種’としての日本も同様である。


日本と隣国・同盟国との関係を気にする日本の学識者・マスコミの記者・一般大衆の気持ちは分かる。しかし少なくとも日本の志ある政治家や中央官庁の官僚たちには、「‘生物種’としての国家」同士の対立と協調についてしっかりとした考え方を持ってもらいたいものである。明治の軍人・政治家・官僚たちは日本の自存・自衛のため今何を為すべきか、ということを良く心得ていたと思う。