2017年7月25日火曜日

20170725雑感


 男は毎朝5時前に起きて、近くの川の周りを散歩している。男はウオーキング用の衣服とヘッドバンド、家の鍵・携帯電話(スマートフォン)及び飲料水のボトルなどを前日の就寝前に準備してあるので5時にはすぐ出かけられる。

 ウオーキングのコースはその朝の気分次第で色々なルートを選ぶ。今朝は9300歩ほど歩いた。肩や腕の各所の筋肉をほぐすため、バーベルを持ち上げるように和タオルの両端を両手で持って肩の後ろで上げ下げしながら歩く。

 川の堤防の上に小さな空き地があり木陰になっている所にベンチが置かれている。其処にさしかかった時、男は女房がかつて訪問介護のヘルパーとして働いていた頃のことを思い出した。彼女は其処で一休みしながらおにぎりなどの昼食をとり、その後午後の訪問先に向かっていたのであった。彼女はそのようにして働きながらしばしば休みを取って九州の田舎に帰り、其処で独り暮らしをしている母の介護をしていた。

その母は彼女の実母であり男の継母であった。男はウオーキングの後シャワーを浴びた。そして朝食の準備をしている彼女の肩を抱きながら言った。「お前はよく頑張ったね。有難う」。女房は母を介護しているときでも、ホームヘルパーとして働いているときでも常に相手のことを思いやり、最善を尽くしていた。彼女は「利他」の精神にあふれ、その行為を受けた相手が喜ぶ様子を見て彼女も喜んでいる。彼女の介護を受けていた方が他界した時、彼女はその葬式にも参列したこともあった。

早朝、川の周りをウオーキングをしている人たちやジョギングをしている人たちは多い。犬を散歩させている人たちもいる。すれ違う人たちの容貌はさまざまである。縄文系と思われる容貌や渡来系と思われる容貌。日本人の容貌はバラエティに富んでいる。男も女房も縄文系の要素が多い。日本人は容貌・体つき・気性などの何処かに縄文人の遺伝子によるものを持っている。

 縄文時代は16000年前から3000年前まで13000年間も続いた。その縄文時代は日本人の精神に何らかの影響を与えている。日本人の「利他(RITA)」の精神・「和(WA)」の精神・「おもてなし(OMOTENASHI)」の精神は縄文時代に培われたものであるに違いない。それらの精神は田舎で受け継がれている。

 今、国政選挙における「一票の格差」が問題になっている。左翼的な弁護士たちは、都会と田舎の間では「一票の格差」が大きいため多数決による弊害が生じていると主張している。その「弊害」とは富の分配に関わることだけなのか?

 日本人のアイデンティティには縄文人の「心」が深く関わっているに違いない。もし日本から田舎が無くなってしまったら、日本人の「心」は不安定な状態になってしまうことだろう。「一票の格差」はそういう問題意識を持って考えられるべきではないのか?