2017年10月29日日曜日

20171029リベラル ―― 北朝鮮への対応 ――


 NHKの日曜討論を視聴した。北朝鮮との交渉について、「これ以上交渉の余地はない」とい言う立場と、「交渉の余地はある」と言う立場の二人の論者の間の議論を聴いて感じたことがある。それは、前者は非リベラルの立場で、後者はリベラルの立場で、それぞれ自分の見解を述べているのだということである。

 北朝鮮の核兵器について、リベラルの立場では北朝鮮の心情を察し、北朝鮮に対する圧力発言が無くなれば北朝鮮は核放棄の交渉に応じるだろうという観方をする。一方、非リベラルの立場では、北朝鮮は絶対に核兵器を放棄しないので交渉の余地はない、という観方をする。北朝鮮は南北統一を達成するため核兵器を捨てることは絶対ないに違いない。

 リベラルの立場の人たちは人間性を信じ、国家は野生の動物のような行動はしないものであると信じている、或いはそう信じたいのだろう。一方、男のように非リベラルの立場の者は現実主義者である。現実主義者は人間性を信じるが、人間は生存のために人間性を失うこともあると考える。現実主義者は、野生の動物たちがそれぞれ生存のための力を有しているように、国家も自存のため強力な軍事力を持とうとするものであると考える。

 旧日本帝国は自存のためアメリカ・イギリスと戦争をした。その過程で日本軍は蒋介石の中華民国軍とも戦った。その上日本軍は蒋介石に対抗する毛沢東の策略にはまってしまい、結果的に毛沢東の戦略に利用された。

日本は生存のため、圧倒的に強力な軍事力を持っているアメリカとの間で同盟を結んでいる。日本とアメリカとの間の双務的、但し日本の専守防衛の範囲に限る同盟関係を構築するため、自民党と公明党の連立与党はリベラル政党からの非常に激しい反発を受けたが、平和・安全の法制を整備するための諸法律を成立させた。

 この法律は日本の防衛のために行動するアメリカ軍に対して、自衛隊が支援を行うことを認める法律である。民進党を分裂に導いた前原氏はこの法律は憲法違反であるとし、これを廃棄すべきであると主張している。リベラルな立場の人たちは、たとえ専守防衛のためとは言え、自衛隊がアメリカ軍と一緒になって日本本土の防衛及び紛争地域に居住する日本人の救出のため行動することは危険であるとして、この法律を廃棄すべきと主張している。

 リベラルの立場の人たちは次に示す三つの現実をどうしても理解することができない。①国家は野生の動物のような側面を有していること。②軍隊は外交上有効な手段の一つであること。③日本国憲法前文にある“平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼する”だけでは、日本の生存は保証されないということ。

 北朝鮮の脅威に対する感じ方は人それぞれにより違うものである。「人間の理性・高邁な道徳観」などを自分の日常の暮らしの中で高く位置づけていても、人は自分自身に危険が迫ってくれば、自分の身を守るため何かを為そうと行動するものである。

知識の障壁・感情の障壁・文化の障壁は将来起こりうる問題の事前認識を妨げる。北朝鮮の脅威に対する感じ方が十人十色であることはやむを得ない。北朝鮮の脅威が実際に表に現れれば、人々の考え方も変わるだろう。そうなればリベラル派の人たちの数も減るだろう。

 政策に関して情報や知識が広く一般の国民の間に共有されるようになれば、穏健・中道の政党の間の違いが一層明確になる。そうなれば、穏健・中道の政党である「希望の党」・「日本維新の会」や一部の無所属議員の会派の中から新たな政党を誕生させる動きがでてくるかもしれない。

 政権交代可能な野党の存在は必要である。その野党は穏健・中道思想の人たちだけの勢力でなければならない。上記の情報・知識に関しては、例えば①プライマリーバランスの黒字化を実現させるためには増税や緊縮財政を実行することだけが正しいやり方なのか?②増税や緊縮財政を実行しなくてもプライマリーバランスを適正にすることができる方法があるのではないのか? これらは与党と対立する政策のため採用することが出来るだろう。

新たに誕生して欲しい上記のような穏健・中道の大政党が財政運営に関して新しい政策を掲げ、国民的な議論を引き起こしてくれるならば、日本における政治は二大政党による円熟した時代に入ることができるに違いない。リベラルなの政治家たちが頼りにする「市民」は非リベラルの政治家たちが奉仕する「国民」ではない。北朝鮮による軍事的挑発は、日本の政治が生まれ変わることができる絶好の機会を提供してくれている。