2014年6月29日日曜日

国家は一つの生物種である(2)(20140629)


 K・ローレンツは『文明化した人類の八つの大罪』として①人口過剰(社会的接触の過多から攻撃性が増大)・②自然破壊(資源の枯渇・自然への畏敬の念の喪失)・③競争の激化(国家はあたかも異なる生物の様)など八つを挙げている。本稿の題名『国家は一つの生物種である』はこれにヒントを得たものである。私の平均的余命は10年プラスマイナスX年である。私はこの余命の間、私の最期までこのテーマについて大学で勉強しながら研究し、思索し、一つの論文として書き続けて行こうと思う。

 前回、日本国の‘DNA’の突然変異が繰り返されていると書いた。「国家は一つの生物種である。国家にも括弧付のDNAがある」という私の主張に対して、多分多くの人は一顧もせず、或いは「無学な年寄りの戯言である」と一蹴することだろう。しかし、私は大真面目でこのテーマを掲げ、遊び半分で私の持論をこのブログ上に展開して行こうと思う。

 私のやり方は「考えながら歩き、歩きながら考え、何かアイデアが閃いたらそれについて書いてゆく」というスタイルなので、論文の筋立てが予め決まっているものではなく、また主張を展開するにあたり前提とする事項や思考過程などを予め記述することもしない。しかし私はその思考過程に関わる幾つかの事項を列挙し、それについて私の持論を述べることをもってこの論文の記述を始めようと思う。

1 人体と国家の類似性
  頭脳と政府、血管網と交通網、神経系と通信系など両者の間には類似性がある。人体を構成する個々の細胞の活動と国家を構成する個々の国民の活動の間にも類似性がある。人体の中でDNAが転写され翻訳されて人体が持続するように、文化が守られ伝統が継承されることによって国家が継続する。人が武器を所持し、これを上手に使いこなすことによって他人から暴力を受けても自分の身を守ることができるように、国家も軍事力を持ち、これを遺憾なく発揮させることができるように準備しておくことによって、外国から武力攻撃を受けてもこれを撃退させることができる。悪人は強い人に対して手出ししないように、他国の領土を奪おうとする国家は強い国家に対しては手出しをしない。

2 人体と武装集団・暴力集団の類似性
  武装集団・暴力集団は公共の交通網を持たないが独自の交通手段を持っている。国家が一つの生物種であるとすれば、武装集団・暴力集団は国家に寄生する反国家的・反社会的生物種のようなものである。

3 突然変異
  最新の科学的知見によれば、「①あらゆる生物のDNAにおいては、その転写・翻訳の過程である確率で突然変異が起きている。②その突然変異は生物の進化にとって有利な場合であるよりむしろ不利な場合が多い。③中立な突然変異は中程度の頻度で起きる。④その生物にとって有利な突然変異が起きたとき、その突然変異はその生物の集団に固定する可能性が高い。」ということである。

4 国家の‘DNA’(前回示したように学術的な用語であるDNAと区別して‘’付けする。)
  国家の‘DNA’はその国家の成立に関わった様々な要素が関わって醸成され、国家の性格・文化・伝統などを特徴付けるものである。日本国家の場合、前回示したように天皇・鳥居・祭り・縄文人の形質・渡来系弥生人の形質などの要素が関わって、聖徳太子の「和(やわらぎ)を以て尊しと為し、忤(さか)らうこと無きを宗(むね)とせよ」・五箇条の御誓文の「広く会議を興し万機公論に決すべし」・吉田松陰辞世の「大和魂」など日本人の精神を特徴付けている。

ティータイム
 日本の交番(KOBAN)制度はブラジルに定着し、広まっているという。これはブラジル国家の‘DNA’に新たな要素が書き込まれたことになる。これが転写・翻訳されて継続するか、消滅するかは、ブラジル国家がKOBAN制度を今後どう考えるかによる。
 「韓国起源説の一覧」というWikipediaページがある。そのページには日本固有の文化など日本の事柄が韓国に起源がるとする主張と、それらの主張に対する個別の反論が記載されている。韓国に起源があると主張されている日本独自の事柄は驚くほど多い。天皇・八咫烏・神社・神輿・祭り・日本語なども韓国に起源があると主張されている。勿論それらの主張に対して明快な反論も記述されている。
当該Wikipediaページには日韓併合時代に日本から韓国に伝わった剣道・柔道・合気道・空手などの武道や、日本独自の精神文化として昇華された華道・茶道などが韓国に起源があるとする主張とその主張に対する反論の記事が出ている。そのうちにKOBANも韓国に起源があるとする主張がでてくるかもしれない。国家として断固とした態度で自国の文化や伝統を維持することは、生物種としての国家が生き残ってゆくために非常に重要なことである。
あらゆる生物が自存し、生き延びようとしているように、世界中のどの国家も自存し、生き延びようとしている。そのため一つの国家と他の国家の間で摩擦が生じ、戦争が起きる。力の差が平和を破壊する。これはどうしても避けられないが現実である。

生物種である国家が自存し、生き延びるためには自らの力を強くするとともに、他の友好的な国家と協力し合って総合的な力をより強くするしか道はない。イワシの大群は群れをなして自らを外敵から守る。わが国の憲法前文にある「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼」するだけでは、わが国は自存し、生き延びることはできないのが現実である。

2014年6月24日火曜日

国家は一つの生物種である(1)(20140624)

 
私のブログ『吟詠』( http://takaban.seesaa.net/ )に吉田松陰の『辞世』を投稿した
(吉田松陰『辞世』:http://takaban.seesaa.net/article/399979435.html
 松陰は嘉永5年(1852年)12月、松陰23歳のとき亡命の罪によって士族の身分(士籍)と俸給(世禄)を奪われて以降安政6年(1859年)10月に江戸伝馬町獄舎において斬刑に処せられるまでの約7年間、実に尊皇愛国一途の日々を送っている。その7年間において実に2年間は獄舎に在り、3年間は松陰の実家・杉家における禁錮扱いにされていた。松陰は獄舎に在った時も禁錮の期間も尊皇愛国の精神を貫きとおし、著作と後輩に対する教育に熱情を注いでいた。
 
 国家を生物種の一つであるとみなせば、日本国は国家として国際的環境その他の諸状況の中で自存しようと行動してきたし、現在も自存を目指して行動をしていると観ることができる。生物種としての日本国の‘DNA’はヒトのDNAと同様に絶えず突然変異をくり返しながら現在に至っている。その日本国の‘DNA’の突然変異の過程において、日本国を取り巻く様々な環境や状況に適合できたものが存続し、現在に至っている。ここでいうDNAとは学術的なDNAのみならず、日本の伝統・文化・精神を含めた概念としてのDNAである。ゆえに本稿では括弧付で表現する。

 生物種としての日本国の‘DNA’のうち最も重要な部分は①天皇・②鳥居に象徴される日本独自の文化・③日本の祭りに象徴される日本独自の伝統・④日本人にのみ独自の縄文人の形質・⑤長江中流域を出発して遼東半島から朝鮮半島南部を経由して九州北部に渡来したグループ及び長江河口から東シナ海を横断して九州南部に辿り着いたグループからなる渡来系弥生人の形質・⑥縄文人と渡来系弥生人との混血により形成された現在の日本人の形質と日本独自の文化と伝統・⑦大陸と陸続きでなかったことにより醸成された日本人に特質的な精神などである。

 松陰は自分の実家である杉家において禁錮の身にあった間、許されていたのは教育活動と執筆活動であった。松陰は日本とアメリカとの間の通商条約について憂い、幽囚の身にあって唯一自由な筆を駆使して『対策一道』という題名の論文を著し、藩当局に提出した。その書に次の一節がある。(“”内に示す。)
 “今日の事、弘安と承久・元弘と似て而(しか)も大いに同じからざるものあり。蒙古(もうこ)は兇威(きょうゐ)を逞(たくま)しくする者なり。墨威(ぼくゐ)は実利を謀(はか)る者なり。戰を以て人の國を屈するは蒙古の計なり。辞を以て人の國を奪ふは墨威の謀(はかりごと)なり。(現代語訳「今日の事は、一見、弘安の役や承久・元弘の変といったものと非常によく似ておりますが、しかしその実、随分と違っています。蒙古はもっぱら暴力による勢いが強く、アメリカは現実的な利益を考えています。戦争によって他国を征服するのが蒙古のやりかたであり、言葉たくみに他国を侵略するのがアメリカのやりかたなのです。」”(講談社学術文庫『吉田松陰著作選』(奈良本辰也)より引用。)


 地上のあらゆる生物には自存力が備わっている。今日、生物種としての日本国は、同じ生物種としてのアメリカ合衆国と同盟関係にあるが、大陸の中国や韓国とは良好な関係にはない。生物種としての日本国に対する脅威は今日では陸続きであろうとなかろうと関係なく、生物種としての中国や韓国から激しい干渉を受けている。これは生物種としての中国や韓国が必然的に自存の行動をするからである。もし松陰が生きていたならこの状況をどう思うであろうか?(続く)

2014年4月25日金曜日

後世のために For future generations


久しぶり寛いで映画を観た。映画と言っても長さ1時間11分余りの「You Tube」の動画である。私はこの映画(「You Tube」動画)を観ていろいろ考えさせられた。この映画(「You Tube」動画)のタイトルは『アメリカ陸軍第442歩兵連隊(US Army 442nd infantry regiment)』である。

この地球上で人類同士の争いは決して絶えることはないであろう。人類は様々な生物種との間の生存競争の中でたまたま最高の知能を獲得することができたにすぎない。人類と雖も生存競争をする生物の一種である。国家は形を変えた野獣のようなものであり、人類の世界はルールが守られなければ弱肉強食の動物の世界と変わらない。

人類は自ら作り上げますます進化させ続けているコンピューターシステムとの生存競争に勝つことができるだろうか?ミツバチや蟻や渡り鳥たちの「群知能」のようなクラウドの中枢になったコンピューターシステムはいずれ人類を超える存在になるかもしれない。

或る日突然宇宙に異変が起きて、人類がこの地球上に居住できなくなるかもしれない。異変が急に起きなくても数十億年もしないうちにこの地球は灼熱の天体となってしまう。その前に選ばれた一握りの人々だけがこの地球から脱出し、火星など他の惑星に移住しているかもしれない。

火星への人類の移住を真剣に研究している人たちがいる。彼らは火星の地上に閉ざされた循環型の生存システムを建設すること考えている。その生存システムの中では日本が得意としている高温好気堆肥菌の技術やかつて日本が得意としていた養蚕の技術が用いられる。

ここにその映画(「You Tube」)と火星への移住を目指す研究に関する資料についてリンクを貼っておく。

本ブログアメリカ陸軍第442歩兵連隊関連記事URL:
   http://hibikorejitaku.blogspot.jp/2010/12/44220101218-442-2442442.html
   http://hibikorejitaku.blogspot.jp/2010/12/20101219-112010442-442442.html
   http://hibikorejitaku.blogspot.jp/2011/01/20110128-442.html
      http://hibikorejitaku.blogspot.jp/2011/02/20110220-701-756-1000.html

   
I did relaxation after a long-time and saw the movie. Even if it calls it a movie, it is a You Tube movie length of 1 hour 11 minute a little more. I was made to consider many things by this movie. The title of the movie is “US Army 442nd infantry regiment”

Struggle between human beings never ceases on this earth. Human beings were only able to acquire the highest intelligence by chance in the struggle for existence between various organism species. Also although it is called human beings, it is a living thing struggling or fighting each other like wild animal for survival fundamentally. A State is like the wild beast into which the form was changed. Human beings' world is not different from the world of wild animal, if a rule is not followed.

Can human beings win the struggle for existence against the computer systems which completed and made to evolve increasingly by themselves? The computer systems which became a center of Cloud like "swarm intelligence" of honeybees, ants, or migratory birds. This may become an existence thing someday exceeding human beings.

An accident will take place in the universe suddenly one day, and it may become impossible for human beings to live on this earth. Even if an accident does not occur suddenly, while there will be nothing within billion of years, this earth will be a scorching heavenly body. Before that, the only a handful of selected people escape from this earth, and may have emigrated to other planets, such as Mars. There are people who are studying the migration of human beings to Mars earnestly.They are thinking to build a survival system of the closed cyclical form fixed on the land of the Mars.

In the survival system, the technology of " Hyper-thermophilic Aerobic Composting Bactreia (Compost Bacillus which likes the hot atmosphere)" developed in Japan and knowledge of the "Sericulture" which was once big industries in Japan are used.

The link is stuck here about the above mentioned "You Tube" movie and the data of the research which aims at migration to the Mars.


2014年1月9日木曜日

20140107意識と仏教(終章)――意識の源と意識がつくるもの――

Consciousness and Buddhist last chapter
    ――What the source of consciousness and consciousness build――

 今年私は77歳になる。私はもうこれ以上日本の国の行く末のことを憂えることは止めた。私は李白の『山中問答』の詩文に共感している。下のURLはその『山中問答』を私自身が吟じているものである。私は「信風」という号で平成11年(2009年)3月以降毎月一題又は二題ずつ私の吟詠を投稿してきた。『山中問答』平成23年(2012年)11月に投稿したものである。私はときどきこれをダウンロードして聴いている。自分の吟詠であるがそれを聴くと何となくいい気分になる。

   山中問答(Shān zhōng wèn dá)   李白(Lĭ bái)
  問余何意棲碧山    Wèn  yú    hé   yì    qī    bì    shān 
笑而不答心自閑    Xiào  ér    bù   dá   xīn   zì    xián 
  桃花流水杳然去   Táo  huā   liú   shuĭ  yăo   rán   qù
別有天地非人間    Bié  yŏu   tiān   dì    fēi   rén   jiān

  余(よ)に問(と)う 何(なん)の意(い)あってか 碧山(へきざん)に 棲(す)むと
  笑(わら)って 答(こた)えず 心(こころ)(おのず)ずから 閑(かん)なり
  桃花(とうか)流水(りゅうすい)杳然(ようぜん)として去(さ)
  別(べつ)に 天地(てんち)の人間(じんかん)に 非(あら)ざる有(あ)


李白は阿部朝臣仲満(阿部仲麻呂)(中国名:朝衡又は晁衡)と交友関係があった。その仲麻呂は故国日本への望郷の思いが募っていたとき唐(当時の中国の王朝)の高級官吏として君主に忠義を尽くす立場であるが自分の両親への孝行ができないことは子として申し訳ないという詩を作った。仲麻呂は54歳の時君主(玄宗皇帝)から許されて帰国の船に乗ったがその船が嵐にあって難破しベトナムの海岸に漂着した。仲麻呂は都長安(今の西安)に戻り70歳で没した。仲麻呂が遭難したことを知った李白は仲麻呂が死んでしまったと思って仲麻呂を追悼する詩「晁卿衡を哭す」と題する詩を作っている。仲麻呂は唐の高級官吏だったので「晁衡」の間に「卿」の字を挟んでいる。

その仲麻呂の望郷の思いを詠った詩を私は下記URLで吟じている。


意識とは何か?意識はどのようにして生じるのか? 科学者たちは今後100年経っても意識を完全に解明することはできないかもしれないと言っている。意識は人間だけに存在しているものである。意識は人間の脳の活動に関係がある。言語・記憶・想像などは意識と深い関係がある。

人間の遺伝子は人間の性格や知能や感情に関与している。遺伝子は神経系の情報伝達に関与していることが少しずつ判ってきている。私は意識というものは人間の脳に碇を降ろしていて人間の身体全体を包んでいるものであると考えている。意識には自分自身で把握しているものと自分以外の第三者の力を借りないと把握できない無意識がある。仏教では無意識の深度に応じて末那識・阿頼耶識・阿摩羅識の三つを説いている。無意識には自分自身が内省して把握できるものから内省しても全く把握できないものまであるのである。人間の行動の大部分はそのような無意識によるものである。
意識の源は体内遺伝子であるDNAである。意識が作るものは体外遺伝子である伝統・文化・慣習などである。個々の人の意識と無意識は集団の集合的な意識と無意識をつくる。私は意識というものは霊魂と同じものであると考えている。仏教では霊魂は天上・人間・修羅・地獄・餓鬼・畜生の六道に永遠に輪廻転生するものであると説いている。私はある人の意識はその人が死んだ後、その人の生前の行いの善悪によってその六道の何れかに移るものであると考えている。これは「思っている」「考えている」というより「信じている」と言った方が私自身の意識に合っている。

地獄・極楽は自分の来世にあるのみならず、現に生きている現世にもあるものである。私はそのことをある事件に関するテレビや新聞の報道で確信している。意識(=霊魂)は時空を超越し、自由自在、融通無碍、広大無辺である。自分自身の霊魂は過去に生きた人たちの霊魂と響き合い、共鳴し、共振することもできる。神社・仏閣・仏壇・慰霊碑・歴史書・歴史小説などはその交霊の門になる。このことも私は自分の中で自己体験的に肯定している。

私は自分自身に起きることは「必然」であると思う方が良いと思っている。自分にたまたま起きる偶然な出来事も「必然」だと受け止める方がよい。私自身はそのように受け止めて「確かにそのとおりだ」と了解している。仏教の経典には「御仏はいろいろな方便を用いて人々を教え導く」と書かれている。私は仏教の経典に書かれている「神通力」も上記「必然」ということを信じるならば体験的に実感できるものであると思っている。(終り)

Consciousness and Buddhist last chapter
    ――What the source of consciousness and consciousness build――

This year I will be 77-year-old. I stopped worry about the future of the country of Japan, so far so. I sympathize with the poetry of “Questions and answers in the mountain”, “Shān zhōng wèn dá” in Chinese which Lĭ bái made. The URL below is my blog in which I am chanting the poem. With my name of SHIMPUE, with my blog, I have posted and opened to the public the contents of my chant and description about the poem one or two every month since March 2009. The “Questions and answers in the mountain” was posted in Nov. 2012. I am sometimes downloading and hearing this. Although it is my chant, I become a somehow good feeling to hear it.

   山中問答(Shān zhōng wèn dá)   李白(Lĭ bái)
  問余何意棲碧山    Wèn  yú    hé   yì    qī    bì    shān 
笑而不答心自閑    Xiào  ér    bù   dá   xīn   zì    xián 
  桃花流水杳然去   Táo  huā   liú   shuĭ  yăo   rán   qù
別有天地非人間    Bié  yŏu   tiān   dì    fēi   rén   jiān

People asked me with what kind of intention you live in this deep green mountain.
Although I merely laughed and not being answered, my heart was filled enough calmly.
With the flow of water, the petal of a peach disappears distantly and goes.
Here is the another world which is separated from world.


Lĭ bái and Nakamaro Abe (China name: Zāo hén ) were friends. The Nakamaro was the position of rendering his loyalty to his sovereign as higher officials of Táng (dynasty of China of those days). When his mind of homesickness had increased to his home country Japan, his mind of filial piety and conscience cannot be performed, he made a poetry saying he was sorry as he is a child of his parent. Although Nakamaro was allowed by the sovereign (Xuán zōng emperor) at the age of 54 and took the ship of the homecoming, the ship is in a storm, and he was wrecked, and was washed up on the seashore in Vietnam. Nakamaro returned to capital Zhăng ān (present Xīan), and it hid him at the age of 70.
Lĭ bái who got to know that Nakamaro met with an accident thought that Nakamaro had died. And the poetry entitled the poetry " It cries in a loud voice about Zāo qīng hén" which mourns for Nakamaro is made. Since Nakamaro was higher officials of Táng, he has inserted the character of "(qīng )" between "晁衡(Zāo hén)."

I am chanting a poetry for the thought of the Nakamaro homesickness by the following URL.


 What is consciousness? How does consciousness arise? Scientists have said that they may be unable to solve consciousness completely even if 100 year will pass from now on. Consciousness is related to activity of human's brain. A language, memory, imagination, etc. have a close relation to consciousness.

 Human's gene is participating in human's character, intelligence, and feeling. The gene is participating in the communication of information of a nervous system. That was being understood little by little. I think that consciousness is what has taken down the anchor to human's brain and has wrapped human's whole body in it. There are what is grasped by itself, and a thing which is not grasped by itself in consciousness. What cannot be grasped by itself is unconsciousness. Unconsciousness is grasped with the help of third parties other than itself. In Buddhism, three of unconsciousness which is 末那識(Manashiki), 阿頼耶識(Arayashiki), and 阿摩羅識(Amarashiki) are explained at last according to unconscious depth. There is an unconscious range to what cannot be grasped at all even if it introspects from what he can introspect and grasp. The great portion of human's action is depended on such unconsciousness.

 The source of consciousness is DNA which is a gene in the body. What consciousness makes is the tradition, culture, custom, etc. which are external genes. Consciousness and unconsciousness of each person build collective consciousness and unconsciousness of people's group. I think that consciousness is the same as the soul. In Buddhism, it is being explained that the soul is what carries out Samsara transmigration to six ways of a heavens top, a human being, the favorable realms of bellicose spirits, hell, a demon of starvation, and a beast forever. I think that it moves from a certain person's consciousness to one of the six ways after the person dies. I think that it will be decided by the person's deed good and evil while in life. The direction suits my own consciousness, saying "I believe" rather than "I consider".

 It hell and paradise are not only located in their next world, but is in the oneself world. I am sure of that by the report of the television about a certain incident, or a newspaper. Consciousness (= soul) transcends space-time. It is free, versatile and immeasurable. It can echo its own soul for each other with the soul of people living in the past. It can also resonate. I have also affirmed this on the self-experience target in.

 I consider that it is better to think it "necessary" to happen to oneself. It is better to also think the accidental occurrence which happens to itself by chance to be "necessary." I myself caught such and understand ", to be sure, it is just like that." "The Buddha teaches and leads people using various expedients" is written to the Buddhist scripture. I think that I will be an experientially realizable thing if the "supernatural power" currently written to the Buddhist scripture is believed as the above "necessary." (End)


2014年1月6日月曜日

20140106意識と仏教(17)――吾ら日本人は何処から来て何処に行くのか?――

竹田恒泰著『古事記完全講義』(株式会社 学研パブリッシング)に大東亜戦争終結後戦勝国側が取った態度についてこう書かれている。(<>内)

<連合国は本当はね、日本精神をブチッてその場で根絶やしにしたかったんですよ。でもそれはできない。いきなり破壊しようとすると反動があるから。・・(中略)・・少しづつ熱くなるから。で、「あれ? あれ? 熱くなってきたぞ。 なんかやばいぞ! やばいぞ! ああっ!」ってなったときには、もう体は動かない。そして茹で上がる。これ「茹でガエル症候群!」(笑)。 要するに、“百年殺しの刑”をかけられたんですよ、日本は。>

西暦660年、百済(古代、朝鮮半島南部の西側にあった国)は唐(当時の中国の王朝)に滅ぼされた。好太王碑(広開土王碑)の碑文にあるように日本人は朝鮮半島に進出していた。日本は百済の遺民とともに百済を復興させるため西暦663年に42000人の軍を白村江(現在の韓国の錦江近辺)に送り込んだ。其処に海上から唐の軍、陸上から新羅(古代、朝鮮半島南部の東側にあった国)の軍が襲ってきた。日本軍は大敗しそれまで約400年間続いた朝鮮半島における権益をすべて失ってしまった。

それ以来日本人はこの日本列島の中で比較的安全に暮らしてきた。しかし今日この日本列島は日本人にとって必ずしも安全な場所ではなくなってきている。今振り返れば大東亜戦争は、日本が欧米の侵食を受けていたアジア諸国を解放するための戦争であったと同時に、日本列島の安全を確保するため日本人が死にもの狂いで戦った戦争でもあったのである。戦争の相手がアメリカ・イギリスなどであったから戦争に敗けたが結果的には良かった。もし仮にこの戦争が日本と中国・韓国との間で行われ、日本が敗けたとすれば日本はどんな状況になっていたことだろうか?アメリカは日本人の強さの根源が何処にあるかを知り、日本との戦争に勝利したが日本の国体を破壊することはしなかった。

天皇・神社・仏閣・伝統・文化・慣習など日本人の「体外遺伝子」は非常に強固である。アメリカは日本との戦争に勝ったあと日本人の精神構造を変えるための方策を実行した。その方策は結果的に日本人の「体外遺伝子」を弱体化させることに成功した。東京裁判により日本の指導者を処刑すること、教育勅語を廃止させること、そして教育制度を変えることにより数世代を経るような非常に長い時間をかけて戦前の日本人とは別の精神構造をもつ日本人を増やすことなどがその方策であったと思われる。日本人は自虐史観に陥った。

 日本は天照大神を先祖とし2600年以上男子の一系で途切れることなく続いてきた血統の天皇家が日本中の各家々の宗家のように敬われている国である。日本には各地の至る所に神社があり、お地蔵さんがあり、道祖神を祀る祠がある。人々は八百万の神々を敬い合掌して願いごとが叶うようにと祈る。仏教の行事が庶民の暮らしの中に深く根付いている。キリスト教やイスラム教も日本の社会の中に融和している。そういう国は世界の中で日本だけである。

 そのような日本を中国と韓国は敵視している。日本は中国や韓国と良好な関係を築こうとして寛容と忍耐と礼節の精神でこれらの国々に接してきた。しかし戦後68年経ても日本とこれらの国々との関係は改善されていない。この状況は今後何世紀経っても変わらないであろう。古来日本と中国・韓国との関係は良くなかった。日本人の先祖は中国大陸での生存競争に敗れたが日本列島で生きのびてきた。中国人・韓国人の無意識の中には日本人をこの日本列島からも駆逐してしまいたいという願望が潜んでいるのかもしれない。

アメリカはそのような状況をどう見ているのだろうか? アメリカは自国の利益を得るため日本と中国・韓国の間の緊張関係を利用しているのではないだろうか? アメリカは約160年前日本と出合った。そのとき以来アメリカは日本を自国の富と利益を増進させるため徹底的に利用することを考えたかのように見える。アメリカは日本を自国の支配下に置くため、日本と中国・韓国の間の対立を利用することを思いついたかのように見える。

2010年に民主党が政権をとった。民主党は女系天皇への道を開くための女性宮家創設・夫婦別称制、外国人参政権・人権擁護という美名のもと個人が特定の政党の活動者を批判できないようにするための法制度などを推進しようとした。民主党は綱領に沖縄の独立を視野に入れた文言を並べた。これらの状況は戦後アメリカの日本に対してとってきた政策の結果起きたことである。先般安倍首相が靖国神社に参拝したことについてアメリカ政府は「失望した」と発表した。その一方で日米同盟に揺るぎはないことも強調した。中国と韓国はこれを好機ととらえ安倍首相の靖国神社参拝について激しく攻撃している。中国と韓国は日本固有の領土である島を自分たちの領土であると勝手に宣言し、その囲い込みのための線引きをして世界に向けて宣伝している。

アメリカは日本に対して盛んに「日本は中国や韓国との関係をよくするように」と要求しているが、日本も中国や韓国と良好な関係を築きたいと心から願っている。しかし日本は日本人が依って立つところの源となる日本人の精神をねじ曲げてまでして中国や韓国に対して媚を送るようなことは決してしない。天皇・神社・鳥居は日本人の心の深奥にある「日本人の自己」そのものである。靖国神社には天皇陛下の軍(皇軍)として日本の国体を護り、父母・妻子・弟妹達を護るため戦地に赴き、戦友に「靖国神社で会おう」と笑顔で言って戦火に散華していった兵士たちが祀られているのである。安倍首相が靖国神社を参拝したことについてアメリカ人には日本人の心の深奥にあるものについて是非理解をして頂きたいものである。

 中国も韓国も日本に対して「歴史認識」を強要することは止めて貰いたい。いかなる国であろうと国と国同士はお互い自らの歴史を顧み、相手の立場を尊重するようにしなければ決して平和は達成されないであろう。日本人は我慢に我慢を重ね、耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍んでいる。そのようにしていても日本人はこの日本列島に生き残れないという絶望的な状況になった時には、日本人は自分たちの先祖の霊魂と語り合って最後には死ぬ覚悟で立ち上がるだろう。それがこの日本列島に生き残ってきた縄文人と渡来系弥生人の混血の子らである我々日本人が心の深奥に抱いている大和魂なのである。

   一片の詩「我ら日本人は何処から来て何処に行くのか?」

われわれの祖先縄文人は大陸で生き残れなかった。
しかしこの日本列島にやってきた縄文人は生き残ることができた。
この日本列島には縄文人を脅かす人々はいなかった。
縄文人は木の実も種子も魚も貝も豊富に手に入れることができた。
縄文人はこの日本列島で平和に暮らしていた。
縄文人はこの地で世界最古の石器文明・世界最古の土器文明を築いた。
縄文人は畑で稲を作る技術をもっていたが稲米を主食にはしなかった。
縄文人の主食は簡単に手に入る木の実・種子・魚・貝などであった。
これらの食物は四囲海に囲まれた日本列島の山野・海岸で容易に手に入った。

揚子江(長江)中流域に黄河文明より1000年も古い文明が開かれていた。
長江中流域の人々は世界最古の水耕稲作と漁労に長け航海術も身につけていた。
4000年から3000年前にかけて気候の寒冷化・乾燥化が起きた。
長江中流域に北方から畑作・狩猟文明をもつ人々の集団がやってきた。
稲作・漁労と畑作・狩猟の二つの文明は長江中流域で対立しつつも融合した。
しかし稲作・漁労の一部の人々は圧迫から逃れ遠い山間部に移住した。
他の一部の人々は圧迫から逃れ長江河口から日本列島に渡って来た。
舟で直接九州南部に渡って来た人々、沿岸・半島伝いで渡って来た人々がいた。
日本列島に辿り着いた人々は沿岸伝い・島伝いで日本各地に広がって行った。

長江河口から日本列島に渡って来た人々は先住の人々と出合った。
先住の縄文人と渡来の弥生人とは互いに争わず仲良く暮らした。
縄文人と渡来系弥生人とは共生し混血し今の日本人の先祖になった。
その先祖は古墳時代人と呼ばれる人々である。

古墳時代人は朝鮮半島に進出し朝鮮半島に稲作・漁労文明をもたらした。
朝鮮半島南部は渡来系弥生人が日本列島に渡る前に通った土地である。
古墳時代人たちはその地で生き残ることはできなかった。
日本列島だけは古墳時代人の子らが安心して暮らすことが出来る場所であった。

しかしこの日本列島も日本人が安心して暮らせる場所ではなくなって来つつある。