2013年8月16日金曜日

「意識」と「仏教」(2)――国立追悼施設の建設には大反対である!――

仏教では「①人格の主体として業(ごう)を保持している霊魂は過去世・現世・来世の三世を通じて存在する」「②この霊魂は不生不滅ではなく輪廻の主体として業(ごう)や経験に従って常に変化しつつ連続する」と説いている。しかし人々が「それはきっと存在しているに違いない」として恐れているかもしれないような常住の実体としての霊魂について、仏教ではこれを説かない。それは似非宗教・新興宗教が説いているものである。

大東亜戦争で命を捧げ・あるいは命を奪われた方々の御霊、すなわち「①国のため自らの命を捧げ戦場に散った方々の御霊」、「②戦争の勝者らによる不条理な裁判の結果戦争犯罪人として処刑された方々の御霊」、「③戦時中の暮らしの中で敵国の航空機などによって投下された爆弾等により命を失った方々や戦場で戦闘行為によらず命を落とされた軍属や家族など一般の方々の御霊」はそれぞれ別々に祀られ供養されるべきである。③の施設は日本各所にいくつあっても良い。その祀る対象は特定せず①②が含まれていてもよい。

靖国神社は上記①の方々だけが祀られるべき神社である。上記②の方々のため別個に新たな神社が建立されるべきである。それは当面現行憲法下では国家によらず有志の人々の自発的行為として早急に建立されるべきである。そして戦勝国によって戦争犯罪人として処刑されたが日本国のため功績のあった方々を其処に祀り、その御霊を当面現行憲法下では首相はじめ政府関係者も「私人」としてその神社に参拝するようにすればよい。

日本人は「No More Hiroshima」という言葉に慣らされてしまっている。アメリカ人のように「Remember Pearl Harbor」というような言い方で「Remember Hiroshima」とは言わない。アメリカ人はアラモの砦の戦いが終わって「Remember Alamo」と言い、スペインとの戦争のきっかけとなった戦艦メイン号爆破事件の後「Remember USS Maine」という合言葉を作り、アメリカ人の戦意を高め、自国領土の拡張と権益拡大を図ってきた。

日本人はアメリカと同じやり方をすればよい。「武」を忌み嫌っていては日本の大義のため行使された「武」に従事し死んだ方々の霊魂は救われない。不条理な裁判の結果戦争犯罪人として処刑された方々の御霊を祀る神社は是非建立されるべきである。原爆死没者慰霊碑に刻まれている「過ちは二度と繰り返しません」の言葉は改められるべきである。


「意識」は生きている人々の脳内に錨のように繋がっているが生きている人々の身体全体を覆うようにして存在しているものである。その人が死ねばその「意識」は別の所に行き融通無碍・無辺のものとして存在すべきところに存在する。日本人は戦争で死んだ人の「意識」をその「意識」のまま感じ、その御霊を祀り、追善供養を為すべきである。