2016年4月4日月曜日

20160404「仏教」をキーワードに、思いつくまま綴る(16)―― 日本人のルーツ ――


 NHKのEテレ番組の「サイエンスZERO」で、「縄文人の核DNAから日本人のルーツに迫る」という題の放送があった。福島県の三貫地貝塚で、今から3000年前の縄文遺跡から100体以上の縄文人の人骨が収集された。その中で核DNAを採集しやすいと見込まれた男女成人各一体の奥歯の歯根から核DNAの塩基配列が明らかにされた。この地道な作業には、斎藤成也教授・諏訪元教授・神澤秀明研究員らが直接関わっている。

 その番組で篠田謙一国立科学博物館人類研究部長は、「核DNAで比較すると、日本人は東アジ人ア・東南アジ人とは全くかけ離れている。日本人は縄文人と渡来系弥生人の混血である。その日本人の遺伝子の20%は縄文人のものである。縄文人は東アジア人・東南アジア人より早い時期にアジアの何処かで分岐し、日本列島に渡って来たと考えられる。核DNAで比較すると縄文人は日本人ともかけ離れている」といった趣旨のことを語っていた。

 容貌は東アジア人に似ていても目は二重瞼である人、耳垢は乾いているがウインクができる人、容貌は東アジア人に似ているが顔にシミがある人などというように、我々日本人は混血雑種である。この番組でも話されていたが、日本人の多様性は、日本人が多くの人種の混血であるからそのようになっているのである。

 その番組でポーラ化成工業の本川智紀博士は、DNAの第16番染色体のMC1Rと呼ばれる塩基配列にシミの原因となる塩基の違いを発見したことが紹介されていた。彼は「日本人の多くはその塩基配列の一か所がAであるが、そこがGである人の顔にはシミがある。しかも縄文人のDNAではその部分がGである。この事実から日本人の一部の人の顔のシミは縄文人由来のものである」といった趣旨のことを語った。

 その番組で、縄文人を特徴づけるものは「①シミ、②湿った耳垢、③くせ毛、④二重瞼、⑤ウインクができること」であるということが示されていた。日本人の形質・性格・知能・気質などを発現する遺伝子の何処かに縄文人の遺伝子がある。それは全体の20%である。80%は渡来系弥生人によるものである。戦後日本に帰化した元在日の人も、欧米・ブラジル・ペルー・アフリカ・東南アジアなどの地域から日本にやってきて日本人になった人たちも、今後数百年もしない間に混血が進み、元々混血雑種である日本人の中に溶け込んでしまうことだろう。

なお、渡来系弥生人の要素の割合が多いのは、元々人数の割合がそうであったからではないと考えられる。渡来系弥生人は5000数百年前ごろ起きた気候変動により、北方から南下してきた狩猟・畑作文化を持つ人々に圧迫され、山東半島・朝鮮半島南部経由で北九州に、或いは舟で直接、沖縄・鹿児島に渡って来たが、彼らは長江中流域で稲作(ジャポニカ種)・漁労文化を持っていた。その稲作・漁労文化による食料の確保が、縄文人の狩猟・採集文化によるものよりも優れていたので、渡来系弥生人の種が増えることに寄与したと考えられる。(※これは安田喜憲著『古代日本のルーツ 長江文明の謎』青春出版社を参考にして私見を記述したものである。)

 インドや東アジアで廃れた仏教がこの日本で花開き、日本人の精神要素の一つになった理由は、日本人が混血雑種であるからであるに違いない。この混血は、紀元後700年ごろまでの間に次々日本に渡って来た東アジアの人びととの間でも続いた。初めは北方からやって来た人々に圧迫された長江中流域の人びとが、後にその人々が雲南省に逃れて山岳地の滇(てん)池の辺に築いた滇王国が滅亡後その末裔が、紀元後200数十年ごろには後漢滅亡後朝鮮半島に居た後漢の王族・貴族・技能集団の人びとが、紀元後600数十年ごろには日本が42千人の援軍を百済に送って戦った白村江の敗戦後、百済の王族・貴族・学者・技術者たちが、その後、高麗や新羅や宋や明から能力の高い人たちが次々と日本に渡って来て、日本に帰化している。江戸時代初期(西暦1600年)には侍になったイングランド人(William Adams 三浦按針)もいる。日本に来て日本に住みついた外国人たちの子孫は皆完全に混血し、今の日本人になっている。今後数百年もすれば戦後加わった新しい血(遺伝子)は広域に拡散し、すべての日本人の遺伝子の一部になって行くことだろう。

古代において、それら渡来人たちには姓(かばね)が、その一部の人びとには官職と位階が、それぞれ天皇から授けられた。西暦1192年にそれまで400年間続いた平安王朝時代が終わり、武家が日本国を統治するようになって以降は非常に数多くの家名が生まれ、その家名の下、皆、今の日本人になっている。日本民族は天皇を戴く単一民族であるが、完全な混血雑種の民族である。それも東アジアの他、諸外国の優れた人々の血も混じっている民族である。

日本では持統天皇の四年(西暦689年)の春と夏に詔が発せられ、奴婢制度が廃止されている。日本人の宗家のような存在であらせられる天皇は、世界の平和と人々の幸せを常に祈願して下さっている。我々日本人は、今一度「自分自身を知る」必要がある。今から150年前、日本人は丁髷(ちょんまげ)を無くし、洋服を着、欧米の真似をした。日本はロシアや中国やアメリカと戦争もし、今や世界で一、二を争うほどに工業・商業・科学・技術が優れた国になった。しかし日本人は日本人の魂を失ってはならない。日本人は日本の伝統や文化を大切にし、戦後失った日本人の精神を取り戻し、自分たちが何故日本人であるのか、という意味を知る必要がある。古代ギリシャのアポロ神殿の壁に書かれていて、プラトンが伝えた「汝自身を知れ(Know thyself)」という言葉に、われわれ日本人は意識を向ける必要がある。