2016年4月21日木曜日

20160421「仏教」をキーワードに、思いつくまま綴る(21)―― 「この世」も「あの世」も「浄土」 ――


 「浄土」とは「五濁(ごじょく)・悪道のない仏・菩薩の住する国」、「五濁」とは「この世が堕落するときに起きる五つの悪い現象」、「菩薩」とは「さとりを求めて修業する人」(いずれも『広辞苑』より引用)である。

五つの悪い現象として『広辞苑』には、①劫濁(飢餓・悪疫・戦争などの災害)、②衆生濁(人々が悪事をはたらくこと)、③煩悩濁(愛欲が盛んで争いが多いこと)、④見濁(正しい教えが衰え不正が栄えること)、⑤命濁(寿命が短いこと)の五つが書かれている。

浄土宗・浄土真宗では、菩薩にならなくても報身仏である阿弥陀如来が人々に救いの手を差し延べて下さっているのであるから、さとりを求めて修業しなくても、即ち「菩薩」になろうと難行苦行をしなくても、阿弥陀如来を信じるならば「この世」が即ち「浄土」であり、阿弥陀如来を信じ切っている人が「あの世」に生まれかわれば、その生まれ変わり先もまた「浄土」であると教えている。

このたびの熊本大地震で被災し、各地の避難所などで生活している約10万人の被災者や、被災者の支援活動を行っている人々や、土砂に埋もれた人々を救出する作業を行っている様子がテレビに映し出されている。人々は困難に耐えながら助け合い、譲り合って頑張っている。そこには飢餓・悪疫・悪事・争い・不正はない。阿弥陀如来を信じる者から見れば、そこは正に「浄土」である。

 一方で、この大地震を一つの機会と捉え、原子力発電所の廃止を求めて盛んに運動を展開しているグループがいる。ある元教師は高校生たちのメールアドレスを入手して安全保障関連法案を「戦争法案」と呼び、これに反対するように呼び掛けるメールを送りつけて問題となった。あるテレビにレギュラー出演しているあるジャーナリストは、「政府を信用できない」と言った。

 日ごろ権力に強く反発している人たちは、将来、自分たちが権力者の側に立ったときは、最も権力的になる人たちであろう。何故なら、その人たちは現実を無視している理想主義者であるからである。もし仮に、権力側に立つことができた場合の彼らは、自分たちが理想とすることを実現する妨げになる者を徹底的に排除するため、血の暴力も辞さないだろう。

 「浄土」は、日ごろ「中庸」を大事に思い、柔和な心を持っている人だけが感じることができる所である。阿弥陀如来を心から信じ、悪事や争いをせず、正しいことをする人は現世も来世も浄土で暮らし、神通力を自覚することが出来るに違いない。ただし、それはその人だけにしか分らないことであろう。

 日本人は願い事の成就を神社で祈願し、結婚式をキリスト教会で行い、葬式を仏教で行い、お正月には神社や仏寺院に詣でる。仏事といい、神事といい、仏教と神道は日本人の日々の暮らしの中に深く根付いている。反権力者の多くも、多分同様であろう。

 しかし、科学的社会主義と言い、天皇も仏像も宗教も否定する独善的な思想家の集団は、既存の秩序をすべて破壊した上で自分たちが理想とする社会を建設したいと願望している。そのような思想の持主に扇動され、反基地・反原発運動などの反権力運動に与する人々は、自分たちが結局「五濁」「悪道」に満ちた社会に住むことになるかもしれないことを考えるべきである。