2017年1月12日木曜日

20170112『仏説阿弥陀経』について(5)


 私の母(継母)は一昨年秋他界した。都会の葬式ではその葬式の同じ日に初七日の法要を行い、四十九日までの七日ごとの法要はせず、四十九日の法要すらもしない家がある。私は周囲の反対を押し切って七日ごとの法要も行い、四十九日の法要は盛大に行った。私の郷里の田舎では少なくとも四十九日・初盆・一周忌・三回忌の法要は盛大に行う。

「盛大」と言う意味は、その法要に親族等を招待し、法要の儀式とは別に「お斎」と言って食事を出し、法要にお参り頂いたお礼の品を差し上げることである。そのため招待された人は施主が負担するそういう出費に見合う程度の金額を香典として包み、仏壇にお参りするときその仏壇の前に供える。仏壇にお参りするときお線香代のつもりで100円玉一個、施主側とお付き合いが深い関係にある場合は1000円札一枚を仏壇の前の辺りに置く。

 私の郷里の田舎の家は売却されたので、私は仏壇等を都会地のこの質素な集合住宅の私の家の一室に移した。もともと私は少なくとも三回忌・七回忌・十三回忌の法要は田舎の家で行うつもりであった。しかし七回忌まではともかくも十三回忌まで私自身が生きていられるかどうかわからないし、諸状況の中、私は継母が他界するまで持っていたような気持の張りも失せてしまった。そこで三回忌以降の法要はこの私の家の一室で行うことにした。

 私自身浄土真宗の「自分派」として親鸞聖人の教えを独学で学んでいて、毎日読経もして自分なりのやり方で供養もしいている。しかし三回忌以降の法要は親族を呼び、然るべき僧侶(ご院家さん)にお越し頂いて経を上げて貰って、何処かで会食をしようと思っている。そのような行事を通じて親鸞聖人の教えが伝わり、さらにその先に伝わることを私は期待している。いくら私が浄土真宗の「自分派」であるからと言って、ご院家さんによる法要の儀式と真宗の布教活動に全く何も関わらないということは決して正しいことではない、と私は思っている。

その継母の実の娘である私の妻は、私の考え方に理解を示してくれている。私の継母は私の父が他界後長年独り暮らしをし、80歳を過ぎて病気になった。私は私の妻と二重写しにして継母を見ていて、私は継母を可哀想に思っていた。私が田舎でその継母の周辺の人たちから実の息子のように思われていたが、継母もそういう風に私を思ってくれていた。

さて、真宗には浄土三部経と言って『仏説無量寿経』と『仏説阿弥陀経』と『仏説観無量寿経』の三つがある。後世に浄土真宗の宗祖とされた親鸞聖人は『顕浄土真実教行証文類』(以下、『教行信証』という)を著した。これらの経典や『教行信証』に関する知識はインターネットで得ることができる。我々は学ぶ気持ちさえあれば、親鸞聖人が苦労に苦労を重ねた末にやっと学び得たことを、いとも簡単に学ぶことが出来る時代に生きている。これは真に有難いことである。

『仏説無量寿経』は魏の康僧鎧が翻訳したものであり、『仏説阿弥陀経』は姚秦の鳩摩羅什が翻訳したものである。因みに「魏」は西暦220年から265年まで存続していた国であり、「姚秦」は384年から417年まで存続していた国で、牧民羌族が興した国である。この二つの経典に書かれていることは『教行信証』をよく学ぶことによって理解できそうである。

私はAmazonを通じて『教行信証』の現代語訳版を入手した。この本は本願寺出版社が出したものである。文語体の『教行信証』はインターネットに出ていたものを拝借している。このブログのラベル「阿弥陀仏(Amitāyus Buddha)」の投稿おいてはこの二つの資料を引用して記述する。

『教行信証』の書き出しは「ひそかにおもんみれば、難思の弘誓は難度海を度する大船、無碍の光明は無明の闇を破する恵日なり」である。この現代語訳は「わたしなりに考えてみると、思いはかることのできない阿弥陀仏(あみだぶつ)の本願(ほんがん)は、渡(わた)ることのできない迷(まよ)いの海(うみ)を渡(わた)して下さる大(おお)きな船(ふね)であり、何(なに)ものにもさまたげられないその光明(こうみょう)は、煩悩(ぼんのう)の闇(やみ)を破(やぶ)ってくださる智慧(ちえ)の輝(かがや)きである」である。

『教行信証』の現代語訳版には用語の解説が示されている。ラベル「阿弥陀仏(Amitāyus Buddha)」の投稿おいて、今後同様に引用するが、上記文中の用語の解説の要旨は以下の*印のとおりである。・印の部分はインターネットなど他のソースから入手したものである。
*本願・・・仏(ほとけ)が因位の菩薩の時に起こした誓願をいう。また衆生救済のためのまさしく根本となる願のことである。阿弥陀仏の四十八願中とくに第十八願を本願とする。
*煩悩・・・心身を煩わせ、悩ませる精神作用の総称。衆生はこの煩悩によって業を起こし、苦悩を受けて迷界に流転する。
・因位・・・仏道の修行中で、まだ悟りを開くに至らない位。菩薩 (ぼさつ) の地位。
・四十八願・・・法蔵菩薩 が仏に成るための修行に先立って立てた48の願の こと。
・第十八願・・・私たちの往生の直接の原因となっている至心(ししん 信楽(しんぎょう)の願」といわれる願。
・往生・・・仏の浄土に生まれること。
・菩薩・・・ボーディ・サットヴァ(bodhisattva) の音写。仏教において一般的に成仏を求める(如来に成ろうとする)修行者のこと。
・法蔵菩薩・・・阿弥陀如来の 因位の時の名(修行時の名)。

・如来・・・大乗仏教における諸仏の尊称。