2017年9月30日土曜日

20170930ノーベル賞科学者の軌跡


 表題は朝食後たまたまテレビのスイッチを入れたら放映されていた放送大学(The Open University of Japan)の特別講義の番組名である。男は彼の女房と一緒にこれを視聴した。これは益川敏英・梶田隆章両博士が「私が感化された教育とは」というテーマで対談し、若い女性がこれをコーディネイトする形式のものである。益川先生は理論屋であり梶田先生は実験屋である。両者は番組の最後にこう締めくくった。「自分の研究は何の役にもたたない。ただ(未知のものを)知りたいという好奇心だけがある」と。

 益川先生は京都産業大学の教授である。男は「量子意識」に関する情報をインターネット上に求めていたら、「量子科学が創り出す不思議な世界 ――量子テレポーテーション――」という題で京都産業大学外山政文教授の投稿が見つかったのでこのブログに引用させて頂いていた。これは不思議と言えば不思議であり、たまたま偶然だと言えば偶然の連関である。

 益川先生も梶田先生も「自分の研究は何の役にもたたない。ただ(未知のものを)知りたいという好奇心だけがある」と言った。しかし科学者たちのそういう好奇心・研究心が後世に役立っている。

 例えて言えば科学者の思考は垂直的であり、哲学者の思考は水平的である。科学者と哲学者の両者の思考が総合されれば人智を超えた世界の把握ができるだろう。人類はそのようにして徐々に人智を超えた世界に近づきつつあるのではないだろうか?

 言論の自由・信教の自由が保障されている国々の民は幸せである。我が日本でもかつてはそういう自由が不足していた時代があった。「国家としての自存」が困難な状況では自由が制限されても仕方がない。しかし自由がありすぎて規律が乱れてしまうのは良くない。権利ばかりを主張して義務には背を向けるのも良くない。何事も中庸・穏健が一番である。

 今、何が中庸・穏健であるかという判断については人それぞれ受け取り方が異なる。そういう中で最大多数の人々が最大の幸福を得るような中庸・穏健が一番良い。

 中庸・穏健に価値をおく人々は一般に発言力が弱い。中庸・穏健を望まぬ人々の発言力は強い。発言力の強い人々は巧妙な手段を用いて発言力の弱い人々を自分たちの機構のなかに取り込み、組織力を高めて国家を経営しようとする。

 民進党が解体される動きがある。これは非常によい事である。民進党の中の中庸・穏健に価値を置く人々は民進党から離れる。今後日本はさらに良くなるだろう。

 中国や韓国・北朝鮮では仏教は廃れた。しかし日本では1400年前の聖徳太子・1300年前の聖武天皇のご事績のお蔭で、仏教は今日まで日本人の心の支えになっている。

 グローバリズムの大潮の流れの中で日本人は心の支えを見失いそうになっている。しかし心の何処かに仏教的なものを持っている日本人は、科学で知り得たことを自分の心の中で統合し、他国に先駆けて精神的進化を遂げるのではないだろうか?故湯川博士を初めとするノーベル賞受賞の科学者たちは後世の人々を幸せにしているのである。