2018年8月16日木曜日

20180816「何でも有り」しかし「群れに従順」 ―― 日本人の特質 ――



 八百万の神々が居る日本。日本人は山、海に、火に、水に、自然のあちこちに、さらに稲を育てる田や家の台所などに「神」が宿ると信じていて合掌する。『古事記』の序には太安万侶が「乾坤初めて別れて参神造化の首(はじめ)となり・・」と述べ、本文では稗田阿礼が暗記しているものを誦するところを記述させている。その最初の部分は「天地(あめつち)初めて發(ひら)けし時、高天(たかま)の原に成れる神の名は、・・」と神々の名前を挙げている。日本の神々は無数に在り、『古事記』に書かれている神話の神々ほか、民俗・民間信仰の神、人神・現人神、新宗教の神などが在る。歴史上の有名人は殆ど神として祀られている。靖国神社には大東亜戦争(戦後、「太平洋戦争」と変更させられた)で戦死した軍人・軍属の他、南樺太での真岡郵便電信局事件で自決した女性電話交換手や学徒動員中に軍需工場で爆死した学徒なども神として祀られている。

 「神」についてこのような観念を持っている民族は世界中で日本だけである。その一方で日本には一神教のキリスト教信者やイスラム教信者も居る。韓国で創設されたキリスト教系の新宗教団体「世界平和統一家庭連合」の信者も居る。

 日本人は自らがクリスチャンでなくてもキリスト教の儀式により結婚式を挙げ、子供が生まれたら神道の儀式による七五三の祝いをし、身内の者が亡くなったら仏教の儀式による葬儀を行っている。日本人はハロウイーンやクリスマスやバレンタインデーなどキリスト教の文化圏で行われる行事を楽しんでいる。日本人は宗教にこだわらず「何でも有り」なのである。一神教の人たちから見ると日本人は「無宗教者」のように見えるだろう。

 著名なある人は「日本人は‘日本教’の教徒である」と言う趣旨のことを言った。日本には悠久の歴史があり、万世一系の天皇が居て、日本人は伝統と文化を大切に守っているし、何かを為そうとするときいろいろな意見が出るが、最終的には大勢の意見に従順に従っている。日本には「何でも有り」であるが、日本人は大勢の向く方向に従順に従う。ある文化人類学者は「日本人はいろいろな考え方をし、ばらばらに行動することが許されるが、一端方向が決まれば日本人は‘群れ’に従順になる」と言ったことがあった。

 日本人がこのようにあるのは、日本人には縄文人の血と渡来系弥生人の血が混じり合っているからである。座標軸の水平線xを「縄文人の文化」とし、垂直軸yを「渡来系弥生人の文化」とする場合、そのベクトル的合成線が「日本人の文化」である。そして日本には世界に類例が全く無い「万世一系の天皇」がいるから、「日本の文化」はぶれることなく安定している。これが日本の姿である。

 日本を貶めたい国の人々は天皇を「日王」と呼んで蔑み、天皇が居なくなることを願望して様々な工作を試みている。日本人の中にもそれに呼応して蠢いている人たちが居る。皇子が独りしか居ず、皇統の継続が危機に直面している状況を歓び、「女性宮家」だ「女系天皇」だと騒いでいる人たちが居る。しかし彼らにことさら目くじらを立てる必要は無い。

 日本人は世界一と言えるほど雑種の度合いが大きい人種であるから、多様性に満ちている。日本人の中にはいろいろな考え方をして行動する人たちがいる。幕末に急速な近代化が出来たのも、藩校で秩序を優先する朱子学を教え、同じ教授が私塾で実用主義的な陽明学を教えていたという「何でも有り」の状況の中で、大勢が「開国」を目指すようになると、今度は皆一様に「群れに従順」になって実用主義者になり、天皇のもと一致団結して近代化を推し進めたからである。つまり日本が急速に近代化したのは、日本人には「何でも有り」、しかし日本人は「群れに従順」であるからである。

勿論、江戸時代の学問(数学・天文学・地理学・医学・人体解剖学・土木工学等)や物づくり・芸能等や、政治の制度が、当時の西欧のレベルに匹敵するものであったからでもある。



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