2018年8月30日木曜日

20180830「武士道」の極意「己を知る」 ―― 『古事記』を読む ――



 日本人が自らのアイデンティティを明確に自覚するように成れば、日本人は「生残り」に不安は全く無くなるだろう。人種の特殊性・優秀性や民族の誇りなど、他を差別する意識は国家として進む道を誤る。日本人はただ「生き残る」ことだけに集中すればよい。どの国の人々でも、自分の国が国家として生き残るために必死である。日本人も同じ様にすれば良いのである。もし日本人が他の国の人々に対して、もし少しでも優越心を持つならばそこに「心の隙」が生じ、日本人は時間軸の未来において必ず憂き目に遭う事こと必定である。

 生き残るために何が必要か?それは己を知り敵を知ることである。「己を知る」とはどういうことか?それは、先ず自分が何処から来たのかを知ることである。自分が何処から来たのかを知るためには、「生き物」である自分のルーツについて遺伝学・生物学・考古学・人類学等について正しい知識を得るとともに、自分の国の歴史について知ることである。

「敵を知る」ことよりもまず「自分を知る」ことが最も重要である。某国では国民に誇りを持たせるため、「敵」とする国の歴史について嘘を教え、その嘘が自己増殖してしまっている。「敵を知る」ことの中で重要なことは、敵が己についてどういう知識を持っているかということである。そのことを知っておれば、敵が己について信じ込んでいる嘘を正当化するための行為を止めさせることができる。敵のあらゆる謀略も宣伝も所詮白日の下に明らかになるものである。しかし自分が自分自身を良く知っていないとそれは明らかにならない。

『古事記』は日本人が己を知る上で非常に良いものである。私は竹田恒泰著『古事記完全講義』は全日本人必読の本であると思っている。この本を岩波文庫版『古事記』と照らし合わせながら読むと、『古事記』について理解が一層深まるだろう。

その『古事記完全講義』に“桃の木に「現世の人が苦しんでいたら助けてあげて」と・・・『古事記』で地上世界の人について言及されるのは、これが最初であります。『古事記』には、人の起源についての記述がないんですよ。・・・聖書のように「神は自らの姿に似せて人をつくった」というようなことは書いてないんですね”とある。

さて、私は以下のとおり岩波文庫『古事記』を読む。
①イザナミノミコトに会いに来たイザナギノミコトに、イザナミノミコトは黄泉神(よもつかみ)と語り合ってくる(相論(あげつらはむ))から、それまで私を見ないで待っててね!」と言った。
②それなのに待ちきれなかったイザナギノミコトはイザナミノミコトが居る所に「一つ火」を灯して入って行って、変わり果てたイザナミノミコトの姿を見てしまった。
③イザナギノミコトはその姿を見て恐ろしくなってその場から逃げ出した。そのとき十拳剣(とつかつるぎ)を抜いて後ろ手に持って、それをぶるぶる振って追手の邪霊を呪った。
④イザナギノミコトは「あの世」と「この世」の境界の所まで逃げて来た時、其処にあった桃の実三個を追手に投げつけたら、追手は皆逃げ去った。
⑤この時イザナギノミコトはその桃の実に、「お前が私を助けてくれたように、現世で苦しんでいる人が居たら助けてやれ」と言った。
⑥「あの世(黄泉の国)」に居るイザナミノミコトと「この世(現世)」に居るイザナギノミコトの夫婦喧嘩は、イザナミノミコトが「あの世」と「この世」の境界に「千引(ちびき)の石(いわ)」を置いたことにより決定的となった。
⑦イザナミノミコトはイザナギノミコトに、「愛しいあなたがそのようなことをするなら、私はあなたの国(現世)の人々を一日に千人縛り首にして殺してしまうわよ」と言った。
⑧これに対してイザナギノミコトは「愛しいお前よ。お前がそのようなことをするならば、わしは一日に千五百の子が生まれるようにするぞ。一日に1000人死ねば、一日に1500人生まれるのだ」と言った。
⑨「あの世(黄泉の国)」と「この世(現世)」の境界は、今、出雲の國の伊賦夜坂(いふやさか)であると言う。(所在不明。出雲風土記にその伝説がある。)

                                   (続く)


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