2016年9月13日火曜日

20160913「自由と民主主義」を守る情報通信技術とジャーナリズムのあるべき姿


 ジャーナリストの国際団体「国境なき記者団」というのがあるそうである。これは各国でどれだけ自由な報道が認められているか分析した報告書であるという。その「国境なき記者団」が昨年度について発表したところによれば、日本は61位であるということである。

 日本のその自由度は年々下がって来ているということで、特に福島第一原子力発電所の事故に関する報道で下がり、また前年制定された特定秘密保護法のことでさらに下がったと言うことである。左翼系ジャーナリストはそのランキングが安倍政権でさらに下がると予測している。これは彼等の期待であろう。

 この投稿でジャーナリストを仮に記者・言論者・社会派作家・映像制作責任者など、メディアを通じて社会に何らかの影響を与える立場にある人たちを総称して仮に括弧付の‘ジャーナリスト’とし、さらに政府や地方自治体の行政組織を総称して仮に括弧付の‘政府’として、以下にジャーナリズムのあるべき姿勢について考えてみる。

上記のランキングについて、私は‘ジャーナリスト’たちの国家観に問題があるのではないかと思っている。国家権力は統治のため国民の自由を抑える側に作用しやすい。従い私は‘ジャーナリスト’が批判精神をもって国家権力に対決することは必要であると思っている。しかし私は一方で、‘ジャーナリスト’たちは‘政府’と一般市民の間の意思疎通を活発にさせることについては殆ど無関心であると思っており、それが今の日本の大きな問題であると思っている。

勿論一般市民側も‘政府’がやっていることに関する情報の入手を‘ジャーナリスト’に任せているように見えることにも問題がある。さらに言えば、一般市民側は‘政府’がやっていることを自分たちが選挙で選んだ議員に任せて安心しているようにも見える。これも大きな問題である。

私は、国家は一つの‘生物種’であると考えている。蟻などの昆虫たちや鰯などの魚たちやライオンなどの猛獣たちやインパラなどの草食動物たちや鴨などの渡り鳥たちは生存のため群れをつくる。人間も生存のため群れをつくる。それらの群れが生存のため組織的な動きをして群れとして一つの‘生物種’、すなわち生物の超個体のようになる。

‘生物種’・超個体としての国家は、野生動物のようなところがある。生存のため他の国家の生存を脅かそうとする。日本国民は日本国憲法前文にある「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意」していても、日本の周辺諸国は隙あれば日本の領土をかすめ取ろうとしている。これが地政学上の現実である。

‘生物種’としての国家は、国際法や道徳や国際交流だけでは生存できない。国際社会では軍事力の後ろ盾がないと敬意を表されない。左翼系の‘ジャーナリスト’たちには過去の戦争のトラウマから抜け切れず、武力を忌み嫌っている人たちが多いのではないのか?

特に左翼系の‘ジャーナリスト’たちは反権力意識が過剰で、メディアを通じて一般市民に自分たちの主張を伝えることに腐心している。彼らは‘政府’と一般市民の間の意思疎通を活発にさせることに無関心であるように見える。上述国際ランキングは結果的に左翼系の‘ジャーナリスト’たちが作っているものではないのか?

ところで世界経済フォーラム(WEF)が毎年公表している情報通信技術(Information and Communication TechnologyICT)競争力ランキングでは、日本はシンガポール・台湾・韓国などよりずっと下位で2008年以降は20位付近を低迷している。

日本はICTの利活用の面で評価が低い。日本は光ファイバーサービルの契約割合や固定ブロードバンド料金の低さや安全性などで世界のトップである。日本のICTの基盤は世界のトップレベルにあるのに、ICTの利活用の面では非常に劣っている。これは何故なのか?‘ジャーナリスト’たちのもその責任はないのか?

小池百合子氏が東京知事になり、東京都の豊洲市場の土壌汚染の問題がクローズアップされた。従来その部分は一部の議員と一部の官僚しか知らない闇であった。情報公開を積極的に進めている小池都知事はその闇に誰がいつどのように関わっていたのか調査を始めた。

もし、日本においてICTの利活用がもっと積極的に行われれば、ICT を通じて‘政府’と一般市民の間の相互作用が活発になり、上記の問題は起きなかったかもしれない。もし‘ジャーナリスト’たちが、東京都と東京都民の間の意思疎通を活発にさせることに積極的であったなら、上記のような問題は起きなかったかもしれない。‘ジャーナリスト’たちは、‘政府’に対する批判ばかりしているが‘政府’と一般市民の間の意思疎通のことに積極的でなかった。‘ジャーナリスト’たちが自覚しないかぎり、似たような問題は今後も起きることだろう。


かつて民主党政権のとき、人権擁護と言う美名のもとに、ジャーナリストによる情報発信は歓迎するが右派や保守派の個人による情報発信は規制しようとする動きがあった。これは自由と民主主義に逆行する動きであった。ICTの利活用がもっと盛んになれば、今後そのような愚かな動きは起きなくなるに違いない。