2016年9月18日日曜日

20160918中近東などで国際マイクロウエーヴ回線の建設に関わったKさん


 男より9歳年上のKさんは今88Kさんは最愛の奥様を亡くして45年は経っているだろうか、福岡のある町に独り暮らしをしている。Kさんが奥様を亡くす前に長年住んでいた横浜のある町にはまだそのマンションの一戸が残っていて、Kさんは年に何度か福岡と横浜の間をフェリーを利用して往復している。

 そのKさんは旧電信電話公社(現NTT)の職員で、その技術を買われてN社に転職し、N社が国際協力機構JICAの依頼を受けて中近東・東パキスタン(現バングラディシュ)等に建設した国際マイクロウエーヴ回線の建設の現場責任者として携わった経歴の持主である。

 男はそのKさんと仕事を通じて知り合い、30年来の良い友人関係になっている。男はKさんが元気にしているかどうか確かめるため先ほど福岡のKさんに電話を入れた。その時二つのことが話題になり、長々と語り合った。話題の一つは戦艦大和を引き揚げ、欠けた部分は継ぎ足し、少なくとも往時の外観の形だけは復元して、横須賀かどこかに記念・追悼公園を作って、そこにモニュメントとして飾ったらどうか、ということである。

もう一つは、戦後日本が国際貢献の一環として、日本の高度な情報通信技術力を活かして世界の後進地域に情報通信網の基幹となる国際マイクロウエーヴ通信回線を建設した当時の建設現場の実話に関することある。男はKさんから当時の苦労話を聞き、それを何とか小説にして世に知らせる方法はないものかと思った。

何年か前、私男はKさんから百田尚樹の『永遠のゼロ』という本を突然贈られた。その後私はKさんを誘ってその映画を観に行ったことがあった。その時映画館の中で男の隣の席にいたKさんは、その映画の上映中声を押しころして泣いていた。映画の筋はその本に書かれているとおりであった。
(関連:『永遠のゼロ』
『天涯孤独になったある友人のことを思う』

男は「自分はKさんと共に生かされている。Kさんの年齢になるまで自分がこの世に在るかどうかは分らない。しかしお互い何か因縁がある二人とも、この世での役割を終えない限りあの世には行けないのだろう。その役割とは戦艦大和と国際マイクロウエーヴ回線のことを日本人の魂の永遠の遺産として、後世に伝える仕事の一端のほんの僅かでも担うことである」と思った。

国際マイクロウエーヴ回線のことについては戦艦大和のような知名度が無い。識者・言論者・小説家の間にもその認識が無いに等しい。日本の情報通信技術は世界一のレヴェルであるが情報通信技術の利活用の面においては日本がシンガポールや韓国の後塵を拝する状況にある。

東京都の豊洲市場の建設にあたり、設計変更がごく一部の者、多分それには東京都議会の一部の議員も含まれているであろうが、その一部の者だけが知っていてそれ以外の大多数の者、勿論東京都民も全く知らないことであった。それは当時豊洲市場の建設計画に関わった石原元都知事すら知らないことであった。

小池新都知事は当時のいきさつについて調査し公表すると宣言している。彼女は都民の目線で情報公開を積極的に進めるつもりである。こういう事態になったのは、情報通信技術の最高レヴェルのインフラが整備されていることであろう東京都において、その情報通信技術の利活用の面において全くお粗末であったことを証明している。

男はそういう見解により、人生の殆どを陽が当らない地道な仕事をしてきた情報通信技術者の古老の話を是非小説化できないものかと思ったのである。通信回線は生物体の神経系のようなものである。は中近東やインド・東パキスタン(現バングラディシュ)・フィリピンなどでマイクロウエーヴ通信回線や衛星通信回線の建設に携わった方である。

しかし男は小説を書く能力はない。しかしKさんの人となりやKさんが行った仕事について小説を書くための取材源は沢山ある。男は山崎豊子の『大地の子』のような小説は全く書けないが、後世に記録を遺すという意味でKさんのことを小説にすることに挑戦する価値はある。但しそれは男のコンピュータ上に遺し、書いた内容を密かにKさんに見せるだけという極めて閉鎖的な作業である。それで充分である。いずれ男がこの世を去った後、それが何かの役立つことがあるかもしれない。

男が関わっているあるメーリングリストの友だちの小学校時代の恩師はビルマ戦線で共に戦ったある元陸軍伍長の上官で、元陸軍中尉であった。その元中尉は部下であった元伍長が戦線で経験したことを書き留めていた手記を預かっていた。その手記をそのメーリングリストの仲間が活字化し、製本化した。これにより公式の戦争記録とは異なる生々しい体験が本の形で後世に遺り、一つの歴史資料となる。

上述の国際マイクウエーヴ回線網建設に従事した人の経験も同様に小説の形で後世に遺すことができれば、これも一つの歴史資料となるだろう。79歳である男はそういうものを後世に遺す作業をするため、男より9歳年長のKさんと共に生かされているのだと思っている。男もあと10年位は生きているかもしれない。その時Kさんはこの世を去っているかもしれない。男はKさんに会ってKさんのけいけんについてせめてメモを書き残す程度の取材しなければならなにと思った。