2018年7月24日火曜日

20180721「渡来氏族」について(3)



弥生時代に九州北部から「倭人」と呼ばれた人たちが朝鮮半島に進出して行った。「倭人」とは縄文人と「渡来系弥生人」が混血した人々である。それは前述「渡来氏族」と呼ばれている人たちが日本に渡って来た時から何世紀以上も前のことであった。

初期の「渡来系弥生人」は長江中流域で漁労・稲作の文明を築いていた民であった。彼らは4200年前に起きた地球の気候の寒冷化の影響を受けて北方から日本に南下してきた狩猟・畑作の民に圧迫されて一部は中国雲南省の山間部に逃れ、一部は長江河口から海を渡って九州南部に、一部は長江河口から海岸伝いに北上し、山東半島・朝鮮半島南部を経て九州北部にやって来た。縄文人たちは彼らと争うことなく混血した。彼らは島伝い・海岸伝いで徐々に島根県の淀浜・福井県の鳥浜・紀伊半島南部辺りまで移動して行った。(参考:安田喜憲著『古代日本のルーツ 長江文明の謎』)。

時代が下がって日本列島側では弥生時代以降大和王権が確立されるまでの過程にあったとき、上記「倭人」や未だ縄文人のままであった人々と古代中国の春秋・戦国時代戦乱から逃れて朝鮮半島・中国大陸方面から移動してきた人々が居た。彼らも「渡来系弥生人」である。こうして縄文人と「渡来系弥生人」の間で数世紀以上にわたり混血が進み、縄文人は「倭人」に変わって行ったと考えられる。「倭人」は「渡来氏族」として渡来した古代朝鮮人・古代中国人との間でも混血して行った。江戸時代までに中国の呉越地方から日本にやって来た有能な人々が沢山いた。戦前も戦後も日本に来て日本人と結婚した外国人は多い。

戦後ヨーロッパ系やアフリカ系の人たちとの結婚が増えている。日本に帰化したスポーツ選手や力士も多い。これが日本人のDNAの非常な多様性を示す理由となっていると考えられる。将来その傾向は加速されるだろう。将来の日本人のDNAはさらに多様になるだろう。日本人は雑種である。雑種は生き残る力が強い。

私は、「渡来氏族」は元「倭人」が多い集団であるとしている。そうすると古代における「渡来氏族」は現代における日系ブラジル人など日本に出稼ぎに来ている日系人たちと似ている。日系ブラジル人たちは日本人の血を引いているが、言語・文化・習慣が日本人と全く違っている。彼らは国籍上でも「外国人」である。「渡来氏族」も同様である。しかし両者の違いは、日系ブラジル人の日本への入国は一世紀以内の「里帰り」であるが、「渡来氏族」の「里帰り」は数世紀を経た「里帰り」であると言う点である。

「渡来氏族」は「外国人」であっても、海を隔てた「倭人」同士お互いに惹きあうものがあったに違いない。生物は同じ「種」同士で群れる。野鳥もイワシも大きな群れになり、方向を変えるときは一斉に動く。人の手によって駆除されているアリたちは駆除により次第に少数になってくると一か所に集まり大きな群れを為す。後漢の末期前後朝鮮半島が平和で無くなってきたとき、非常に多数の元「倭人」やこれに所縁がある人々が平和で将来への希望に満ちている母国日本に「里帰り」したと考えられるが、これは上述の生物学的「群れ」現象であるということではないだろうか? (続く)



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