2018年7月28日土曜日

20180721「渡来氏族」について(7)



西暦663年の白村江の敗戦を契機に、百済国の支配層の一部を構成していたに違いないと考えられる「倭人」たちとその縁者である百済人たちは白村江で戦い生き残った兵士らと共に倭国(日本)に戻ってきた。その行動は「倭人」たちが進出し影響を及ぼしていた土地からの撤退である。渡部昇一著『古代日本史入門 頼山陽「日本楽府」を読む』にはその史実が「引き揚げ」と書かれている。

白村江の敗戦後日本軍の捕虜は後に日本に帰された。こうして朝鮮半島に進出していた「倭人」たちは朝鮮半島から殆ど姿を消してしまった。神功皇后による新羅征伐は朝鮮半島に進出していた「倭人」たちの軍事力により成功したと考えられている。朝鮮半島に進出していた「倭人」たちのお蔭で倭国(日本)400年間にわたり朝鮮半島で得ていた権益は、白村江の敗戦により完全に失われてしまった。

 ともかく、16000年前から3000年前まで13000年間も続いた縄文時代を通じて日本人の「心」が確立され、現在に至っている。日本人の「同胞意識」の根源は縄文時代とこれに続く弥生時代にある。被災地に非常に多くのボランティアたちが駆けつけ助け合う精神の起源はこの両時代にある。このことを我々日本人が自覚することにより、今後日本人が歩んで行くべき方向への道が明らかになるだろう。

 「渡来」という用語は上述「渡来系弥生人」のほか、散発的に個別に日本に来て日本人になった人たちのみに適用すべきである。そういう意味で戦後日本に永住権を得た人たちは「渡来人」である。渡来人が日本国籍を取得した場合は「帰化」である。「帰化」という用語について反発の向きもあるが全く問題にすべきではない。

しかし「渡来氏族」を含め日本に朝鮮半島から引き揚げた「倭人」及びその所縁のある人たちについては「渡来」・「帰化」とは言わず、「倭人」と所縁のある人たちも含め「帰来」と言うべきである。つまり古代の「渡来」・「帰化」は「帰来」の意味で捉えるべきである。

一方「渡来系弥生人」は「倭人」と混血し日本人の先祖になった人たちである。「渡来系弥生人」は縄文末期以降日本に渡来した人たちであって「渡来」の意味が特殊である。彼らは縄文人と混血して日本人の先祖となった人たちであるから「帰化」ではない。故に『日本書紀』に記述されている「帰化」は当時の客観的状況として理解されるべきことである。

後漢末期などに戦乱から逃れて、王権が確立されている日本に一族の将来の希望を託し日本に渡って来た人々の「帰化」と、先の世界大戦後日本に残留した人たちや、朝鮮戦争後日本に不法移住して日本で特別永住権を得ていた人たちが日本人になるための手続きとして帰化する場合の「帰化」とは意味が全く異なっているのである。(終わり)



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