2018年7月26日木曜日

20180721「渡来氏族」について(5)



日本人のY染色体DNAは、日本人に特有のY染色体DNAハプログループD1b(注:その占有率は沖縄で55.6%・九州で26.4%・青森で38.5%・北海道日高アイヌで88%)の他、上記「渡来系弥生人」及び中国大陸・朝鮮半島から移動してきた人々のY染色体DNAであると考えられるY染色体DNAハプログループO系統が現代の日本人のY染色体DNAの殆どを占めている(Wikipedia)。

縄文人の特徴は二重瞼・えくぼ・シミ・湿った耳垢・ちぢれ毛・彫りの深い顔立ち・酒に強いなどである。日本人は混血の多さゆえに人々は色々な容貌・体つきをしている。何世代にも亘って血が混じり合って来たのでたとえ縄文人の特徴が無い容貌であっても日本人は身体の何処かに縄文人の要素を持っている。上述「渡来氏族」の人たちの長など主だった人たちは、縄文人の要素を持っていた人たちであったに違いない。

戦後特別永住権を得ている在日の人たちでも二重瞼の人たちがいる。その人たちの血にはもしかして古代朝鮮半島で「倭人」の血が混じっていたかもしれない。朝鮮半島には僅か4%という低頻度であるが、Y染色体DNAのハプログループD1bの人々が存在している(Wikipedia)。

この4%と言う数字には朝鮮半島に遠征した秀吉軍の一部の残留者や、明治時代以降韓国に渡り其処で没した日本人のDNAによるものが含まれていると考えられる。また白村江の戦いの後日本に帰れずやむなく朝鮮半島に残留した人たちも居たであろう。その人たちのDNAも含まれているに違いない。上述のとおり科学的な説明は出来ないが、生物学的な「群れ」の現象により戦後朝鮮半島から日本に移住した在日の人たちがいたかもしれない。

 頼山陽は詩集『日本楽府』の中で、西暦663年に白村江において42千人の日本軍が唐・新羅連合軍に大敗し、百済を復興させることが出来なかった史実をもとに『百済を復す』と題する詩を収めている。その詩の最後の行に「唐と日本とどちらが得をしただろうか。百済から天皇を慕い、天皇に忠義を尽くす人たちが海を渡って日本にやってきた。彼らは天皇の臣民となって何世代にもわたり皇室を護ってきたのだ」という趣旨の言葉を述べている。

 翻って戦後の日本には日本に残留した元日本国籍の外国人や、不法に入国した外国人が非常に沢山いる。それらの人々の多くは日本で特別永住権を得ている。一方で労働力不足を補うため、日本政府はブラジルなどから非常に多くの日系人の「出稼ぎ」を歓迎している。このため日系人の血を引く子孫も含め日本には非常に多くの日系外国人が居住している。上述頼山陽の詩にあるように彼らも何世代か後には純粋の日本人になり、皇室を護る力になることだろう。日韓・日中の間には愛国心教育の影響もあって両国家間にしこりがある。しかしこれは両国政府の確固たる未来志向により乗り越えられなければならない。(続く)


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