2016年1月30日土曜日

20160129「仏教」をキーワードに、思いつくまま綴る(7) ―― 天皇・皇后両陛下のフィリピンご訪問 ――


 天皇・皇后両陛下は、太平洋戦争の激戦地であったフィリッピンに戦死・戦没者の慰霊の旅に行かれた。フィリッピンにおける日本軍とアメリカ軍との間の戦いで命を落とされた人の数は、フィリピン人約120万人・日本人約52万人・アメリカ人約17万人であった。両陛下はフィリピンの「無名戦士」の墓にお参りされ、ルソン島中部のカリラヤにある日本人戦没者を悼む「比島戦没者の碑」にお参りされ、それぞれの御霊を追悼・慰霊された。

 両陛下がカリラヤの「比島戦没者の碑」を訪れられとき、不思議なことに朝から降っていた雨は止み、日差しが現れるようになっていた。両陛下が「比島戦没者の碑」のある場所にご到着になられたちょうどその時、一陣の風が吹き木々が揺れていた。その風は数秒間吹いていただけであった。両陛下は日本から持って行かれた白い菊の花を供えられた。両陛下は碑の前で深々と頭を垂れられ、深々と礼拝された。私もその間テレビの前で合掌し、「南無阿弥陀仏」と小声で唱えた。

 両陛下は「比島戦没者の碑」にご参拝後、その碑の前に参列していたご遺族の方々の前に歩み寄り、一人一人にお声を掛けられ、ご遺族の方々との会話にかなり長い時間を割いておられた。約100名の参列者は非常に感激していた。

 私は何故テレビの前で「南無阿弥陀仏」と唱えたのか。その理由をここに書いておきたい。その前に幾つかの仏教の用語の意味を確認しておきたい。

「南無」はサンスクリット語のナマス(namas)およびナモー(namo)の音写で、「敬意・尊敬・崇敬」をあらわす感嘆詞である(Wikipedia』による)。「阿弥陀仏」は(Amitāyus)の音写で、「その説法は時間的には三世にわたって無限(無量寿)であり、空間的には十方にわたって無際限(無量光)であり、その誓願に従ってあらゆる衆生を救済するとされる(『仏教要語の基礎知識』(春秋社)による)」ものである。「三世」とは「過去・現在・未来、また前世・現世・来世(『広辞苑』による)」である。「誓願」とは「誓いを立てて神仏に祈願すること(『広辞苑』による)」である。

阿弥陀仏のお姿に向かって合掌し、阿弥陀仏に誓願して「ナムアミダブツ」と唱えることは「念仏」である。「念仏」とは「心に仏の姿や功徳を観じ、口に仏名を唱えること(『広辞苑』による)」である。そのようにすれば誰でも浄土に行くことができるとされる。「浄土」とは「五濁・悪道のない仏・菩薩の住する国(『広辞苑』による)」である。

これは、現世においても自分の周り・自分の家族など身近なところでは修羅も憎しみも恨みもない穏やかな平和な状態として現れる、と考えることができるであろう。もし、自分の現世が自分の身内の誰かの来世であるとし、自分の現世が自分がこの世を去った後、身内の誰かの新しい命として生まれかわるとすれば、「浄土」は阿弥陀仏・阿弥陀如来への信仰心次第であると言えるであろう。

両陛下は太平洋戦争で多くの命が失われた激戦地を回り慰霊の旅を続けておられる。私は、両陛下が日本国民を代表して国の別なく戦死・戦没者を慰霊して下さっていることは非常に大きな供養である、と思っている。釈尊は供養が足りないとその人の来世は良くないし、供養が十分であるとその人の来世は素晴らしいという趣旨のことを説いておられる(『新訳仏教聖典』六法輪閣版、386ページ、「増一阿含経」より)。

日本国民は天皇・皇后両陛下がそのような形で供養をして下さっているお蔭で、良い状況の中にあるのである。厩戸皇子・厩戸王(=後世の諡である聖徳太子)と聖武天皇の御事績により、仏教が日本に定着した。太平洋戦争に敗れて日本は大きなダメージを受けたが、仏教のお蔭で日本は平和と繁栄を享受している。私はそのように思っているので、両陛下がフィリッピンで慰霊碑の前で深く頭を垂れられたとき、私はそのご様子がテレビに映っているのを見て、テレビの前で合掌し、「ナムアミダブツ」と唱えたのである。

2016年1月7日木曜日

20160107「仏教」をキーワードに、思いつくまま綴る(6) ―― ギリシャの古代円形劇場で能を舞う/「修羅」を語り継ぐ ――


 ABSの番組を録画しておいた『世界遺産で神話を舞う』を再生して視聴した。アテネの南西約65㎞のところに今から約2400年前のエピダウロス遺跡というものがあり、そこで古代の円形劇場が発掘され往時の姿のまま保存されている。その円形劇場でギリシャ人演出家マルマリノスと人間国宝・能楽師梅若玄祥とのコラボレーションにより、ギリシャ最古の大英雄叙事詩『オデュセイアー』第11書「冥府行ネキア」を新作の能として演じるまでの経緯と、その劇場で行われた能の様子がその番組で紹介されていた。ネキアを題材とする能の脚本を書いたのは笹井賢一であり、舞台監督はギリシャ人ヴァ・マニダギである。プロデューサーは日本側が西尾知子、ギリシャ側がヨレブスであった。

ギリシャ神話の叙事詩が能で演じられたが、装束も所作も舞台も音響も全く古来の能と変わらない。上演は夜9時から行われたが、文化大臣も含め殆どアテネからやって来た1万人以上の、ほとんどがギリシャ人である観客のために、左右両側のギリシャ語による字幕が表示されている。能が始まるとそれまでざわついていた会場は静まり返り、観客は息を凝らして舞台に見入っていた。

口上は「オリンポスの神々よ 見そなわせ 我らは東の果て 日の出る国 日の本の能の一座」であった。能の終盤にオデュッセウスが冥界にいるアイアースに「アイアスよ 我に敗れたこと 未だ許さぬか アイアスよ (アイアスからは返事が無く亡霊をかき分け死者の国を去る) 鎮魂の芸能者 語り舞え 命たぎらす修羅の戦いを 敗れ去りし者の修羅を 勝ちし者の修羅の道 我らは鎮魂の芸能者によりて 永久(とわ)に語り継がれるであろう」と語る場面がある。能は舞なのであるが、演劇的な見せ場になっている。これは演出家マルマリノスが最もこだわった部分であった。

120分間の舞台が終わると観客は総立ちで大拍手を送り、拍手がなかなか鳴りやまなかった。主演者梅若は能面を外し、観客に応えた。観客の中には感激のあまり、「鳥肌が立った」と言った人も居た。これはギリシャ人の心の深奥に日本人と同じ八百万の神々への信仰心があるからであろう。演出家マルマリノスは「日本に来ると、まるで過去にここで暮らしていたような感覚になる」と言っていた。そのとおりであろう。今を生きる人の意識が、過去に生きた人の意識と共鳴・共振する。意識(無意識を含む)は、時空を超越し広大無得に融通無碍に、自由自在に延伸するものである。私は蔵書の『オデュッセイアー』(呉 茂一 訳)を読もうと思う。

多神教の国々は平和である。ギリシャは5世紀ごろキリスト教により多神教の偶像崇拝が禁じられた。修羅は一神教の国々の間や儒教の国々で起きている。あらゆる物に神を見、仏教行事を行い、キリスト教の風習も広がっている国、わがニッポンはなんいうと幸せな国であろうか!その中心に天皇様がいらっしゃる。日本人の意識(無意識を含む)は、天皇様に収斂して、縄文時代・弥生時代・古墳時代に生きた人々と交流する。『古事記』がそれを媒介する。有難いことである。共産党は批判するが、国会の開会式において天皇様の御座が高いところあってもいいではないか!


天皇はヨーロッパや中東や東アジアにおけるような支配者としての‘王’ではないのだ。皇太子が天皇になるとき「天下る」のであり、天皇が崩御されたときは「かむあがる」のである。科学的には霊界から「天下り」、霊界に「かむあがる」ものではないのだが、神話に先祖がいるのは天皇であるのだから、国会での議場という‘舞台’の開会式という‘儀式’においては、天皇が座す椅子は高いところにあってもいい。共産党がそれを目くじらを立てて批判するのは大人げないことである。

2016年1月5日火曜日

20160105「仏教」をキーワードに、思いつくまま綴る(5) ―― 義理と人情、理想主義と合理主義、朱子学と陽明学、原理主義と実用主義 ――


 上記副題は、それぞれ一部重なる部分もあるが対立する概念である。いずれも一方がその正当性を強く主張すれば、他方はそれに対して反発する。仏教で説く天上・人間・修羅・畜生・餓鬼・地獄の六つの世界のうち、「修羅」の状況になる。「修羅」は争い・闘争の状態をいう。

 人は一切の我欲を無くすれば、「修羅」の状態で無くなるだろう。相対立する両者がそれぞれ我欲を全く無くした上で、お互いに中道・中庸を願うならば、争いは収まり、最終的に争いが無くなり、お互いに平安な状態になるだろう。一方に我欲がある場合、安易な妥協は後世に禍根を残す。これは真の中道・中庸ではない。

 ここにABが居てAは我欲がありBは我欲が無いとする。そのAが自覚できない、或いは自らは絶対知り得ない深層の心理(=無意識)にある我欲・怨念・妄信のためBを屈服させようとするならば、Bは自らの存続のためにAと戦わざるを得なくなるだろう。仏教が国民の間に根付いている国は一般的に平和な国である。これをBとする。「善」について独断的な観念をもっている国は一般的に国内的にも対外的にも「修羅」の状況にある国である。これをAとする。ABに対して心理戦・思想戦・サイバー戦・或いは武力挑発を仕掛けてきたときは、Bは自存・自衛のために武力を用いてAに対峙し、あらゆる手段を用いてAによる攻撃を防がなければならない。このとき仏教が国民の間に根付いている国であるBもやむを得ず「修羅」の状況に置かれる。

「煩悩」は人間のみならず人間の集団である国家にもある。これが平和を乱す原因である。平和を維持するために、仏教が国民の間に根付いている国Bは我欲・怨念・妄信の「修羅」の国Aに勝る強い力を保有していなければならない。安倍総理が掲げる「強い国・日本」を目指す諸政策の実行は、決して野党の政治家たちが非難している「暴走」ではない。安保関連法案は安倍総理が口酸っぱく何度も言っているように、日本国民を守るための法案である。

父が用明天皇の第二皇子であり、母が欽明天皇の皇女・穴穂部皇女である厩戸皇子(=聖徳太子)は仏教を厚く信仰し、日本国内に仏教を興隆させることに努めた。聖徳太子が推古天皇の御世に制定した『十七条憲法』は、日本の「和」の精神の真髄である。その後、聖武天皇の御世、日本では各地に国分寺・国分尼寺が置かれ、東大寺が建てられ、その東大寺には今でいう土木工学部も含めた総合大学とも言える教育機関が置かれて国中に仏教が広められ、人々の教育水準が高められた。

私は『十七条憲法』の中で特に、「一に曰く、和(やわらぎ)を以て貴しと為し、忤(さか)ること無きを宗とせよ。(後略)」「十に曰く、忿(こころのいかり)を絶ちて、瞋(おもてのいかり)を棄(す)て、人の違うことを怒らざれ。人皆心あり。心おのおのの執れることあり。かれ是とすれば、われ非とす。われ是とすれば、かれ非とす。われ必ずしも聖にあらず。(後略)」などの条文が好きである。今から1410年ほど前に制定されたこのような憲法を持っている国は日本だけである。

日本を取り巻く東アジアの情勢は厳しいものがある。私は、日本は聖徳太子の時代・聖武天皇の時代に築かれた精神を大事にすることにより、東アジアの中で生き残ってゆくことができると確信している。日本は、自らは望まなくても、やむを得ず「修羅」の状況の中に置かれることもあり得るだろう。先の大戦で自らの命を投げ出して戦って死んで逝った先人たちの思いに、今を生きる日本人は意識を向ける必要がある。

『易経講座』(安岡正篤著、致知出版社)には次(“”で示す)のことが書かれている。この本には、物事を判断し実行に移す場合の知恵について書かれている。「無我無私」の重要性について説かれている。そして安易な妥協を戒めている。

 “(前略)・・単に歩み寄りなんていうものは居中であって折中ではない。易は中庸である。中庸は複雑な現実に処して勇敢に折中していくことである。・・(中略)・・安価な穏健中正等は一番くだらない誤魔化しである。・・(後略)”

 日本は安倍総理が掲げるように「積極的平和主義」を推し進めなければならない。日本は自らの領土・領海・領空・排他的水域を守り、平和と繁栄を維持するために必要な力を備え、これを常に高めてゆかなければならない。憲法前文にある「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼」するだけでは、日本を守り抜くことは絶対出来ないのである。「平和!平和!」と叫ぶだけでは平和は保たれないのである。私は、一部の人々が安保関連法案を「戦争法案」と信じ込んでいるのは、人情・理想主義・朱子学・原理主義の表れとして理解できるが、日本を危うい状態に置きかねない心情であると思っている。

2015年12月31日木曜日

20151231「仏教」をキーワードに、思いつくまま綴る(4) ―― 日本 国家として懸念を払拭するための精神文化 ――


 日本の仏教は、6世紀の半ば、欽明天皇(在位:西暦539571年)の御世、百済から伝えられた。その韓国では西暦1393年に李氏による王朝時代(期間:西暦13921910年)に入ると、儒教の一派である朱子学のみが統治・支配のため崇拝され、仏教が弾圧された。近代に入ってキリスト教(カトリック)も弾圧された。

 日本においても仏教は、過去に時の政権によって弾圧された歴史がある。但し、それは時の政権による国家運営に大きな障害となっていた過激な武装集団としての仏教集団に対するものであった。信長による延暦寺焼き討ち、秀吉による寺院の武装解除、江戸幕府による日蓮の教義を信じない日蓮宗の一派の不受不施派に対する厳しい弾圧、明治新政府による神道重視の政策の結果行われた全国規模の廃仏毀釈や虚無僧が在籍する普化宗を廃止などがそれである。日本においても朱子学が統治・支配のため必要な学問として、各藩の学校で教育されていたが、一方で実用主義的な学問である陽明学の教育も私塾で行われていた。

 韓国における仏教は、儒教を国家運営の中心に据えていたため仏教は弾圧されたが、日本では過激派や異端の仏教団体のみが弾圧されただけである。日本では聖徳太子や聖武天皇が日本国内における仏教の普及に大きな影響を与えた。日本では仏教が国家運営の中心に置かれ続けた。江戸時代に入ると一般市民は皆、檀家制度により寺門に組み込まれ、仏教の寺院は行政の一端を担うようになった。国家の運営に関わる仏教の扱われ方が、日本と韓国におけるそれぞれの国民性の相違に大きな影響を与えたことは確かである。

 このたび、いわゆる従軍慰安婦問題が完全に解決する方向に向かった。しかし、日本人の間ではこの問題が再び蒸し返されるかもしれない、という懸念を払拭することができないでいる。この問題が再び蒸し返されないようにするためには何が必要か?もし万一、この問題が蒸し返されたとき日本人はどういう態度で臨むべきか、日本人はしっかりした心構えを持っておく必要がある。

 後者について、心構えの一つは仏教の精神文化を維持・増強させることである。仏教では、「死後の世界に目を向ければ、人生はより豊かになる」ことを教えている(『人間(ひと)は死んでも、また生き続ける』大谷暢順著・幻冬舎)。

 死後の世界を現世の者は誰も経験していないので、それがあることを信じるほかない。しかし、死後の世界は現世の生き様次第であると信じ、憤怒・激情を抑えきれずに他人の尊厳を平気で傷つけるような人たちの死後は、必ず修羅・餓鬼以下の存在となることを信じて、現世を正しく生きるならば、その人は現世できっと幸せになれるだろう。

 国家は人々の集合体である。個々の人々のそれぞれの心の持ち方次第で、国家の品格が定まる。日本人は、昔に帰って孟子の教えや「知行合一」を説く陽明学の教えを学び、仏教の教えを学び、和服を愛して畳の上の生活を大事にし、礼儀作法を学び、茶道の一期一会の精神を学ぶなど、いわゆる「和」の精神文化の世界に日本人の精神を再発見する必要がある。

 そうすれば、日本の周辺の国々が日本に対してどのように振る舞おうと、何も気にすることはなくなるであろう。欧米・東南アジア・大洋州諸国・印度・中央アジア・モンゴルなどの国々は、そういう日本を大切に思い、陰に陽に日本を助けてくれるであろう。

 ただ、日本の周辺の国々が日本を親しく感じない原因が過去の日本にあることを、日本人は深く自覚し、その因縁を解消させるため最善の努力を未来においても継続してゆく必要がある。『反日・愛国の由来』(呉 善花 著、PHP新書)に「日本人を倭人と呼んで蔑視した朝鮮通信使」という項がある。そこには “・・(前略)・・(朝鮮通信使の)申維翰の主張は「豊臣秀吉が朝鮮を侵略したから日本人を蔑称してよい」というものだ・・(中略)・・韓国・北朝鮮人はいまでも、同国人どうしで日本人の悪口をいうときには「日本奴」「倭奴」「猪足」・・(中略)・・などの蔑称を用いることが珍しくない・・(中略)・・現代韓国・北朝鮮人もまた、「日本人はわが国を侵略したから」という理由で、日本人に対する侮辱的な言葉や行為を正当化している・・(後略)”とある。私もかつて韓国を旅行したとき、バスガイドの韓国人女性から「豊臣秀吉と伊藤博文は韓国で最も嫌われている」と聞いたことがある。韓国人の間で「自分たちの国が日本に侵略された」という怨念は、世代が変わっても遺伝や教育によって決して変わることはないであろう。

 日本人は上記のことを深く自覚しつつ、上述のように「和」の精神文化の世界に日本人の精神を再発見する必要があるのである。


2015年12月21日月曜日

20151221「仏教」をキーワードに、思いつくまま綴る(3) ―― 「煩悩」と「輪廻転生」。それは国家でも同じである。 ――


 ここに、昭和36年(1961年)初版発行の『正信聖典』(浄土真宗 親鸞会)という小冊子がある。これは、昭和54年(1979年)に他界した父が所持していたものである。この本には上段に親鸞聖人が作った七言絶句の長詩『正信偈』、下段にその訓読が書かれている。今までこの小冊子のことをすっかり忘れていたが、『正信偈』を持ち帰った筈だと書棚を探していたらそれが見つかった。私は、このお経は大変素晴らしいお経であると思っている。

 僧侶はお経を上げ、葬儀や法要の参列者はただ手を合わせて黙って聞いていて、そのお経の意味は分からずに、その厳粛な雰囲気の中でただ有難がっている。その儀式が終われば、人々は再び煩悩に満ちた日常に戻る。

 「煩悩」とは広辞苑によれば、「衆生の心身を煩わし悩ませる一切の妄念。貧・瞋・慢・疑・見を根本とし、その種類は多い」とある。因みに「瞋」とは「いかる・いからす」「目をわくいっぱいに開く・かっと目をむく」ことである。『仏教要語の基礎知識』(水野弘元著、春秋社)によれば、「煩悩」には根本煩悩として六種または十種あり、“中でも貪欲・瞋恚・愚痴(貧・瞋・痴)の三つはもっとも基本であり、この中でも愚痴すなわち無明が最も根本とされる。”この「無明」とは“無知であって、四諦や縁起の道理を知らないこと”である。“四諦は人々の苦しみや悩みをいやすための原理を説いたもの”である。“縁起とは「種々の条件によって現象が起こる起こり方の原理」である。なお、「瞋恚」とは『学研 漢和大辞典』によれば「①自分の心に反するものを怒り怨む。②目をむいて怒る」ことである。

 私自身も「瞋恚」であり、なかなか改まらない、但し「怨む」ことは全くないのであるが、人々は如何に「貪欲・瞋恚・愚痴」の日常を送っていることか!これが時に言葉による暴力・切傷・殺人の基になっている。良寛は「欲無ければ一切足り、求むる有れば万事窮す」と詠っている(『意に可なり』)。欲が無ければ怒ることも少なくなるだろう。

 煩悩は遺伝・教育・内省によりその顕れ方が異なるであろう。私は、煩悩の顕れ方は遺伝によるものが一番大きいと思っている。人の性格は生まれつきのものであるから絶対変わらないが、人の行動は教育や内省により変わり、一見その人の性格は変わったように見える。しかし、何かの折に突然その人の地が顕れて周囲の人を驚かすことがある。

 人は生きている限り煩悩を捨て去ることは絶対にできない。しかし、家庭や学校や社会による教育と、その結果身につく自己内省に基づく努力により、煩悩の顕れ方が変わってくる筈である。

 『人間(ひと)は死んでもまた生き続ける』(大谷暢順著、幻冬舎)に、“仏教には「輪廻転生(りんねてんしょう)」という思想があります。・・(中略)・・この輪廻思想は、仏教が開かれる前からインド人のなかにしみ込んだ教えです。・・(中略)・・キリスト教の場合は、人生は一度きりで、死者は最後の審判の日に復活して神の裁きを受け、神の国に受け入れられるか、地獄に落ちるかのどちらかとされています。イスラム教もほぼ同じで、ユダヤ教のほとんどの宗派は、死者は土にかえると考えられているそうです”とある。

 輪廻転生の思想では、人は死んだら地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上の何れかの世界に生まれ変わるとされている。この思想では、「前世→現世→来世」の繰り返しは死後も続くものであり、今生きている人は前世の宿業を負って現世を生きているとされている。現世で畜生と同じような生き方をした者は、死後、畜生に生まれ変わることになっている。

人間は死んだら何かに生まれ変わるが、この生まれ変わりは「意識(または自分自身では気付くことが出来ない意識(=無意識)」の継承と前世・現世の意識・無意識の共鳴・共振である、と私は考えている。意識・無意識は時空を超越し、広大無辺に自由自在・融通無碍である。これは霊魂でもあるが、意識・無意識は人間だけが持っているものである。

私は、意識・無意識について前世・現世間の共鳴・共振があるゆえに、畜生以下に堕ちた人も現世の人との間で意識・無意識と共鳴・共振して上位に引き上げられることもあり得ると考えるものである。大本山永平寺が出している『修證義』には「設(たとい)天上人間地獄鬼畜なりと雖(いえど)も、感應(かんのう)道交(どうこう)すれば・・(中略)・・帰依(きえ)し奉(たてまつ)るが如(ごと)きは生生世世處處に増長し、必ず積功累徳し」とある。

 ところで、私は人間の集団である国家も意識・無意識を持っており、それは政府が変わるたびに生まれ変わるものであり、国家にも煩悩と輪廻転生があると考えている。国家としての煩悩ゆえに国家は他の国家を見下したり、他の国家に対して攻撃的になったり、利害を調整して協調的になったりする。


 日本人(但し、日本では人が死んだ場合、仏式の葬儀を営む人が圧倒的に多いと思われるので、集合的に「日本人」と言う。)は古来、輪廻転生の思想をもって後世へと命を繋いできた。日本人は「貪欲・瞋恚・愚痴」の三つの最も基本の煩悩を遠ざけつつ、これまで歩みを進めてきた。日本は明治維新・大東亜戦争の終結・政権の交代のたびに大変化或は小変化で生まれ変わったが、私は、日本人が聖徳太子や聖武天皇について正しい教育を受け、日本が神武天皇以来の皇統を守り続けるかぎり、日本は生まれ変わるたびに「天上界の上位」に上って行くことだろうと固く信じている。

2015年12月18日金曜日

20151218「仏教」をキーワードに、思いつくまま綴る(2)   ―― 母の命日 ――


 1218日は、私の生母の命日である。母は昭和21年(西暦1946年)のこの日、享年33歳でこの世を去った。母は大正3年(1914年)110日生まれであったから、享年は殆ど満年齢に近かった。死因は乳がんであった。

 叔父が二度目の出征前の昭和18年(1943年)に実家で祝言を挙げたときの集合写真がある。その叔父の長兄である私の父は当時朝鮮で国民学校(小学校)の訓導(教師)をしていて、青年訓訓練所の指導員もしていた。父は母と私たち兄弟及び乳飲み子だった妹の3人の子供を連れて一時帰郷し、その祝言に参加していた。祝言には近所の方々が手伝いにきてくれていて、仏間とそれに続く座敷で行われた。当時はそのような儀式があるときの会食には一人一人のお膳があり、その料理を作ることやお膳を並べることなどを近所の方々が手伝っていた。

 それから2年後日本は戦争に敗れ、母と私たち子供3人は終戦直後朝鮮から引き揚げてきた。当時国民学校長や青年特別訓練所所長・女子青年錬成所長などをしていた父は朝鮮に残留し、9月末に帆船で引き揚げ、博多に上陸した。そのとき既に母の乳房にはがんが出来ていた。母の乳房には小さいおできのようなものが出来ていた。母は別府の病院で片房ずつ両方の乳房を切除する手術を受けたが既に手遅れで、翌年のこの日(1218日)にこの世を去った。その時私は9歳、弟は7歳、妹は3歳であった。

 母は入院中見舞いに訪れた私と弟にマグロの刺身のお茶漬けを作って与えてくれた。米は入手困難であったに違いないが白米のご飯であった。その米は祖母が父に託したものであった。父は当時38歳であった。私たち兄弟は父に連れられて一面焼け野原になっていた大分市街地を路面電車に乗って別府に向かった。焼け野原は戦時中米軍による無差別爆撃によるものである。当時55歳であった祖母も米軍機による機銃掃射を逃れて橋の下に避難したことがあった、という話を私は祖母から聞いている。

 人はこの世に生を享け、いずれは草木が枯れるように枯れて朽ちてゆく。草木は若い芽を出していずれ土に還るがその期間は一定でないように、人の一生も同様である。戦斗や戦火により短い生涯を終えた人も、生きながらえて天寿を全うした人も同様である。しかし、人は特異な死に方をした人のことを生涯思い続けるものである。人は志をもって短い生涯を駆け抜けた人のことを特別な思いで想うものである。私の母にも志があった。母は死の直前私に死に際の有り様がどうあるべきか示してくれた。侍の子孫であった母は私たちにがんの苦痛のことを全く示さなかった。そのことが私の精神的支柱を形成している。

 病院から見放され私の祖父母の家で死の床についていた母の背中には一面に多数のこぶが出来ていた。母は私に「起こしておくれ」と言い、私が母を床から起こしてあげると「背中をさすっておくれ」と言っていた。しかしこの日(19461218日)には「背中をさすっておくれ」とは言わず、「東を向けておくれ」と言い、「御仏壇からお線香を取ってきておくれ」と言い、私がそのようにしてあげたら、今度は「お父さんを呼んで来ておくれ」と言った。私は裏山で地面に落ちている枯れ松葉をかき集めに行っていた父を呼びに行った。父と共に戻って来たときには母は布団の上に寝かされていて、既に死んでいた。

 先祖が同じである新宅のH叔父さんは私たち小さい子供3人に「真剣にお経を上げるとお母さんに会えるよ」と言っていた。私たちは「帰命無量寿如来」で始まる七言絶句の長詩を暗唱するほど、毎日仏壇の前で熱心にお経を上げていた。

 私は前世・現世・来世にわたる因果応報を確信している。これまでの人生を振り返ると、「あの時は亡き母が守ってくれたに違いない」と思うような危険なことも何度かあった。私は、今享受している幸せは母や先祖の導きによるものであると思っていつも感謝している。

 私は、「人は死んでもその意識は無くなることはない。今生きている自分が意識をその死んだ人に向けるとき、過去に生きた人の意識は今生きている自分の意識と共鳴・共振する。意識には自分自身が気づかない深層の無意識もある。やがて自分もこの世を去るが、私の意識は後の世に生きる人の意識と触れ合うに違いない」と固く信じている。

 私は、「阿弥陀(Amitāyus無量寿・Amitābha無量光)」(『仏教要語の基礎知識』水野弘元著、春秋社より引用)は、宇宙そのものであると考えている。現代の科学では宇宙は無数に存在しているとされている。その宇宙は一点から光を発し、無数の星々や無数の星雲が生まれ、その星雲の中の太陽系の惑星の一つであるこの地球上に私は生きている。私は、宇宙は一つの「生命体」のようなものであると考えている。

私は、親鸞は釈尊が説かれた真理を紐解き、仏に帰依する方法の一つとして「阿弥陀仏が人々に救いの手を差し伸べて下さっているので、ひたすら阿弥陀仏を信じ、阿弥陀仏にすがりなさい」と教えられたのだと思っている。


私は、人は阿弥陀に全幅の信頼を置けば、人生における「苦」は無くなると思っている。今、母の命日に当り、報身仏である「阿弥陀如来」すなわち「阿弥陀仏」を信じ、手元に阿弥陀仏の画像が無くても心の中でその画像を思い描き、「南無阿弥陀仏」と何度も唱えれば、私の心は自ずと平安になる。真に有難いことである。

2015年12月5日土曜日

20151205「仏教」をキーワードに、思いつくまま綴る(1)


 この二ヵ月半ばかりの期間、非常に多忙であった。7月に96歳の誕生日を超えた母は、9月末、体調に変化が生じ、一週間後他界した。その母は私が13歳のとき父の後妻としてわが家に嫁いできた。その翌年、父母は生後5か月の乳飲み子を連れて実家を去り、山奥の村の小学校の助教諭として赴任した。父は3年後正規の教諭に復帰することができたが、それまでは助教諭の身分で、自分よりずっと後輩の校長の下、親子三人で懸命に生きた。私は今から何十年か前、その母から自分の半生を綴った手紙を貰っていた。それには母の苦労話が書かれていた。

母は60歳の時、30年間連れ添った夫、つまり私の父が他界した。それ以降、母は一人暮らしをしながら家を守っていた。母は84歳の時大腸がんに罹ったが、その時は手術でその腫瘍を取り除いた。その一年後大腸がんが再発したが、そのときは抗がん剤の投与により完治した。しかしその後母は微熱を出すことが多くなり、認知症の症状も出始め年月を経るにつれその症状は進行した。84歳になって大病を患って以降、母は訪問介護・デイサービス・ショートステイなどのサービスを受けていたが、94歳のとき地域密着型の特別養護老人施設に入居した。母は他界する4か月前、携帯トイレ使用時に大腿骨脛部を骨折して4週間ほど入院していた。退院後、母は施設内で車いすを利用する生活になった。

私たちは毎夜8時半過ぎに施設に入居中の母に電話をかけていた。電話口で母は「皆とおしゃべりしていて今(自分の部屋に)戻ったところ。よく歩けるし、よく食べれるし、毎日楽しくて仕様がない。皆元気かえ?」と言うのが口癖であった。施設からの電話で母が「微熱を出した」と連絡を受けて、私はその施設に依頼して、母が父の他界後その施設に入居する前までの間ずっとお世話になっていたK病院に母を入院させた。K病院は母が父他界後35年間ほど独り暮らしをしていた家の近くにある。私たちはその家から毎日K病院に通い母を見舞い、母と会話を交わしていたが、母が急変したのは死亡する前日のことであった。その時母は「入れ歯をしたい」とか「トイレに行きたい」などとぐずっていた。それが最後であった。

その母が死んで仮通夜・本通夜・告別式が終わり、その後「中陰」という七日ごとの法要を檀家になっている寺の住職(「ご院家さん」と呼ぶ)に自宅に来て頂いて行い、七七日(「満中陰」、一般に「四十九日」と呼ばれる)の法要が終わって一先ず忌明となった。その法要の後、近くのホテルで法要に参列した家族・親族・ご近所の方々がご院家さんを囲んで会食し、会食が終わった後に予め用意してあった菓子包みを参列者全員に配り、「香典返し」や弔電へのお礼など済ませてようやく一連の行事が終わった。

都会では主に家族だけで行う仮通夜をしないし、初七日は告別式の直後に行い、その後も七日ごとの法要はしない。しかし私はそれは間違った習慣であると思っている。葬儀・法要を「儀式」の側面のみをとらえて考えるのか、仏教の深い教えに触れることができる機会であると考えるのか、その違いによって人々の意見が分かれる。いわゆる「葬式仏教」という悪い文化を生み出したのは、僧籍にある人たちの堕落と、人々の間違った観念・習慣によるものである。貧しければ貧しいなりにも法要はきちんと行われるべきである。

仏教は古代インドで起こり、中国・朝鮮を経て日本に伝わり、日本で興隆した。報身仏である阿弥陀仏にひたすら帰依し、自らの精神を高めて行く「他力本願」の信仰は戦前までの日本人の精神を形作っていた。一方、厳しい修業により仏の法に近づこうとする「自力本願」の信仰も日本人の精神要素の一部になっている。その他現世ご利益にすがろうとする信仰も根強いものがある。


親鸞も日蓮もそれぞれ釈尊(お釈迦さま)の教えを紐解いて人々に伝えているものであって、決して親鸞や日蓮がそれぞれ自ら新たな宗教を生み出したわけではない。私にとって、親鸞の教えは最高である。私は阿弥陀仏にすべてを預けていて、非常に心やすらかである。お蔭様で私は「これが神通力なのだ」と思うようなことを毎日のように経験している。それは観方によっては「たまたま起きた偶然のこと」かもしれないが、私はそれを「起きるべくして起きた必然のこと」と受け止めている。私は生老病死他「愛別離苦」「求不得苦」などの四苦八苦をそのまま受け入れるつもりである。たとえ自分に、或いは自分の身近な人に、思いもよらぬことが起きたとしても、私はそれを従容として受け入れる心がけでいる。

2015年10月31日土曜日

20151031遊煩悩林現神通(ゆうぼんのうりんげんじんづう)―― それは 個人にも国家にも ――


この語は真宗の『在家勤行集』の中にある。これは「煩悩の林に遊び、神通を現わす」という意味であろう。因みに「神通力」とは「禅定などによって得られる不思議な力」。「禅定」とは「座禅によって精神を統一すること」である。(三省堂『漢辞海』より引用)

 「神通」には「天耳通・他心通・宿命通・天眼通(有情死生通)の五神通がある(水野弘元著『仏教要語の基礎知識』より引用)。人はどうあればこの「神通力」を得ることができるのであろうか?私は次のようにあれば自ずとその「神通力」が得られるに違いない、と思っている。私は座禅をしたことがないので分からないが、生まれつきの性格や日常の精神や生活の有り様によっては座禅をしない人でも「神通力」が得られるに違いないと思っている。
    欲がなく、物やお金や地位や名誉で自分が他人より優位に立とうなどと全く思わないこと。
    見栄を張らず現状のあるがままに満足していて質素であること。
    謙虚で誠実であること。
    自分の身体は自分の物であるが、一方では自分の物でもないと思うこと。
    自分の人生は、自分がこの世に生を享ける以前にこの世を去った誰かの生まれかわりの人生であると思うこと。
    自分の生活において、偶然に起きたことは何か見えない力により必然的に起きたことであると思うこと。
    釈尊(お釈迦さま)の教えを学び、素直にその教えに従い、お釈迦様を信じること。
など。

 人はこの世に生まれた時から「苦しみ(=苦)」を背負っており、この「苦」は死なない限り無くすことはできない。この「苦」には「生まれること(生)・老いること(老)、病むこと(病)・死ぬこと(死)」の四つの「苦」(=四苦)の他、母の胎内で卵子が幾多の精子の中のたった一つの精子と出会って結合した瞬間から過去を背負ってこの世に生まれ出で、人生を歩む過程において味わう四つ「苦」がある。この四つの「苦」と合わせて、人はこの世で「八苦」の中で生きなければならない。

 「嫌いな憎い人びとと出会い、共に暮らすこと(=怨憎会苦)」・「愛する人びとと生別し死別すること(=愛別離苦)」・「自分の思いどおりにならないこと(=求不得苦)」の他、「生老病死(=四苦)」とこれら「怨憎会苦・愛別離苦・求不得苦」の三つの「苦」を概括した「五取蘊苦(ごしゅうんく)、旧約では五盛陰苦(ごじょうおんく)」の四つの「苦」を合わせて「四苦八苦」となる。「五取蘊」とは「取著ある心身環境のこと」である。

 仏教において仏身には「法身」・「報身」・「応身(または化身)」の三つがあるとされる。「法身」は仏の説法として真理を人格化した「真理仏」である。「報身」は信仰の修行や誓願が完成して、その結果として得られた完全・円満な理想的な仏陀のことである。これには阿弥陀(Amitāyus)仏・無量寿(Amitābha)仏・無量光仏・薬師如来がある。「応身(又は化身・応化身)」は教化の対象に応じて仮にある姿を化作した仏身のことである。2500年前にインドに出現した釈迦仏(=お釈迦さま・釈尊)はこの「応身(又は化身・応化身)」である。(水野弘元著『仏教要語の基礎知識』・『仏教の基礎知識』を参考に一部引用)

 「南無阿弥陀仏(ナムアミダブツ)の「南無」はサンスクリット語のナマス(namas)およびナモー(namo)の音写で、「敬意・尊敬・崇敬」をあらわす感嘆詞である(Wikipedia)。

 お釈迦さまは人間としての生き方はどうあるべきか、ということについて教えて下さった。私は、人はその教えを素直に受け入れ、生死に無関係に、前世から現世、さらに来世へと続く因果応報を信じ、貪り・怒り・愚かさの煩悩の心のまま喜怒哀楽しながら、しかし殺人・盗み・邪淫・邪欲・詐欺・恨み・憎みなど人の倫から外れた行いはせず、愛他・奉仕の精神で日々を送るようにするならば、誰でもきっと幸福になることができるに違いない、と思っている。五体不満足な人でも、また傍から見ていてとても可哀そうな人でも、その人自身は決して不幸に思っていない。その人は自分に起きていることを決して偶然に起きていると思っていず、それは必然的に起きていることだと思い、悲しみもせず、誰かを憎んでも恨んでもいず、いつも柔和に頬笑んで自分にできることをしている。

 国家は人びとの集合体である。日本という国家は万世一系天皇を戴いていて、日本人は天皇のもとに集う家族のようである。天皇は常に日本という国と日本に暮らす人々の幸せのみならず世界の平和を祈って下さっている。日本は他国を武力により支配下に置こうというような野心は全く持っていず、世界の平和と繁栄のため、誠実に、謙虚に、積極的に貢献している。日本がそういう国であり続ける限り、日本は幸福な国であり続けることであろう。


 日本の領土を不法に占拠し、あるいは日本の領土を奪おうとし、あるいは日本の領土・領海・領空・排他的水域を侵犯している国がある。日本は常に冷静にそういう状況に対処してきている。しかし、「神通力」が日本に作用していて日本を守ってくれている。私は、日本を取り巻く状況の中において日本にとって幸運な出来事は偶然に起きたことではなく、それは必然的に起きていることである、と思っている。「煩悩の林の中に遊びながらも神通力が現れる」状況は、無欲・誠実・謙虚な人々にも国家にも現実に起きているのである。

2015年9月28日月曜日

20150928政府が積極的に説明しない日本の安全保障環境


政府は外交上の配慮からか、尖閣諸島における日中の軍事的緊張関係について、日本国民に対して具体的に積極的に説明していない。

航空自衛隊ではロシア空軍や中国空軍の偵察機・爆撃機に対する緊急迎撃発進(スクランブル)の回数が非常に増加して来ている。北朝鮮は核兵器搭載も辞さない姿勢で中距離弾道ミサイルの発射を行う姿勢を見せている。東アジアにおける緊張は近年非常に高まってきている。自衛隊と在日アメリカ軍はこのような状況に対処するため必要な措置を講じているようである。その一つが軍事的同盟関係にある多国籍軍の間の様々な共同訓練である。

今回成立した安全保障関連法は「日本が戦争に巻き込まれないようにするための法律」である。共産党や社会民主党がこれを「戦争法案」だとレッテルを貼って国民を扇動している。民主党や維新の党などもこれらの法律が「憲法違反」だとして、共産党との間で選挙協力をしようとしている。日本の存亡にかかわるような状況が起きようとしているのに、彼らは日本国民を守ることよりも党利党略にエネルギーを費やしている。

そもそも国家の存続・平和・安全のためとる行動は憲法にその定めがなくても自然法的に認められる国家固有の自衛の権利である。国民は誰から言われなくても自ずと「平和で繁栄していて安全な国家」の中で心の安らぎを得たいと願っている。それが「民の心(=民心)」である。ところがこれらの政党に所属している愚かな政治家たちは、自分たちを支持して議会に送ってくれたのは、その「民の心」によるものであると思いこんでいる。

彼らは「民意」と「民心」の区別をしていない。彼らを議会に送り込んだのは民が彼らに議会で彼らが掲げる政策を実現してもらいたいという「民の意識(=民意)」である。民は彼らに自分たちの平和と安全と繁栄が脅かされるようなことをして欲しいとは決して思っていない。そのことを彼らは認識していず、自分たちが民よりも偉い者であると己惚れている。これは無意識にそうなったのであろうが、実際、今回成立した法案の審議の過程で彼らはカメラに向かってそのような態度を示した場面があった。テレビで見ていて非常に不愉快であった。かれらに我々の税金で高い報酬を支払う必要は全くない!

中国は尖閣諸島を囲む防空識別圏を勝手に設定し、その圏内を飛行する民間航空機に対して、中国当局に事前に飛行計画を提出するよう要求した。

中国は太平洋上に第一列島線・第二列島線を引き、アメリカに太平洋の管理を中国・アメリカの二国間だけで共同で行おうと提案した。太平洋には日本の権益も勿論のこと、オーストラリア・ニュージーランド等大洋州諸国の権益も東南アジア諸国・台湾の権益も非常に大きい。

中東から日本に石油を運ぶシーレーンはインド大陸の西岸→スリランカ南岸→アンダマン海→マレーシア・スマトラ間のマラッカ海峡→南シナ海→台湾海峡を経由している。そのシーレーンを脅かすように中国は南シナ海の南沙諸島に軍事基地を建設しようとしている。海上自衛隊は日本のシーレーンを守るための能力を高めつつあるようである。

国家間の緊張はそれぞれ国家が自存を目指す行動によって生じる。日本に対して非礼かつ非友好的な国家が軍事力を高めれば日本はこれに対抗せざるを得ない。さもないと日本はそのような国家の思いのままになってしまい、日本国民の平和・繁栄・安全は保たれなくなってしまう。その結果日本国民の安心も得られなくなってしまう。

中国は沖縄諸島が古来中国領であったとしている。中国が用意している『琉球復國運動基本綱領』という文書、及び『琉球臨時憲法九条』には、一部の沖縄の人たちが求めている「琉球独立運動」と呼応するようなことが書かれている。その『琉球臨時憲法九条』の第四条には「琉球共和國由三個主要的州:奄米州, 沖繩州, 八重山州組成,各州包括了三個列島群在的琉球群島的所有島嶼.(琉球共和国は三つの主要な州、つまり奄美州、沖縄州、八重山州から構成され、各州は三個の列島群を内包する琉球群島所有の島嶼)」(2012年『月間WILL5月号より引用』と書かれている。かたくなに沖縄からアメリカ軍の基地の撤廃を求める翁長沖縄知事の本心はいったい何なのか?

中国は「抗日70周年記念」軍事パレードで“「空母キラー」と呼ばれる対艦弾道ミサイル「東風21D」、日本やグアムの米軍基地を射程に入れる中距離弾道ミサイル「東風26」、戦略爆撃機「轟6K」。”を展示した。「抗日」といっても日本と戦ったのは蒋介石の国民党軍であって毛沢東の共産党軍ではない。

以上及び以下に、読売新聞今年922日号「変わる安保2」から括弧(“”)で引用している。政府が外交的配慮からか日本国民に対して積極的に知らせなくても、また一部の報道機関が敢えて報道しようとしなくても、日本国民は自分の身に迫る危険を察知し、身を守るため団結するだろう。皮肉にも「戦争法案」「憲法違反」というレッテル貼りは日本国民にそういう行動をとらせるための非常に良い薬となっているのである。

“中国政府は。公船などを繰り返し尖閣周辺の領海に侵入させるとともに、尖閣の北方約100キロメートルの公海上に海軍の艦艇2隻を常時派遣、日本側に圧力をかけている。海自は同じ数の護衛艦で。「マンツーマン(11)デフェンス」に当たっている。

中国海軍は徐々に尖閣への接近姿勢を強めている。日本政府関係者によると、昨年後半から今年初めにかけては複数回、尖閣の沿岸から約70キロ・メートルにまで迫ったという。


親米マルコス政権打倒のナショナリズムに押され、比上院が米軍駐留の条約批准を否決したのは91年。アジア最大だったスーピック海軍基地とクラーク基地は、翌年まで返還され、米軍は全面撤退した。突然生まれた「力の空白」を突き、中国はフィリッピンの支配下にあったスプラトリー(南沙)諸島・ミスチーフ礁を95年に占拠。以降、大規模な岩礁埋め立てによって人工島を次々造成し、港湾や滑走路を整備していった。”