2011年12月20日火曜日

幾つになっても恋(20111220)

 陶芸の仲間の忘年会があった。老人は74歳最年長である。次が3歳下、その次が4歳下、60歳代の男性、50歳代がなくて40歳代の女性、30歳代の女性、計14名の忘年会であった。40歳代の女性たちの中には皆が敬愛する東京芸大出の陶芸の先生がいる。彼女は主婦でまだ子育て中である。

 横浜は元町のある居酒屋は何処か鮮魚市場と関係があるらしい名前の店である。其処は予約が出来ないので幹事が早めに其処に行き、店の人と交渉して安い値段で普通並みの料理が出る仕組みになっている。この店は春の桜の時期に利用して以来今度で二度目である。

 夜6時過ぎには全員そろってわいわいがやがや皆忘年会を楽しんだ。その賑やかな中で老人は恋の話を持ち出した。恋には三種類あるというのが老人の主張である。皆74歳の年寄りが話すので興味を持った。三種類の恋とは、一つは不倫の恋、二つ目は遊びの恋、三つ目は意識の中の恋である。男も女も幾つになってもお互い異性が好きでなければならない。宇野千代を知っているだろう? 彼女は恋心を失わなかったから年齢よりも若く見えたのだというのが老人の主張である。そして「私は女性が大好きだよ。ここにいる女性の皆さんも皆魅力的で美人だ」と言ったら「Aさん(老人のこと)は絶対74歳には見えない。まだ65歳ぐらいだと思ってたわ」と上手を言ってくれた。

 確かに老人は10歳ぐらい若く見える。実際は体の各部で老化が進んでいて、年齢相応であるのだが、見た目には若く見える。考え方も若い。正直言って74歳になっても女が好きである。勿論皺くちゃのばあさんは別である。概ね50歳代以下20歳以上の女性が好きである。好きであるからといって女性たちからいやらしく思われるような、例えば女性を見る視線とかに気をつけている。それでも無意識に胸元に目が行ってしまうことがある。

 おそらく若さの秘訣は性欲にあると思う。性欲をなくしたら男でも女でもなくなってしまうだろう。所詮人間といえども所詮生物である。動物と違うのは脳が発達していて社会生活の中で一定の規範を身に付け、動物的行動に出ないだけである。しかし世間には善悪の判断もできず動物的行為に出て事件を起こし、新聞だねになっている人間も多い。

 不倫の恋は必ず何かの不幸を招く。自制出来ない男や女は不倫のため不幸になる。一時的に幸福感に満たされるかもしれないが、時間を経るにつれて初めの頃のときめきは薄れ、余計なあれこれを考え、思い患い、結局不幸になる。男または女の一方が理性的でないと石川さゆりの「天城越え」ではないが、とことん行くところまで行って結局満たされない状況になること必定である。

 遊びの恋は後腐れがない。ただ、それは伴侶にあからさまにして遊ぶならば伴侶も決していい顔をすることができない。遊びの恋は伴侶に見えないところで、なんとか言いわけしながら行うべきものである。伴侶は人生を生きる上でのベターハーフである。お互いなくてはならない存在であるべきものである。その一方で後腐れの無い遊びをできるというのはある意味で幸せなことである。ただしそれは男にとってである。女は娼婦・芸者以外にそのような後腐れがない遊びは出来ないものであろう。最後に意識の中の恋人は、たとえ一緒に住むと必ず不幸になる存在である。決して一線を超えてはならない存在である。

 「一線を超えてはならないのだ」と言ったら女性たちは「ああ、一線ね」と納得した風であった。こうして74歳、最年長の老人は忘年会を一層楽しくしたと自己満足である。2次会で台湾の女性が働いている店に行った。其処で幹事が持ち込んだ携帯カラオケ装置により一層盛り上がり、大変楽しい忘年会となった。帰り際、店の台湾人女性に「チャーミングだよ」と言ったら嬉しそうだった。実際チャーミングな女性であった。

この陶芸グループの会は老人がこれまで経験したことがない独特の雰囲気がある。一口で言えば知的なグループの会であると言える。老人はこのグループの中であと4、5年は続けられるだろう。多分、老人は見た目が実年齢どおりになるだろう。そうなると高齢ゆえに陶芸に通うのは億劫になっていくかもしれない。

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