2016年6月23日木曜日

20160623安全保障関連法に対する各政党の主張の違い


 日本の国籍を持っている人ならば、多分99.999%以上の人は、その気持ちの濃淡があるにせよ日本に対する愛国心を持っているに違いない。ただ、その愛国心の表現の仕方が左翼と右翼とでは極端に違うだけである。国家観は愛国心の表現の仕方の相違で左右に極端な開きがある。

 東條英機元首相は遺言書の中で「国家から欲心を除くということは、不可能のことである。

されば世界より今後も戦争を除くということは不可能のことである。これでは結局は人類の自滅に陥るのであるかも判らぬが、事実はこの通りである。」と述べている。これは永遠の真理であろう。

 「国家観」を考えるとき最も重要な事は「国家はある種の‘生物’である」という観方である。すべての生物は種を残し、生き延び、生き残ろうとしている。国家も全く同様である。そのため、国家と国家の間で紛争が起きる。東條元首相は、それを「国家の欲心」によるものであると言った。

しかし、私は、それは単に「欲心」ではなく、全て生物に自ずと備わっている「自己保存力」によるものであると考える。「欲心」だけと見るならば、国が違っても其処に住む人間同士、お互い解りあうように努力すれば平和は確保できる、と考えるだろう。国が違っても人間同士解り合えるようにする方法を巡って、その極端なグループが右翼にもなり左翼にもなるのである。「国家を一つの生物である」と把握することによって、自国の周辺の国家とどう向き合うべきかという国家観を持つことができるに違いない。

中国による我が国への領空侵犯も領海侵犯も、韓国による竹島不法占拠も、それぞれの「‘生き物’国家」の自己保存行動である。それぞれの「‘生き物’国家」の脳の中枢がその行動をコントロールしつつも、脳の一部がその「‘生き物’国家」の手足を動かしている。わが国も「‘生き物’国家」としての脳の中枢で共存共栄のため自制しながらも、その手足は周辺の「‘生き物’国家」の手足の動きに敏感に反応して行動している。

参議院選挙で各政党はポピュリズムに動きやすい一般大衆を自分の味方に引き入れようと必死である。その中できちんと見極めるべきことは、安全保障関連法に関する各政党の見解である。この関連法を廃止しようとか、この関連法が「戦争法」であるとか、声を大きくして叫ぶ政党は、現実に目を向けないか、現実を無視して、自分たちの理想の国家を造ろうと考えている連中が屯している政党である。彼らも勿論旺盛な愛国心を持っているに違いないが、その表現の仕方において、根本的なところがすっかり抜け落ちているのである。

関連:

東條英機閣下のご遺言


占領憲法下の日本



2016年6月22日水曜日

20160622沖縄のアメリカ軍基地に関する記事


 msnニュースのdotに、下に括弧(【】)でくくる記事が載っていた。この記事の筆者は米海兵隊員へのオリエンテーションで使われているという資料を引用しているが、沖縄で何代にも亘って生まれ・住み続けてきた人々のルーツは、沖縄の人々やアイヌの人々を含め、皆、我々日本人が平均的に20%持っているとされる縄文人であることを知らないのだろう。

縄文人はこの日本列島にしか住んでいなかった特殊な人々であった(下記関連記事参照)。遺伝子のハプログループでは、北海道から沖縄まで日本人は皆同じ縄文人の要素を持っている。下の記事にある「琉球の住民は日本人ではなく、本土の日本人と同化したことがない。日本人は彼らを軽蔑している」という部分は、極めて突出している感がある。

米海兵隊員へのオリエンテーションで使われているという資料に、本当にそう書かれているのか?以下に引用する朱色部分を含め、確認が必要である。もし、本当にそう書かれているのなら、日本政府は在日アメリカ軍に是正を要求すべきである。

【6カ月ごとのローテーションで沖縄に配属される米海兵隊員へのオリエンテーションで使う資料「沖縄の歴史と政治状況」。英国人ジャーナリスト、ジョン・ミッチェル氏が米情報公開制度で入手した。そこには、沖縄への米軍駐留をめぐる日本政府の「ウソ」がはっきりと書かれていた。

 中身を詳しく見ると、ほかにも沖縄への「蔑視」と受け取れる表現があちこちにある。いくつか抜き出してみよう。
「沖縄県や自治体は基地問題をテコに、中央政府から補助金や振興策を引き出している」
「沖縄の新聞は偏向している」
「沖縄の人は一般的に情報に疎く、彼らは限られた視界で物事を見ている」

●「単純でお人よし」
 こうした特性が、根強い住民の反対運動の裏側にある、とこの資料は分析する。これらの書き方は終戦直後、沖縄を軍事占領すべきだと主張したGHQ(連合国軍総司令部)のダグラス・マッカーサー最高司令官の物言いを思い出させる。
「琉球の住民は日本人ではなく、本土の日本人と同化したことがない。日本人は彼らを軽蔑している。彼らは単純でお人よしで、米国の基地開発でかなりの金額を得て比較的幸せな生活を送ることになる」
 情報公開で明らかになった資料は、スライドで全36枚。沖縄の歴史、文化も紹介している。米軍の沖縄駐留については、「沖縄と本土の関係」の中で触れられているところが注目点だ。
「沖縄県民は日本人である前に沖縄人であることを意識する」と独自性=異質性を指摘し、「1879年に強制的に日本帝国に引き入れられて以来、劣った民族として本土からの差別を経験してきた」と述べた上で、こう続ける。

「過去20年以上にわたり、(日本)政府と沖縄県は立場が異なり、多くの場合、対立しあっている。日本政府は部隊と基地が(沖縄に)とどまることを希望している(なぜなら、本土で代替地を探せないからだ)」】

 翁長知事は「沖縄から米軍基地を無くす」という民意を受けて知事になったという立場で、政府と対立している。沖縄を自分の領土にしたい中国が喜ぶようなことを堂々と主張して、沖縄から米軍基地を無くそうと自ら先頭に立って活動している。

 本土の人たちも、沖縄の人たちの気持ちにもっと寄り添う心を持つべきである。米海兵隊の拠点が沖縄に置かれることは中国に対する圧力として必要であるが、海兵隊の部隊訓練の拠点の一つや二つは本土に在る方が良いのではないのか?沖縄だけに一方的に基地負担をさせている現状は是非改められるべきである。

 民進党などは安全保障関連法を廃止すると主張している。彼らは一般大衆が飛びつきやすいようなキャッチフレーズを掲げ参議院選挙を戦っている。ポピュリズムは日本の安全を脅かし、結局日本国民を不幸にする。政治家はしっかりとした国家観を持つべきである。

 マスメディアが偏向した姿勢で語らないのならば、政府はSNSを通じて広く世論を喚起するように動くべきではないのか?

関連:
中国が用意している「沖縄占領憲法」(続き)(20120403)
http://hibikorejitaku.blogspot.jp/2012/04/20120403-httphomepage2.html

沖縄・尖閣・八重山各列島の防衛(20120803)
http://hibikorejitaku.blogspot.jp/2012/08/blog-post_9400.html




2016年6月21日火曜日

20160620参議院選挙とポピュリズム


 私は自分のデスクトップ一体型パソコンのOSをwindows8からwindows10にupgradeしている。Upgradeした初めの頃は、windows10は使い難かったが、最近は十分満足できるほど使いやすくなった。ブラウザもEdgeを使うようにしている。
 
 そのEdgeのmsnニュースの「ダイヤモンド・オンライン」で“中国が西側の制度や価値観に寄り添うと考えるのは「幻想」”というタイトルの記事が目にとまった。これは、中国の王毅外交部長(外相)とカナダ人女性記者との間の質疑応答である。

 この記事の終わりに括弧(【】)で囲う次の一文がある。私はここに日本が今後中国と向き合う上で考慮すべきポイントがあると思った。

 【そんな中国と向き合い、つき合っていく上で、私たち外国人、特に西側の価値観の下で生きる人間に求められるのは、前述のカナダ人記者のように「中国の人権状況は……」という、頭ごなしで結論ありきの問題提起をするのではなく、「まずは中国共産党や中国人民が考える“人権”(human rights)の定義を教えてください。我が国を含めた多くの国家において、人権とはXXXであり、YYYのように解釈・実践されていますが、中国の人権はそれらとどう異なるのか、異なるとすればなぜなのか、どのような背景があり、これからどのように変遷していく見込みなのかをお聞かせください」という具合に、丁寧かつ段階的に問題を提起し、相手の認識や見解を引き出していく気配りと粘り強さであろう。】

 国家は一つの「生き物」である。「生き物」は自己保存のため必死で行動する存在である。かつて日本も自己保存をかけてアメリカと死に物狂いで戦い、お互いに深く傷ついたが、日本は立ち上がれないほどダメージを受けた。しかし、アメリカという「生き物」は、自己保存のため日本という「生き物」に手を差し延べ、遂にはお互いに生き残るため「生き物」としての国家同士の「共生関係」を構築した。

それは安倍総理のアメリカ議会における演説とオバマ大統領の広島原爆記念館訪問と演説により強固なものなり、アメリカ軍と自衛隊の共同訓練の積み重ねによりますます強固なものに進化しつつある。このことは日本の左翼の勢力にとって最も嫌なことであろう。

 中国という「生き物」も自己保存の為、中国独自の道を歩んでいるのである。漢族が大多数を占めている中国は、異民族の王朝も含む多数の王朝を繋いできた。今の中国の統治機構は中国共産党が支配している、ある意味で‘王朝’である。中国の今の‘王朝’は、広大な国土・他民族国家・世界最大の人口を抱える国を統治する上で最良である、と習近平主席は確信しているようである。今のところ、多分そうであるように見える。

 今、日本では参議院議員の半数を改選する選挙に入っている。11団体もある各政党はそれぞれスローガンを掲げて選挙戦を戦っている。政党が多いということは、日本人の多様性を示している。日本人は元々多人種の混血種であるから、各界・各層にわたり多数の願望を吸い上げるため、政党の数が多いということは決して悪い事ではない。

 ただ、「日本が日本である、日本人が日本人である」というアイデンティティをしっかり見据えた上で、各政党がそれぞれのアッピールをするのであれば全く問題はないが、一部の政党は一般大衆に迎合するようなスローガンを掲げている。共産党は科学的社会主義思想に基づく社会を実現させるため、先ずは自分たちの陣営の周囲に、自分たちに好意的な大衆を増やそうと意図しているように見える。自分たちに好意的な大衆が非常に大きな塊になれば、次は自衛隊改造・天皇廃止のため行動するだろう。その時血も流れるだろう。

 民進党は「安倍内閣打倒」を最大の目標にして、「自衛隊は違憲である」と明言している共産党と組んでいる。民進党は自分たちの主張の根拠となる具体的な数字を示さずに、ただ「アベノミクスは失敗した」と宣伝している。「安倍内閣の暴走を止めさせる」と声高に言うが、何をもって「暴走」というのか! 「具体的な数字・根拠を示せ」、と言いたい。

 今日の讀賣新聞朝刊に「想う2016 英の自殺行為 国際連盟解体時に似る」と題する仏経済学者ジャック・アタリの言葉が出ていた。“英国で賢明な人々は離脱を望んでいない。離脱の場合は、大衆を駆り立てるポピュリズム(扇動政治)の勝利と言える。賢明な人々がこうして大衆に敗れ、破局が来ることを歴史は示している”と彼は言っている。

 民進党も共産党も社会民主党も生活の党と山本太郎となかまたちも、皆ポピュリズムに走っている。ポピュリズムはマスメディアが公正・中立な姿勢で報道しない限り拡大して行くことだろう。

「護憲」「戦争法案反対」「アベノミクスは失敗した」「安倍内閣の暴走を止める」「安保法案廃止」「沖縄の米軍基地撤廃」などなど、大衆に迎合する情緒的なスローガンを掲げている政党に対して、SNSを通じて国民大多数が批判するようになって欲しいと思う。

小沢一郎党首は彼の持論である「国連中心主義」を掲げ、安保法制に反対しているが、これは国民に「正論だ」と思わせる。しかし現実の世界はそれぞれ自己保存を目指している「生き物」としての国家同士の、富の奪い合いである。「生き物」としての国家は、それぞれ強い「生き物」国家のところに身を寄せ、安泰と繁栄を目指そうとしている。そういう状況の中で、紛争解決にため国連軍を立ち上げようとしても、利害が対立すればその実現は困難である。国民に「正論だ」と思わせるのは、巧妙なポピュリズムである。

大多数の日本国民は、ピースボートは、“海賊対策での「ソマリア沖の海賊の海上自衛隊派遣反対」を掲げていたにも関わらず、2009年の第66回目の地球一周航海の際、ソマリア沖・アデン湾を航行中に、海上自衛隊の護衛艦による護衛を受けていた”(wikipediaから引用)事実を知らないだろう。同じことが、今年の5月3日と4日起きていた。海賊対処のためソマリア沖に展開中の上自衛隊の護衛艦「ゆうぎり」は、ピースボートの旅客船を護衛していた。自衛隊が二度も反自衛隊的なピースボートを助けていたのである。

大多数の国民が事実を知らないと、ポピュリズムにより国民が予期せぬ不幸に見舞われる恐れがある。そうなってからでは遅い。国家観の欠如した政党の幹部の発言に、大多数の国民が騙されないようにしなければならない。

関連:「生物種としての国家」
http://hibikorejitaku.blogspot.jp/search/label/%E7%94%9F%E7%89%A9%E7%A8%AE%E3%81%A8%E3%81%97%E3%81%A6%E3%81%AE%E5%9B%BD%E5%AE%B6

「古代記録に残っている渡来人の数」
http://hibikorejitaku.blogspot.jp/2012/07/20120701-m7a-d2-5000-2500-20120505-1000.html

「20160413「仏教」をキーワードに、思いつくまま綴る(18)―― 何故日本人は他の国の人たちと違っているのか? ――」
http://hibikorejitaku.blogspot.jp/2016/04/blog-post.html


「20160404「仏教」をキーワードに、思いつくまま綴る(16)―― 日本人のルーツ ――」
http://hibikorejitaku.blogspot.jp/2016/04/20160404.html





2016年6月19日日曜日

20160619何事も基本が大事である


 あと5年プラスアルファ―年又はマイナスベーター年にはこの世を去る年齢になって、今更「基本」ということはないだろう、と思う人もいるかもしれない。しかし、人生は死ぬまで「基本」を忘れてはいけない、と今改めて思うのである。

 私は小学校2年生の夏、今の韓国慶尚北道から母に連れられて弟妹たちとともに、日本に引き揚げてきた。そのころ、私はとても良い言葉遣いをしていたらしい。引き揚げて身を寄せた家は、祖父がまだ「家長」として威厳をきかしていた農家であった。今、NHKの朝のテレビドラマで「とと姉ちゃん」が人気を呼んでいるが、そのドラマの一家の風景は私の子供時代、といっても終戦直後の1年半ほどの間の記憶と重なっている。

 毎朝起きて、顔を洗って、神棚と仏壇にお参りしたあと、隣の居間に行くと、火鉢の周りに皆が座っている。私は畳の上に手をついて、一人一人に向かって、「おじいちゃんお早うございます」「おばあちゃんお早うございます」「○○叔父さんお早うございます」・・・というように朝の挨拶をしていた。

 食事のとき、家長である祖父のご飯のお櫃(ひつ)は別であった。そのような形はいつの間にか廃止されていた。引き揚げ後、学校で使っていた教科書も薄っぺらなものだったと思う。戦後、何もかも急に変わってしまったのであるが、私には二つだけ鮮烈な記憶として残っているものがある。

 昭和天皇の巡幸列車が通過するというので、私たちは先生に引率されて鶴崎駅に行った。駅の線路わきの空き地に整列していたとき、通過する列車の中から陛下が私たちをじっと見つめておられた。列車はゆっくりと進んだので、私は陛下のお顔をじっと見つめていた。

 ある日、私たち男の子ばかり7、8人は別保小学校の教室の中で一列に並ばされて、ある男の先生から一人ひとりスリッパの底で頬っぺたを殴られたことである。殴られた理由は全く覚えていない。私たちが何か悪いことをして連帯で責任をとらされたに違いない。今、小学校2年生ぐらいの子供たちにそういうことがあれば、「体罰」だと大騒ぎになることであろう。あの頃、水が入ったブリキのバケツを両手に持たされ、廊下に立たされていた悪童もいた。

 人としてあるべき「基本」は、先ず親から教え込まれるべきものである。武道でも茶道や華道でも、芸道でも、凡そ「道」とつけられる習い事は、先ず「形」から教え込まれるものである。お辞儀の仕方、言葉遣い、諸動作などは、先ず基本的なことは、小さい時から教え込まれなければ、決してその人の身には着かない。

 戦前、道徳の本質は「教育勅語」にすべて書き込まれていた。現在でも一部の私立学校では教育勅語を教えられている。左翼の人々は猛反対するであろうが、教育勅語は復活されるべきである。以下に、教育勅語の要点をウイキペディアから引用する。

①    父母ニ孝ニ (親に孝養を尽くしましょう)
②    兄弟ニ友ニ (兄弟・姉妹は仲良くしましょう)
③    夫婦相和シ (夫婦は互いに分を守り仲睦まじくしましょう)
④    朋友相信シ (友だちはお互いに信じ合いましょう)
⑤    恭儉己レヲ持シ (自分の言動を慎みましょう)
⑥    博愛衆ニ及ホシ (広く全ての人に慈愛の手を差し伸べましょう)
⑦    學ヲ修メ業ヲ習ヒ (勉学に励み職業を身につけましょう)
⑧    以テ智能ヲ啓發シ (知識を養い才能を伸ばしましょう)
⑨    德器ヲ成就シ (人格の向上に努めましょう)
⑩    進テ公益ヲ廣メ世務ヲ開キ (広く世の人々や社会のためになる仕事に励みましょう)
⑪    常ニ國憲ヲ重シ國法ニ遵ヒ (法令を守り国の秩序に遵いましょう)
⑫    一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ (国に危機が迫ったなら国のため力を尽くし、それにより永遠の皇国を支えましょう)

最後の一文「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」は、愛国の精神について述べたものである。

日本という国は、『日本書記』にも書かれているとおり、渡来人たちが日本の国づくりに貢献した国であり、また考古学・遺伝学が明らかにしているとおり日本人は多人種の混血種であるが、民族としては言語・文化・伝統を共有し、万世一系の天皇を戴く単一民族であるので、正しく「皇国」である。ただ、かつてのように「軍国主義」精神を広める目的のため、絶対に「皇国」という語が使用されることがないように、厳格な歯止めをかける必要がある。

個人でもそうであるが、国家でも「基本」を大事にすることが最も重要である。「基本」を最も重視する国を、子子孫孫に伝え遺して行かねばならない。そういう志がある政治家を議会に送り込むようにしなければならない。


2016年6月16日木曜日

20160617「仏教」をキーワードに、思いつくまま綴る(最終章)


 国の為、社会の為、わが身を捧げて活動しようと志す者は、自分が幼少の頃より徳の高い環境の中で成長してきたか、特に父親または母親からどのような影響を受けて育ったのか、自ら省みることが重要である。人々が自分たちの指導者を選ぶとき、その候補者にどういう背景があるのか良く知る必要がある。

 「武士道」は、政治家・官僚・軍人(自衛官)の他、警察官・海上保安官・消防官等国家や社会の中で治安維持・安全・監視・監督などの役割を担う「官」のつく職業の人や、そういう職業につく人の教育指導に当たる人が心得るべき道である。これらの人たちの中には、立派な心がけの方たちが沢山いるが、そういう心がけが乏しい方もいる。

 上述のことが多くの日本人の間で何か暗黙の了解となっているならば、それはわが国の文化の一側面として非常に素晴らしいことであるが、そういうことは全く無い。かつて在った「教育勅語」のような、当時それを暗唱することが求められていたほど日本人の心に浸透していた規範的なものも全く無い。かろうじて皇室や国旗や国歌が、「自分は日本人である」ということを気付かせる機能を果たしているに過ぎないが、日教組に所属する教師たちの中には、それさえも否定する行動を示す人たちがいる。

 新渡戸稲造『武士道』奈良本辰也訳・解説(三笠書房刊)には、“仏教は武士道に、運命に対する安らかな信頼の感覚、不可避なものへの静かな服従、危険や災難を目前にしたときの禁欲的な平静さ、生への侮蔑、死への親近感などをもたらした”と書かれている。大災害が起きたとき、多くの日本人は自然にそのような行動をとっている。

 青木照夫著『葉隠れの知恵』(三笠書房刊)“武士道といふは、死ぬ事と見附けたり”と「捨て身の章」冒頭に書かれている。政治家の中には、そのような心がけが無い人も見かける。

 仏教は「生まれかわり」を肯定している。『人間(ひと)は死んでもまた生き続ける』(本願寺法主 親鸞聖人直系の25世 大谷暢順著、幻冬舎刊)には“私はフランスで何度も「仏教はいいですね、輪廻転生という思想があるから」とうらやましがられました。キリスト教の場合は、人生は一度きりで、死者は最後の審判の日に復活して神の裁きを受け、神の国に迎え入れられるか、地獄に落ちるかのどちらかとされています。イスラム教もほぼ同じで、ユダヤ教の殆どの宗派は、死者は土にかえると考えられているそうです”と書かれている。

 自衛官の服務の宣誓は、「事に臨んでは危険を顧みず、身をもつて責務の完遂に務め、もつて国民の負託にこたえることを誓います」という言葉で締めくくられている。先の戦争では、兵士たちは来世に生きることを信じ、靖国神社で会うことを信じて死んでいった。

 さて今度参議院議員の半数が改選される。野党は共産党も一緒になって連帯を組み、与党に過半数の議席を与えないように行動している。

 そのスローガンの一つに「安全保障関連法の廃止」が掲げられている。その理由は、同法では、「日本は戦争に巻き込まれる」というものである。彼らには武士の魂は無いように見受けられる。彼らは「国の為、社会の為」というよりも、自分たちだけの為に行動しているように見える。

 共産党の中枢の幹部は、我が国で科学的社会主義を実行したいと考えているに違いない。科学的社会主義の思想と仏教の精神や武士道の精神に基づく思想とは、全く相反するものである。科学的社会主義では皇室も神社や仏閣や、「南無阿弥陀仏」と書かれた紙や、阿弥陀如来が描かれた紙や、仏像なども否定される。科学的社会主義の実現の過程で大衆蜂起や武力による暴力的な革命も起きる可能性はある。

 マスメディアは公正中立の立場で、テレビの視聴者や新聞の購読者に対して正しい情報を提供するような姿勢であるべきである。

近年SNSが発達しているので、一般大衆も各政党やマスメディアの動きについて情報を共有するような行動を起こすことが期待される。国の為、社会のための行動は、一部の人・組織・団体等に任せきりではなく、全国民個々もそれぞれの手段・方法で連帯して行うようになることだろう。そうなれば、それはマスメディアに対抗する組織的なものとなるだろう。


      (終わり)

2016年6月14日火曜日

20160614「仏教」をキーワードに、思いつくまま綴る(26)―― ASD(自閉症スペクトラム障害) ―


 ASD患者には、「他者の視点を想像することが難しい」「その場の雰囲気を理解することが難しい」「行間を読むことが難しい」などの症状が見られるということである。これは、言うなれば相手の「意識」を感受する能力が健常者に比べ劣っているということである。例えば職場で上司から「とりあえずこれをやっておいてくれ」と言われたとき、ASD患者はその「とりあえず」の意味を理解することができず、戸惑うそうである。

 ASD患者の脳の活動を磁気センサーで観察した結果では、左前脳と右後脳の活動が健常者に比べて弱いそうである。これは、両脳の間を繋いでいる神経細胞のシグナル伝達が健常者に比べて極めて乏しいということであろう。

 「他者の視点を想像することが難しい」ということは、他者の「意識」を感受する力が乏しいということである。私は、「意識」を未知の「波動」とするならば、それは電波や光のように光源あるいは電波発信源から発する波動を受け取る「装置」のような働きをするものが人間の脳に備わっていて、それによってその「意識」を受け取ることができると考えている。

 政治家で公私混同・私利私欲だと世間から批判を受けている人は、そのような「意識の波動」を感受する「装置」のフィルターが働いていて、自分自身ではそのような批判が何故自分に向けられているのか気付くことができないため、なかなか理解できないのだろう。

 現代の科学では「意識」は未だ解明されていず、今後100年経っても解明はできないだろうと言われている。その「意識の波動」は時間と空間を超越し、広大無辺・自由自在・融通無碍に伝搬している、と私は考える。

 釈尊(お釈迦さま)の尊い教えや、普遍仏教の開祖たちの教えや、昔の高僧の教えは文字によって伝えられている。「意識」を上述のように考えると、「意識の波動」を受信することを自ら「意識する」者は、釈尊や普遍仏教の開祖や、昔の高僧や、イエス・キリストや、マタイやルカやパウロの「意識」を感受することができるに違いない、と私は思っている。

 日本ではASD患者が100万人ぐらい居るそうである。人は何故ASD患者としてこの世に生まれ出るのだろうか?それは親から子へと核DNA遺伝子がコピーされるとき、元々の遺伝子に異常があったためなのか?或は遺伝子の突然変異によるものなのか?或は遺伝子の発現において何かエピジェネティックな修飾が行われたためなのか?

 私は、「この世」に生きている者は、誰か過去に生きた者の「あの世」を生きている、と思っている。また、私は、過去に生きた人の「意識」が「この世」に生きている者の「意識」に何らかの作用を及ぼしている、と思っている。しかしそのような発想や実感はその人限りのことであって、他人にいくら説明しても極めて理解され難いことである。

ここで重要なことは、常にプラス思考で、物事を多面的に捉え、かつ誠実・謙虚な気持ちで問題に対処すべきである、ということである。何故なら、傍から見てとても不憫・不幸な状況にあるような人でも、当の本人は心の持ち方次第で幸福でもあり、不幸でもあるからである。


そのような「当の本人」であることについても、「当の本人」を慈しみの眼差しで見つめている「意識の波動」が及んでいるに違いない、と私は思っている。その波動は過去に生きた人が発している波動であったり、今を生きている人が発している波動であったりするであろう。「当の本人」の幸・不幸は、そのような波動を感受する「当の本人」の意識次第である、と私は思っている。

2016年6月4日土曜日

20160604「仏教」をキーワードに、思いつくまま綴る(25)―― ‘気’について ――


 植芝吉祥丸著『合気道の心』(講談社刊)に“(合気道)開祖がそのような「人間と宇宙との一体化」および「変化自在なる呼吸力の発現」を最重視した理由は、要するに≪気≫の本質に合気道の立場から迫る場合、そのことがまたもっとも合気道の本質とも合致すると考えたからであるにちがいない。合気道はこの開祖の考えかたに立ちながら≪気≫の課題に取り組み、そしてその原点から今後さらに新たなる≪気≫への追及をおこなうべきである”と書かれている。

‘気’について、ウィキペディアにはいろいろな解説が書かれている。その中に「気の問題点」として;
・  各分野によって都合の良い解釈がされており、統一した概念がなく、曖昧な存在となっている。
・  凝固して可視的な物質という概念もあるが、数値化して測定することができなく、存在を科学的に証明できていない。
・  科学的手法で解析された学術論文が皆無である。
などと、書かれている。

 武術において腹の底から出す「エイッ」とか「ヤー」とかいった掛け声は、相手を‘気合い’で圧倒する術として考えられる。実際、そのような気合いによって敵は圧倒され、戦力を削がれるだろう。ところが合気道では一部の指導者を除いてそのような発声による技は観られない。合気道では周囲をはばかって声を出さずに‘気’を出すことが求められているようである。しかし、時には無人の山中において、腹の底から声を出しながら木刀を振ってみたいものだと思う。

 私は‘気’は‘意識’と深い関係があると思う。私は‘意識’というものが量子論により解明されることを期待している。私は分子生物学・進化生物学・遺伝学など生命科学の分野、量子論・宇宙論など自然科学の分野、そして情報通信技術・メディア融合など情報社会学の分野の三分野は、そう遠くない将来、「気の問題点」を解決するだろう、と直感的に思っている。そして私は時々合気道の稽古をしながら、放送大学などでその方面の学問を楽しんでいる。

 意識は時間と空間を超越し、広大無辺に自由自在に融通無碍な存在である。しかし、科学は未だこの意識を解明することができていない。私は、人がそれぞれ自分自身に起きている偶然のできとは、意識の持ち方次第では、それは偶然の出来ごとではなく、起きるべくして起きた必然の出来ごとである、と思っている。そのようにしてしばしば幸運なことが起きている人には、その人が意識せずとも神通力が発揮されているのである、と私は信じている。

 私は年老いて自分の学問の方向を絞り込むことができた。私は私が「この世」でやり残すことを、私の「あの世」で続けたい、と思っている。その「あの世」とは、私が「この世」を去ったあと新たに生まれ出る誰かの生命が生きる世、つまりその人の「この世」である。

 さて、日本はどういう国かと言うと、天皇は皇太子から即位されるとき儀式を経て「天(あめ)から下り」て天皇になられ、崩御されたとき儀式を経て「かむ(神)上がり」されることが、初代神武天皇以来第125代今上天皇までの凡そ2680年も永々と続いて来ている国である。国民もまた国家という組織の一員として、その歴史を営々と紡いで来ている。

 全国各地の城は、何処かの国の支配者の住処のようなものでは無かった。百姓(ひゃくせい)・町民は、その城に主として住み、或いはその城に勤務する人たち、即ち武士階級の人たちとともに、その城を大切にしてきた。だから人々はそれぞれ金を出し合い、地震や戦火で破壊された城を再建した。この度、再度の大地震で被害を受けた熊本城も再び復興の動きがある。日本は何処かの国のように、支配階級が被支配階級を圧迫してきた国とは全く違う。

 この度、自由民主党は「不戦の誓い」を掲げたが、これは全日本国民の願望である。先の大戦では非常に数多の尊い命が戦火に散華した。当時、兵士たちは祖国の永遠の平和・繁栄と父母・兄弟・姉妹・妻子の幸福を願いつつ、「靖国神社で会う」ことに心の安らぎを得ていた。今の日本の平和と繁栄はその人たちの犠牲の賜物である。

 もし、今を生きる日本人が、「自分たちが今在る」意味を理解せずに私利私欲に明け暮れするならば、日本の未来は無くなるであろう。自分が私利私欲に走っていることを自覚せず、生活習慣病のように言動する人が行政単位のリーダーになり、マスメディアもそのことに寛容な姿勢を示すならば、この日本の未来は開けないだろう。

 日本は大学までの教育を無償化し、保育所待機児童は無くし、幼い時から道徳教育を徹底させ、世代が代わっても次から次へと優れたリーダーを産み出すようにし、マスメディアも報道の中心を堅持して何処かの新聞のように偏らず、行政に対する正しいチェック機能と正しい情報を人々に伝えるという二つの役割を果たすようにしなければならない。

 そのようにして日本が世界に向けて正しい‘気’を出し続けるならば、やがてこの地球上から紛争や貧困は無くなるであろう。オバマ大統領が広島平和都市記念碑に献花し、世界に向けて平和を訴えたことは、日本の正しい‘気’が出たということでもあるのである。

関連:20150430安倍首相のアメリカ上下院合同会議における演説に思う。
    http://hibikorejitaku.blogspot.jp/2015/04/20150430.html

    20150221国家は一つの生物種である (23) ―― セルフアイデンティティ ――
        http://hibikorejitaku.blogspot.jp/2015/02/20150221-23.html
       


2016年6月2日木曜日

20160602「仏教」をキーワードに、思いつくまま綴る(24)―― 量子意識 ――


 私は、「意識(consciousness)」というものについて、次のように考える。
①    意識は時間と空間を超越した存在である。
②    意識は「送り手(sender)」と「受け手(receiver)」の間で交流する。
③    既に生存していない人の意識は、受け手がその意識を受けようと意識すれば、その受け手に伝わる。

以下に、インターネットのウイキペディア(フリー百科事典)から“”で引用する。
“量子脳理論(りょうしのうりろん)は、脳のマクロスケールでの振舞い、または意識の問題に、系の持つ量子力学的な性質が深く関わっているとする考え方の総称。心または意識に関する量子力学的アプローチ(Quantum approach to mind/consciousness)、クオンタム・マインド(Quantum mind)、量子意識(Quantum consciousness)などとも言われる。具体的な理論にはいくつかの流派が存在する。”

“ペンローズ・ハメロフ アプローチ
理論物理学者のロジャー・ペンローズと麻酔科医のスチュワート・ハメロフによって提唱されているアプローチ。二人によって提唱されている意識に関する理論は Orchestrated Objective Reduction Theory(統合された客観収縮理論)、または略して Orch-OR Theory(オーチ・オア・セオリー)と呼ばれる。

意識は何らかの量子過程から生じてくると推測している。ペンローズらの「Orch OR 理論」によれば、意識はニューロンを単位として生じてくるのではなく、微小管と呼ばれる量子過程が起こりやすい構造から生じる。この理論に対しては、現在では懐疑的に考えられているが生物学上の様々な現象が量子論を応用することで説明可能な点から少しずつ立証されていて20年前から唱えられてきたこの説を根本的に否定できた人はいないとハメロフは主張している。

臨死体験の関連性について以下のように推測している。「脳で生まれる意識は宇宙世界で生まれる素粒子より小さい物質であり、重力・空間・時間にとわれない性質を持つため、通常は脳に納まっている」が「体験者の心臓が止まると、意識は脳から出て拡散する。そこで体験者が蘇生した場合は意識は脳に戻り、体験者が蘇生しなければ意識情報は宇宙に在り続ける」あるいは「別の生命体と結び付いて生まれ変わるのかもしれない。」と述べている。”

私の母は終戦の翌年、乳癌で死んだが、死ぬ前当時9歳だった私に「(死の床から)起こしておくれ」「東を向けておくれ」「仏壇から線香を持ってきておくれ」「(裏の山に落ち松葉をかき集めに行っている)お父さんを呼んで来ておくれ」と言った。私は母が言うとおりにした。今思えば、母はそのとき、またはその数日前に臨死体験をしていた可能性がある。

私の叔父は、死ぬ4日前と3日前に臨死体験があり、そことを家族に語っていた。私はその家族から聞いたことを記録している。

仏教では前世・現世・来世の因縁を説いている。真宗では絶対の真理である仏の報身仏である阿弥陀如来(阿弥陀仏)を信仰し、これに帰依すれば、現世において既に浄土に住み、来世においても浄土に住むと説いている。「この世」で正しく生きた人は、「あの世」で幸せになれる、しかし「あの世」で本当に幸せになれるかどうかは、その「あの世」での心がけ次第である、と説いている。「あの世」というのは、自分が死んだあと新しい命として生まれかわり、生きる世界である。

核DNA遺伝子による遺伝と、エピジェネティックな修飾による遺伝子の発現は自分の父母、その父母のそれぞれの父母と言うように過去を遡ったとき、その過去から伝わるものである。つまり過去世・現世・来世の三世の因縁は誰にもあるものである。

量子論と意識論は深い関係がありそうである。釈尊(お釈迦さま(Buddha))は、この世・あの世の議論はしてはならないと言われた。不毛な議論をするよりも、先ずは素直に釈尊の教えを信じることが大切である。キリスト教でも神やイエスを信じることが大切である、と説いている。


一方で、人は「自分は何処から来て、何処へ行くのか」知りたいと思っている。私はそのことについて科学的な探求心は必要である、と考える。何故なら、もし釈尊の教えが正しいことを科学的に証明できたら、この世から戦争や悪行が無くなり、全ての人々が平和で幸福に暮らすことが出来るようになるであろう、と考えるからである。

2016年5月26日木曜日

20160526「仏教」をキーワードに、思いつくまま綴る(23)―― 幸せな道 ――


 いろいろあって憂鬱な日々を送っていたが大分気分が晴れた。そして今、50年数年前に初めて所帯を持った時のような気分になっていて、穏やかな日々を送っている。

 これまでの長い人生のなかでいろいろ紆余曲折があった。家内のことは完全に理解していたつもりであったが、あるきっかけで過去を顧みる文を何十ページにもわたり書き綴ってみたら、その理解は不十分であったことを初めて知った。

「あるきっかけ」は偶然のことであるが、観方を変えればそれは必然のことになる。それが必然であると認識すれば、自分は正に神通の中の天眼通・他心通の力を出したことになる。「これは決して偶然ではない。これは自分の身に起きるべくして起きた幸運である」と思えば、その幸運は神通力によって得られたものであることになる。

因みに「神通力」について、夢窓国師は武家政治家・足利直義との問答で「得法の人は必ず神通妙用を具足すべしや」の問に対して、「仏法を知らざる天魔外道も、神通をば施す。神通を具せる人なればとて、得法の人とは申すべからず。・・・」と答え、天魔外道の人は漏尽通ができずそれ以外の五通しかないと説いておられる。

 その神通力のうち六通は、天眼通(普通見えないものを見透すこと)、天耳通(普通聴き取ることができない物音を聞き取ること)、他心通(他人の心の中を見抜くこと)、宿妙通(前世のことを忘れないこと)、神境通(空を自在に飛びめぐること)、漏尽通(煩悩を断ち尽くすこと)の六つである。天魔外道の者は、神通のような施しを見せて人々を仲間にしようと誘うが、普遍的な真理の法を体得していず、煩悩を断つこともできない輩である。

 神通はそれを自ら実感するものにしか分らないものである。生まれ替わるとか、この世には居ない遠い過去の人と心を通わせるとかいうような、時間と空間を超えた意識の交流の観念は、その人にしか分らないものである。

 しかし、現実の世界では、その人が自覚していようといまいと、人は神社や仏閣や仏壇や神棚の前で、時間と空間を超えて意識の交流をしている。キリスト教やイスラム教の人でも十字を切ったり、神に礼拝したりして自分が意識する絶対的な‘存在’と意識の交流をしている。それはその人の自己満足の行為に過ぎない、或いは自らを慰める行為に過ぎない、と言ってしまえばそれまでである。

しかし、経験的に言うと、人は「お人好し」と思われるほど素直であった方が幸せであり、また、この世には居ない‘存在’と意識の交流ができていると思っている人は、なお幸せであると思う。

 その幸せは、核DNA遺伝とエピジェネティック遺伝により受け継がれた生来の性質と、生後の教育と、自己研鑽・修養と、見えざる‘お導き’により、もたらされるものである。

輪廻転生を説く仏教の「自力本願」と「他力本願」は、誰一人として同じではない人々を幸せに導く百人百様の方法論であって、どの宗派がベストというものではない。ただ、教育について言えば、まだ素直な子供時代に仏教に親しむように仕向ければ、その子は成長したときより幸せになれるに違いない。