2016年6月4日土曜日

20160604「仏教」をキーワードに、思いつくまま綴る(25)―― ‘気’について ――


 植芝吉祥丸著『合気道の心』(講談社刊)に“(合気道)開祖がそのような「人間と宇宙との一体化」および「変化自在なる呼吸力の発現」を最重視した理由は、要するに≪気≫の本質に合気道の立場から迫る場合、そのことがまたもっとも合気道の本質とも合致すると考えたからであるにちがいない。合気道はこの開祖の考えかたに立ちながら≪気≫の課題に取り組み、そしてその原点から今後さらに新たなる≪気≫への追及をおこなうべきである”と書かれている。

‘気’について、ウィキペディアにはいろいろな解説が書かれている。その中に「気の問題点」として;
  各分野によって都合の良い解釈がされており、統一した概念がなく、曖昧な存在となっている。
  凝固して可視的な物質という概念もあるが、数値化して測定することができなく、存在を科学的に証明できていない。
  科学的手法で解析された学術論文が皆無である。
などと、書かれている。

 武術において腹の底から出す「エイッ」とか「ヤー」とかいった掛け声は、相手を‘気合い’で圧倒する術として考えられる。実際、そのような気合いによって敵は圧倒され、戦力を削がれるだろう。ところが合気道では一部の指導者を除いてそのような発声による技は観られない。合気道では周囲をはばかって声を出さずに‘気’を出すことが求められているようである。しかし、時には無人の山中において、腹の底から声を出しながら木刀を振ってみたいものだと思う。

 私は‘気’は‘意識’と深い関係があると思う。私は‘意識’というものが量子論により解明されることを期待している。私は分子生物学・進化生物学・遺伝学など生命科学の分野、量子論・宇宙論など自然科学の分野、そして情報通信技術・メディア融合など情報社会学の分野の三分野は、そう遠くない将来、「気の問題点」を解決するだろう、と直感的に思っている。そして私は時々合気道の稽古をしながら、放送大学などでその方面の学問を楽しんでいる。

 意識は時間と空間を超越し、広大無辺に自由自在に融通無碍な存在である。しかし、科学は未だこの意識を解明することができていない。私は、人がそれぞれ自分自身に起きている偶然のできとは、意識の持ち方次第では、それは偶然の出来ごとではなく、起きるべくして起きた必然の出来ごとである、と思っている。そのようにしてしばしば幸運なことが起きている人には、その人が意識せずとも神通力が発揮されているのである、と私は信じている。

 私は年老いて自分の学問の方向を絞り込むことができた。私は私が「この世」でやり残すことを、私の「あの世」で続けたい、と思っている。その「あの世」とは、私が「この世」を去ったあと新たに生まれ出る誰かの生命が生きる世、つまりその人の「この世」である。

 さて、日本はどういう国かと言うと、天皇は皇太子から即位されるとき儀式を経て「天(あめ)から下り」て天皇になられ、崩御されたとき儀式を経て「かむ(神)上がり」されることが、初代神武天皇以来第125代今上天皇までの凡そ2680年も永々と続いて来ている国である。国民もまた国家という組織の一員として、その歴史を営々と紡いで来ている。

 全国各地の城は、何処かの国の支配者の住処のようなものでは無かった。百姓(ひゃくせい)・町民は、その城に主として住み、或いはその城に勤務する人たち、即ち武士階級の人たちとともに、その城を大切にしてきた。だから人々はそれぞれ金を出し合い、地震や戦火で破壊された城を再建した。この度、再度の大地震で被害を受けた熊本城も再び復興の動きがある。日本は何処かの国のように、支配階級が被支配階級を圧迫してきた国とは全く違う。

 この度、自由民主党は「不戦の誓い」を掲げたが、これは全日本国民の願望である。先の大戦では非常に数多の尊い命が戦火に散華した。当時、兵士たちは祖国の永遠の平和・繁栄と父母・兄弟・姉妹・妻子の幸福を願いつつ、「靖国神社で会う」ことに心の安らぎを得ていた。今の日本の平和と繁栄はその人たちの犠牲の賜物である。

 もし、今を生きる日本人が、「自分たちが今在る」意味を理解せずに私利私欲に明け暮れするならば、日本の未来は無くなるであろう。自分が私利私欲に走っていることを自覚せず、生活習慣病のように言動する人が行政単位のリーダーになり、マスメディアもそのことに寛容な姿勢を示すならば、この日本の未来は開けないだろう。

 日本は大学までの教育を無償化し、保育所待機児童は無くし、幼い時から道徳教育を徹底させ、世代が代わっても次から次へと優れたリーダーを産み出すようにし、マスメディアも報道の中心を堅持して何処かの新聞のように偏らず、行政に対する正しいチェック機能と正しい情報を人々に伝えるという二つの役割を果たすようにしなければならない。

 そのようにして日本が世界に向けて正しい‘気’を出し続けるならば、やがてこの地球上から紛争や貧困は無くなるであろう。オバマ大統領が広島平和都市記念碑に献花し、世界に向けて平和を訴えたことは、日本の正しい‘気’が出たということでもあるのである。

関連:20150430安倍首相のアメリカ上下院合同会議における演説に思う。
    http://hibikorejitaku.blogspot.jp/2015/04/20150430.html

    20150221国家は一つの生物種である (23) ―― セルフアイデンティティ ――
        http://hibikorejitaku.blogspot.jp/2015/02/20150221-23.html