2016年6月14日火曜日

20160614「仏教」をキーワードに、思いつくまま綴る(26)―― ASD(自閉症スペクトラム障害) ―


 ASD患者には、「他者の視点を想像することが難しい」「その場の雰囲気を理解することが難しい」「行間を読むことが難しい」などの症状が見られるということである。これは、言うなれば相手の「意識」を感受する能力が健常者に比べ劣っているということである。例えば職場で上司から「とりあえずこれをやっておいてくれ」と言われたとき、ASD患者はその「とりあえず」の意味を理解することができず、戸惑うそうである。

 ASD患者の脳の活動を磁気センサーで観察した結果では、左前脳と右後脳の活動が健常者に比べて弱いそうである。これは、両脳の間を繋いでいる神経細胞のシグナル伝達が健常者に比べて極めて乏しいということであろう。

 「他者の視点を想像することが難しい」ということは、他者の「意識」を感受する力が乏しいということである。私は、「意識」を未知の「波動」とするならば、それは電波や光のように光源あるいは電波発信源から発する波動を受け取る「装置」のような働きをするものが人間の脳に備わっていて、それによってその「意識」を受け取ることができると考えている。

 政治家で公私混同・私利私欲だと世間から批判を受けている人は、そのような「意識の波動」を感受する「装置」のフィルターが働いていて、自分自身ではそのような批判が何故自分に向けられているのか気付くことができないため、なかなか理解できないのだろう。

 現代の科学では「意識」は未だ解明されていず、今後100年経っても解明はできないだろうと言われている。その「意識の波動」は時間と空間を超越し、広大無辺・自由自在・融通無碍に伝搬している、と私は考える。

 釈尊(お釈迦さま)の尊い教えや、普遍仏教の開祖たちの教えや、昔の高僧の教えは文字によって伝えられている。「意識」を上述のように考えると、「意識の波動」を受信することを自ら「意識する」者は、釈尊や普遍仏教の開祖や、昔の高僧や、イエス・キリストや、マタイやルカやパウロの「意識」を感受することができるに違いない、と私は思っている。

 日本ではASD患者が100万人ぐらい居るそうである。人は何故ASD患者としてこの世に生まれ出るのだろうか?それは親から子へと核DNA遺伝子がコピーされるとき、元々の遺伝子に異常があったためなのか?或は遺伝子の突然変異によるものなのか?或は遺伝子の発現において何かエピジェネティックな修飾が行われたためなのか?

 私は、「この世」に生きている者は、誰か過去に生きた者の「あの世」を生きている、と思っている。また、私は、過去に生きた人の「意識」が「この世」に生きている者の「意識」に何らかの作用を及ぼしている、と思っている。しかしそのような発想や実感はその人限りのことであって、他人にいくら説明しても極めて理解され難いことである。

ここで重要なことは、常にプラス思考で、物事を多面的に捉え、かつ誠実・謙虚な気持ちで問題に対処すべきである、ということである。何故なら、傍から見てとても不憫・不幸な状況にあるような人でも、当の本人は心の持ち方次第で幸福でもあり、不幸でもあるからである。


そのような「当の本人」であることについても、「当の本人」を慈しみの眼差しで見つめている「意識の波動」が及んでいるに違いない、と私は思っている。その波動は過去に生きた人が発している波動であったり、今を生きている人が発している波動であったりするであろう。「当の本人」の幸・不幸は、そのような波動を感受する「当の本人」の意識次第である、と私は思っている。