2016年6月23日木曜日

20160623安全保障関連法に対する各政党の主張の違い


 日本の国籍を持っている人ならば、多分99.999%以上の人は、その気持ちの濃淡があるにせよ日本に対する愛国心を持っているに違いない。ただ、その愛国心の表現の仕方が左翼と右翼とでは極端に違うだけである。国家観は愛国心の表現の仕方の相違で左右に極端な開きがある。

 東條英機元首相は遺言書の中で「国家から欲心を除くということは、不可能のことである。

されば世界より今後も戦争を除くということは不可能のことである。これでは結局は人類の自滅に陥るのであるかも判らぬが、事実はこの通りである。」と述べている。これは永遠の真理であろう。

 「国家観」を考えるとき最も重要な事は「国家はある種の‘生物’である」という観方である。すべての生物は種を残し、生き延び、生き残ろうとしている。国家も全く同様である。そのため、国家と国家の間で紛争が起きる。東條元首相は、それを「国家の欲心」によるものであると言った。

しかし、私は、それは単に「欲心」ではなく、全て生物に自ずと備わっている「自己保存力」によるものであると考える。「欲心」だけと見るならば、国が違っても其処に住む人間同士、お互い解りあうように努力すれば平和は確保できる、と考えるだろう。国が違っても人間同士解り合えるようにする方法を巡って、その極端なグループが右翼にもなり左翼にもなるのである。「国家を一つの生物である」と把握することによって、自国の周辺の国家とどう向き合うべきかという国家観を持つことができるに違いない。

中国による我が国への領空侵犯も領海侵犯も、韓国による竹島不法占拠も、それぞれの「‘生き物’国家」の自己保存行動である。それぞれの「‘生き物’国家」の脳の中枢がその行動をコントロールしつつも、脳の一部がその「‘生き物’国家」の手足を動かしている。わが国も「‘生き物’国家」としての脳の中枢で共存共栄のため自制しながらも、その手足は周辺の「‘生き物’国家」の手足の動きに敏感に反応して行動している。

参議院選挙で各政党はポピュリズムに動きやすい一般大衆を自分の味方に引き入れようと必死である。その中できちんと見極めるべきことは、安全保障関連法に関する各政党の見解である。この関連法を廃止しようとか、この関連法が「戦争法」であるとか、声を大きくして叫ぶ政党は、現実に目を向けないか、現実を無視して、自分たちの理想の国家を造ろうと考えている連中が屯している政党である。彼らも勿論旺盛な愛国心を持っているに違いないが、その表現の仕方において、根本的なところがすっかり抜け落ちているのである。

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