2016年6月19日日曜日

20160619何事も基本が大事である


 あと5年プラスアルファ―年又はマイナスベーター年にはこの世を去る年齢になって、今更「基本」ということはないだろう、と思う人もいるかもしれない。しかし、人生は死ぬまで「基本」を忘れてはいけない、と今改めて思うのである。

 私は小学校2年生の夏、今の韓国慶尚北道から母に連れられて弟妹たちとともに、日本に引き揚げてきた。そのころ、私はとても良い言葉遣いをしていたらしい。引き揚げて身を寄せた家は、祖父がまだ「家長」として威厳をきかしていた農家であった。今、NHKの朝のテレビドラマで「とと姉ちゃん」が人気を呼んでいるが、そのドラマの一家の風景は私の子供時代、といっても終戦直後の1年半ほどの間の記憶と重なっている。

 毎朝起きて、顔を洗って、神棚と仏壇にお参りしたあと、隣の居間に行くと、火鉢の周りに皆が座っている。私は畳の上に手をついて、一人一人に向かって、「おじいちゃんお早うございます」「おばあちゃんお早うございます」「○○叔父さんお早うございます」・・・というように朝の挨拶をしていた。

 食事のとき、家長である祖父のご飯のお櫃(ひつ)は別であった。そのような形はいつの間にか廃止されていた。引き揚げ後、学校で使っていた教科書も薄っぺらなものだったと思う。戦後、何もかも急に変わってしまったのであるが、私には二つだけ鮮烈な記憶として残っているものがある。

 昭和天皇の巡幸列車が通過するというので、私たちは先生に引率されて鶴崎駅に行った。駅の線路わきの空き地に整列していたとき、通過する列車の中から陛下が私たちをじっと見つめておられた。列車はゆっくりと進んだので、私は陛下のお顔をじっと見つめていた。

 ある日、私たち男の子ばかり7、8人は別保小学校の教室の中で一列に並ばされて、ある男の先生から一人ひとりスリッパの底で頬っぺたを殴られたことである。殴られた理由は全く覚えていない。私たちが何か悪いことをして連帯で責任をとらされたに違いない。今、小学校2年生ぐらいの子供たちにそういうことがあれば、「体罰」だと大騒ぎになることであろう。あの頃、水が入ったブリキのバケツを両手に持たされ、廊下に立たされていた悪童もいた。

 人としてあるべき「基本」は、先ず親から教え込まれるべきものである。武道でも茶道や華道でも、芸道でも、凡そ「道」とつけられる習い事は、先ず「形」から教え込まれるものである。お辞儀の仕方、言葉遣い、諸動作などは、先ず基本的なことは、小さい時から教え込まれなければ、決してその人の身には着かない。

 戦前、道徳の本質は「教育勅語」にすべて書き込まれていた。現在でも一部の私立学校では教育勅語を教えられている。左翼の人々は猛反対するであろうが、教育勅語は復活されるべきである。以下に、教育勅語の要点をウイキペディアから引用する。

    父母ニ孝ニ (親に孝養を尽くしましょう)
    兄弟ニ友ニ (兄弟・姉妹は仲良くしましょう)
    夫婦相和シ (夫婦は互いに分を守り仲睦まじくしましょう)
    朋友相信シ (友だちはお互いに信じ合いましょう)
    恭儉己レヲ持シ (自分の言動を慎みましょう)
    博愛衆ニ及ホシ (広く全ての人に慈愛の手を差し伸べましょう)
    學ヲ修メ業ヲ習ヒ (勉学に励み職業を身につけましょう)
    以テ智能ヲ啓發シ (知識を養い才能を伸ばしましょう)
    德器ヲ成就シ (人格の向上に努めましょう)
    進テ公益ヲ廣メ世務ヲ開キ (広く世の人々や社会のためになる仕事に励みましょう)
    常ニ國憲ヲ重シ國法ニ遵ヒ (法令を守り国の秩序に遵いましょう)
    一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ (国に危機が迫ったなら国のため力を尽くし、それにより永遠の皇国を支えましょう)

最後の一文「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」は、愛国の精神について述べたものである。

日本という国は、『日本書記』にも書かれているとおり、渡来人たちが日本の国づくりに貢献した国であり、また考古学・遺伝学が明らかにしているとおり日本人は多人種の混血種であるが、民族としては言語・文化・伝統を共有し、万世一系の天皇を戴く単一民族であるので、正しく「皇国」である。ただ、かつてのように「軍国主義」精神を広める目的のため、絶対に「皇国」という語が使用されることがないように、厳格な歯止めをかける必要がある。

個人でもそうであるが、国家でも「基本」を大事にすることが最も重要である。「基本」を最も重視する国を、子子孫孫に伝え遺して行かねばならない。そういう志がある政治家を議会に送り込むようにしなければならない。