2016年7月9日土曜日

20160709社会の安定のため世代間の情報通信の格差を減らす必要がある。


 イギリスのEU離脱の是非を問う国民投票の結果は、保守的な高齢者層の意向を反映したものとなった。投票所に行かず、或いは安易な気持ちで離脱を支持した若年層の人々は大いに後悔し、国民投票のやり直しを求めている。

 いつの時代でも、どの国でも世代の差による問題が起きる。それが国論を二分するような大問題になると、結局どの世代でも大きな損失を被ることになる。しかし、そのような損失があっても、世代間の衝突により社会は進歩するものである。今の時代、先進諸国では世代間の衝突のとき武器を使われず、民主的な方法で衝突がある。その際小さな流血事件が起きることがある。ただ、日本では血を流すような衝突は絶対起きない、という保証は絶対ない。幕末には多くの血が流れた。(関連:ブログ「詩吟」『出郷の作』佐野竹之助  http://takaban.seesaa.net/

 年代の差は単に肉体的・生理的な差だけではない。感覚・思考の差が肉体的・生理的な差よりも大きいのではないかと思われる。感覚・思考の差は、人生経験の差からもたらされるものが大きいだろう。しかし、高齢者層と若年層の間では、情報量・情報内容の差があまりにも大き過ぎるのではないだろうか?

 情報社会の進化は非常に速い。コンピューターのキーボードを触ったこともない高齢者層の人たちが多い。一方で、子供たちは学校でコンピューターに頻繁に接し、スマートホンでSNSを自由自在に利用している。

 若い世代の人たちの間で流行っているLINEFacebookTwitterBlogSkypeなどの情報通信手段に対して経験がない高齢者層の人たちは、それらの良いところも悪いところも知らず、それらを扱えば自分が何か事件に巻き込まれるのではないかと恐れている。事実、それらの情報通信手段を通じた事件はしばしば起きている。私自身、Facebookを利用していたときなりすましに遭ったり、友達になった人から脅迫されたり、侮辱されたりしたことがあった。現在私のFacebookのアカウントは休止させているが、自分の時間をどのように配分するか、という観点で再開は見合わせている。

 現代の社会はそういう情報通信技術なしには生きて行けない時代である。時代を先取りできる人たちは圧倒的に若年層に多いと思われる。世界中の先進諸国では、高齢層に対する若年層の人たちの不満が爆発している。日本でもSEALDs(シールズ:Students Emergency Action for Liberal Democracy - s)が行動を起こしている。日本におけるこの傾向は、投票年齢を18歳に引き下げたことにより一層加速するであろう。

 左派政党の政治家たちは、そのような若い世代の社会的運動に色目を使い、一部のマスメディアは権力に対する人々の感情を刺激するような動きを示すかもしれない。科学的社会主義(マルクスレーニン主義)を信奉する人たちは、若年層により引き起こされるかもしれない混乱を利用し、暴力により日本の国体を変えさせる行動を起こそうとして、その機会をうかがっているかもしれない。

オウム真理教の信者も若年層の人たちであった。彼らはロシア国内に重要な活動拠点を置き、武器や毒ガスなどを使って社会に混乱を起こし、この日本を彼らの‘帝国’に変えようとした。彼らの場合‘帝王’は教祖であった。マルクスもレーニンもその思想を信奉する人たちの‘教祖’である。内心を隠し、表面的には平和主義を装い、「暴力」という言葉を使わなくても暴力を使う意図を内心秘めているような政党は、決して「大衆政党」ではない。

日本はイギリスのように国論が割れて、国家として深い傷を負うことが絶対ないようにしなければならない。そういうことが起きないようにするため、世代間の情報通信の格差を減らすことが重要である。この点について政治家及び行政機関は世代間の情報通信格差を減らすことを「努力すべき重要な責任事項」と位置づけ、その「責任」を果たすため積極的に努力して貰いたいものである。

 AbemaTVなどインターネットテレビで、上記のことについて問題の提起をしてくれないものだろうか。政府インターネットテレビはセンスに欠け、全く面白くない。政府インターネットテレビも広報のためであるだろう。その広報を若年層にも見てもらえるような工夫が必要である。世代間の情報通信格差を減らすため、官僚たちに一層努力して貰わなければならぬ。もしそのための人材が足りないのであれば、予算を確保して外部に人材を求めればよいことである。

要は、政府が怠慢であるかどうかを判断する目安の一つは、「努力」が足りているかどうか、である。そのような「努力」は全く足りていないのではないのか?政治家は社会的問題が起きる前に、潜在している問題を見つけ出し、その問題の解決のため活動すべきである。政治家たちも上記の情報通信格差解消の「努力」が全く足りていないのではないのか?