2009年11月1日日曜日



亡父の思いを思う(20091101)

 男は亡父が生れ育った土地を離れて新たな家を興すべく本拠を置いたこの山間の盆地内の小さな町をこよなく愛している。人口僅か18千人の町である。町の中央に幅が100mほどある石ころだらけの河川敷の中ほどに細い流れがある川があり、何箇所か石積みの堰があるところでは白波を立てて流れている。川の両側にのどかな稲作農地が広がっており、遠くの山々の麓に集落が点在している。川に沿って鉄道が走っており、鉄道に沿って旧道と交差しながら曲がりが少なく幅の広い新道が走っている。

 この盆地の平野部からは見えないが遠くの山々を縫うように高速自動車道が走っており、この新道にアクセスできるように無人のインターチェンジがある。そのインターチェンジに高速バスが立ち寄るので、この町から九州各地へ高速バスを乗り継いで比較的短い時間で行くことができる。勿論バス以外の一般車両も高速道路を利用して目的地の間を簡単に往来することができる。

 この町には人口の割に医療機関が多い。病院、外科・内科・産婦人科・小児科などの専門医院など全部で10余り、その他眼科、歯科などがある。高度な医療を施す必要がある患者は県内外の大学病院や総合病院に紹介される。この町からそれらの病院に行く場合、交通アクセスが非常に良いので便利である。

 この町の高齢者の人口比はすぐ30%を超えるほど高い。このため介護福祉関係の事業所も多い。新道に沿って大型の小売店や園芸専門店や電気店などもある。1300円、家族風呂は1500円程度で利用できるかけ流しの温泉浴場もあちこちにある。

 ある地区では住民たちが共同で温泉を掘りそれぞれ自宅にお湯を引いている。温泉浴場を利用するときはお互い顔見知りでなくても後から入ってくる人は「今日は」などと挨拶をする。挨拶と言えば、これはよい習慣になっていると思うが、通りを歩いているときすれ違う子供たちは大人に「今日は」とよく挨拶をしている。

 この町は田舎の町とはいえ暮らしやすい町である。ただこの町には工場がないため、若い人たちにとって働く所が少ないのが難点である。そのため若い人達は県内の都市部や県外に移住する人が多い。その一方でUターン組も結構いるようである。ある大型の小売店でレジ係をしている女性は「千葉に住んでいましたが戻ってきました」と言っていた。看護師やホームヘルパーなどはこの町の女性たちにとって魅力ある仕事である。

 男は亡父がこの町に家の本拠を置き、南無阿弥陀仏先祖霊と書いてある和紙に包んだ系図を仏壇に収めていた気持ちを思い、今継母が独り住んでいる家はいずれ継母が他界した後は先祖祭祀の施設として必要な補修を行いながら残したいと考えている。ただ普段は無人状態になってしまうので維持管理のことを考えておかなければならない。男には家屋敷の処分や先祖の祭祀のことについて弟妹や息子たちとよく話し合って決めなければならない責任がある。

 男のこのような責任感について、女房はよく理解できないかもしれない。他家に嫁いだ妹は自分が生まれ育った所についてある種の深い思いはあると思うが、男が思っているほど遠い先祖や自分が死んだ後のことまで考えないと思う。息子たちはこの田舎の家に生まれ育ったわけでもないのだが、一般に男性としての共感を持ってくれるだろう。男は亡父の思いを後世まで遺してゆきたいと思っている。