2010年6月9日水曜日

ブッダ『感興のことば』を学ぶ(81) (20100609)


 今日は9時半から1時間半、ヘルパーさんが来る。その間、男は出かけていようと考えた。本来ならば家族が帰っているときは訪問介護を断らなければならないことになっている。家にいてはまずい。

 そこで昨夜友人に電話を入れてどこかで会うことにした。田舎のこと交通の便は甚だ悪い。都会では交通機関が人に合わせてくれるが、田舎では人が交通機関に合わせなければならない。JR九州のサービスメニューで、ここから特急利用の2枚切符のため3600円払えばその2枚切符を往復で使うことができる。ヘルパーさんが来る前に家を出て9時半すぎの特急に乗れば11時前に大分に着く。家から駅までは歩いて20分もかからない。

 ここは盆地である。周囲が山で中央に川が流れている。太古の昔この地は火山噴火の後湖になっていたがその岸辺の一部が決壊し水が流れ出した。水はどっと流れ出たところに向かい川ができた。その川は岩と石ころだらけの川原に山から下ってくる水が流れるだけとなった。その名残が周囲の山々と川の美しい景観を造っている。

 大分駅で竹馬の友SとTが男を待ってくれていた。Sが運転するおんぼろの軽自動車に乗って‘こつこつ庵’という店に行く。Mが待っていて手を振っている。その店は大分県庁の近くにある。なぜ‘こつこつ’なのか店の名前の由来は聞き忘れた。4人はみな同じMという音楽が担当の女性の先生が担任であった。M先生は若くしてこの世を去っている。4人の話題はM先生のこと、同級生の女性のこと、男が10数年前受けた前立腺がんの手術のことなどであった。Tは最近前立腺がんの腫瘍マーカーの値のことが気になっている。

 昼食に皆大分名物の団子汁を食べて別れ、男は1時半の特急列車で家に帰った。いつも思うがこの久大線沿線の風景は美しい。男の父親は師範学校を卒業してこの線路を走る汽車で任地に向かった。その当時の風景と今の風景は余り変わっていないと思う。多少人家や田圃が増えただけでそういう人家や田圃がないところは昔と全く変わらないと思う。列車は汽車からジーゼルカーに変わっただけである。

 朝家を出るとき母がいつもやっているようにダスキンのモップを持って家の中の掃除をしていた。男は母に「よく家を守ってくれているね」と言ったら、母は「お父さんは早く死んだがお父さんのお陰でなにもせず楽な暮らしをさせて貰っている」と涙ぐむ。男はこの家の‘当主’として「お母さんは大変苦労が多かったがよくわが家に尽くしてくれた」と感謝の気持ちを伝えた。

 内閣は新しい顔ぶれで再出発した。男はこの内閣に期待したいと思う。自民党には若さ、新鮮さ、活気がない。物事には二面性あり、普天間の問題はいずれ解決の方向に向かうだろう。

 人それぞれ役割を持ってこの世に生まれてきている。その役割を自ら自覚し、周囲もその人の役割を認めて評価する。かくして人ぞれぞれ自分の人生を生きる意味を知る。

ブッダ「感興のことば」第26章「安らぎ(ニルヴァーナ)」続き;

18 (1)苦しみと(2)苦しみの原因と(3)苦しみの止滅と(4)それに至る道とをさとった人は、一切の悪から離脱する。それが苦しみの集滅であると説かれる。