2009年10月31日土曜日

亡父を懐かしむ(20091031)

 亡父は男の年齢より2歳若い70歳で他界した。男が40代のときであった。亡父は白血病で死んだのであるが死ぬ数日前、男の弟に「N(男のこと)は(育てるのに)失敗した」と言っていたそうである。亡父は男を末は陸軍大将に、弟は海軍大将にと夢をもっていたが日本が戦争に敗れたためその夢は実現しなかった。もっともその夢は日本が戦争に負けていなかったとしても実現は怪しかったと男は思う。

 男の青春時代、男が学生運動か何か社会的な運動で自分の人生を無駄にしてしまうことを亡父は恐れていたという。「Nは放っておくと何をしでかすかわからない」と口癖のように言っていたことを、当時男の家の養女になって後に男と結婚した女房は聞いていた。亡父が当時養女であった女房を男と一緒にさせたのは亡父が男の制御について女房に期待したからであると女房は思っている。亡父は女房にそういうことを言ったらしい。

 その男と女房は、九州の熊本、大分、福岡の県境に近いある田舎の町で独り暮らしをしている91歳の老母、男の亡父の後妻、女房の生母、男にとっては継母を看るため年に45回その町に帰省している。二人はお盆の時期に一度帰り、10月に帰り、何末にまた帰る。今回10月に帰るのは庭の片隅を猫の額ほどの野菜畑や花壇にしているため、今時蒔いても発芽する法連草や金盞花などの種を蒔いておいたり、あれこれ老母の独り暮らしを助けるためである。来月には関西に住む妹たちが帰ってくれる。その妹は男の亡父と今の母の間に生まれた子である。女房はその母と5歳の時以降一緒に暮らしていない。

 男は亡父が昭和31年から33年にかけて、郡内のある小学校の校長をしていた時の写真を見つけた。その中から45枚抜き出して男のファイルに加えることにした。何れも教職員や卒業する子供たちと一緒に写っている写真である。男はコンピュータでこの集合写真の中から亡父の写真だけ切り取って拡大し、今その頃の亡父の齢に近づきつつある男の長男に見せようと思っている。男の長男は容貌が亡父にそっくりである。色黒で精悍で働き者でタバコ好きであることも同じである。男はその長男が幼少の頃のことを思い出している。

 亡父は嫡子であり長男であったから本来家督を継ぐ立場にあった。嫡子・長男である男も当然家督を継いで先祖が代々住んでいた土地に本拠を置く立場になるはずだった。しかし亡父はその父、男の祖父との確執があって家督は末弟に譲り、自らは師範学校を出て以来縁の深い土地に新しい本拠を置いた。その後亡父のその末弟が事業に失敗したため先祖が営々築いてきた土地を手放し、竹藪やちょっとした畑や花壇もあって広かった屋敷と立派な大きな仏壇だけ残った。その屋敷も竹藪が無くなり、その末弟の妻の両親や、その末弟の子供の家、孫の家などが建てられた。男が子供時代過ごした風景は無くなってしまった。

 御霊は音と光と香りを喜ぶと聞く。男は仏壇の前に置かれている台上にろうそくを灯し、線香を炊き、チーンと鐘を叩き、仏壇を見上げて合掌し、亡父に「懐かしく思う」と語りかけた。男は自分もあの世に逝けばその懐かしい父や、また男が10歳の時他界した母や、母を失った男を実の母のように慈しんでくれた祖母、そして祖父や、23歳の若さで子宮外妊娠で他界した妹ら、そのた懐かしい叔父、叔母らに会えると信じている。

 男は長男に男の家に生まれた嫡子として先祖の祭祀を行うことを書面で委ねている。その長男には男子が居ないので、男の家の血筋は二男の子が受け継ぐことになる。そのことについて男はこだわっていない。男は長男を大事にしない家は滅びると思っている。