2013年8月26日月曜日

「意識」と「仏教」(5)――十七人の方々の言葉――

この動画は10分弱の長さである。
戦後「太平洋戦争」と名づけられた「大東亜戦争」は、戦後日本国民が教えられてきたような日本による侵略戦争では決して無かったのである。そのことを次の十七人の方々が口々に語ってくれている。戦後インドネシアに残留した約1000人の元日本兵たちはインドネシアの人たちと共にインドネシア独立の為オランダ軍と戦った。戦死者はインドネシア国軍墓地に祀られ、功績をたたえられ殊勲賞を贈られている。

15番目のククリット・プラモード(タイ国元首相)の話に私はつい涙ぐんでしまった。彼の言葉はこの記事の最後にそのまま掲載している。

私は韓国の朴鉄柱氏の言葉にも感動した。
彼は「現在の日本の自信喪失は敗戦に起因しているがそもそも大東亜戦争は決して日本から仕掛けたものではなかった。平和的外交交渉によって事態を打開しようと最後まで取り組んだ。それまで日本はアジアのホープであり誇り高き民族であった。
日本の武士道は西欧の植民地勢力に捨て身の一撃を与えた。それは大東亜戦争だけでなく日露戦争もそうであった。日露戦争と大東亜戦争。この二つの捨て身の戦争が歴史を転換しアジア諸国民の独立をもたらした。この意義はいくら強調しても強調しすぎることはない。
大東亜戦争で日本は敗れたというが負けたのはむしろイギリスをはじめとする植民地を持った欧米諸国であった。かれらはこの戦争によって植民地をすべて失ったではないか。日本は戦闘に敗れて戦争目的を達成した。日本こそ勝ったのであり、日本の戦争こそ“聖なる戦争”であった。
ある人は敗戦によって日本の国土が破壊されたというがこんなものはすぐに回復できたではないか。
二百数十万の戦死者は確かに帰ってこないが、しかし彼らは英霊として靖国神社や護国神社に永遠に生きて国民尊崇対象となるのである」と語っている。

今日韓関係が非常にぎくしゃくしている。これは韓国政府が自分たちの理想・夢の物語を史実化し自国民に幼少のころから嘘の歴史や地理を教え込んで来た結果である。今韓国では朴鉄柱氏のような方は親日的であるとして、その家族まで非国民扱いを受けるような状況である。これは韓国の将来にとって決して良いことではない。韓国人民の不幸である。

日本政府はこれまでいろいろ韓国に気づかいして来たがその結果は全く変わらず、韓国政府は相変わらず「上から目線」で日本に誤った歴史認識を迫ってきている。最早日本の政府はそれには取り合わず静観の構えである。日本人大多数も同じ気持ちである。

極東国際軍事裁判のパール判事の言葉も戦後卑屈になっていた日本人がようやく国家観に目覚め始めた今の日本を見通したかのようなものであった。パール判事は「満州事変から大東亜戦争に至る真実の歴史をどうか私の判決文を通じて充分研究して頂きたい。日本の子弟がゆがめられた罪悪感を背負って卑屈・退廃に流されてゆくのを私は平然として見過ごすわけには行かない」と語っている。

極東国際軍事裁判弁護士ベン・ブルース・ブレークニーはアメリカ人でありながら公正な意見を述べた。それは「原子爆弾と言う国際法で禁止されている残虐な武器を使用して多数の一般市民を殺した連合国側が捕虜虐待について日本の責任を問う資格があるのか」というものであった。

以下の十七人の言葉を聞いて、私は「大東亜戦争」の大義のため、愛する祖国・愛する父母や妻子や弟妹たちや恋人のため自分の身を投じて戦い、散って逝った2百数10万人の皇軍の兵士たちの「意識=霊魂」を感じ取った。時空を超え「戦死者」の言霊を感じた。仏教と神道が日常生活の中に溶け込んでいる日本人はこの言霊を聴いて戦後の自虐史観から脱しつつある。

これは今を生きる日本全国民必見である。大東亜戦争はアジアの国々を欧米列強の植民地から解放する戦争であった。このことをこの方々が口々に語っている。
1 <マレーシア>ラシャー・タト・ノンチック(元上院議員)
2 ニミッツ元帥(太平洋艦隊司令長官)
3 <イギリス>スリム中将(イギリス第14軍司令官)
4 <韓国>朴鉄柱(韓日文化研究所)
5 ガザリー・シャフェー(マレーシア元外務大臣)
6 タナット・コーマン氏(タイ国元副首相)
7 <インドネシア>モハメッド・ナチール(元首相)
8 <インドネシア>サンパス(元復員軍人省長官)
9 <インドネシア>ブン・トモ(元情報相)
10 サンティン・アムステルダム市長
11 ネール(初代インド首相)
12 <インド>グラバイ・デザイ(インド弁護士会会長)
13 <ビルマ>バー・モウ(元首相)
14 チャンドラ・ボース(デリー・インド国民軍裁判官 主席弁護人)
15 ククリット・プラモード(タイ国元首相)
16 <アメリカ>ベン・ブルース・ブレークニー(東京裁判弁護士)
17 <インド>パール判事(極東国際軍事裁判判事 法学博士)

ククリット・プラモード(タイ国元首相)の言葉は以下のとおりである。
「今日東南アジアの諸国民が米英と対等に話が出来るのはいったい誰のおかげであるのか。
それは自身を殺して仁をなした日本というお母さんがあったためである。28日はわれわれに重大な決意を示してくれた。日本のおかげでアジア諸国はすべて独立した。
日本というお母さんは難産して母体を損なったが生まれた子供はすくすく育っている。
128日はお母さんが一身を賭して重大決意をされた日である。更に815日は我々の大切なお母さんが病の床に伏した日である。

我々はこの二つの日を忘れてはならない。」

2013年8月24日土曜日

「意識」と「仏教」(4)――『NHKスペシャル「亡き人が現れた・・・」――

 昨夜10時からNHKテレビ1チャンネルで『NHKスペシャル「亡き人が現れた・・・」いま被災地で語られる不思議体験・涙の再会 案内人宮本信子』が放映された。これを視聴して私は死者の「意識」は「存在する」という確信を得た。

公明党は仏教に帰依している方々を支持母体にしていると理解している。そうであれば仏教が教える「霊魂は永遠に六道に輪廻転生する」ことを信じている方々に公明党は支持されている筈である。

昨夜NHKテレビで3.11大震災・巨大津波による死者もしくは死者と関わりがあった物に再会したという不思議な体験のことが報じられていた。それまでどうしても立ち上がれず打ち沈んでいた人たちはその再会を契機に再び人生を前向きに歩くようになったという。心のケアに従事していたある医師はそれを「死者の力」と語った。本来そのような「死者の力」に頼らずとも自らの施術で人々を立ち上がらせるべきところであるのでその医師はその「死者の力」を「敵」と言った。

「こうありたい」「こうあって欲しい」という極めて強い願望は、それが正当なものである限り必ず実現するものである。それはキリスト教の聖書や旧約聖書にも書かれている。

愛する父母・妻子・弟妹たちが暮らしている祖国日本を守ろうと自らの命を捧げて戦い、散って逝った何百万人という兵士たちのことを今を生きる我々は思わなければならない。昨夜のNHKテレビの映像でも明らかなように、「意識」は時空を超えて融通無碍・無辺・時差や場所に無関係かつ複線的である。我々に見えていなくても其処に「死者」の「意識」があって遺された者の「意識」との間で時空を超えてお互い響き合うものである。


この祖国日本の安全と平和と繁栄のため集団的自衛権がなぜ必要なのか、その権利行使の範囲は何なのかを仏教を信じる公明党支持者の方々にも是非考えて頂きたいものである。誰も戦火に巻き込まれることは嫌である。しかし日本を取り巻く隣国はまるで野獣のように日本を貶めようとしているという現実がある。日本は武士道の国である。日本は他に取るべき手段がどうしても見つからない場合は、座して死を待つよりも武器をもって立ち上がり、生き残り、生き延びるようにしなければならないのである。

2013年8月23日金曜日

若き回天特攻隊員の遺書


「私が一番恐れるのはお母さんの涙です」

 これは遺書の一部である。今を生きる日本人は、若くして国を思い、母親を思い、父親を思い、弟妹達を思い散って逝った特攻隊員たちの御霊をしっかりと供養しなければならぬ。

 「意識」は「霊魂」である。これは六道に輪廻転生するものである。「意識」に関わる遺伝子は幾つか見つかっている。これは脳の中の「意識」の「錨」のようなものである。「意識」はその人の全体を包んでいるものである。

 「意識」は時空を超え、融通無碍・無辺・時差や空間を超越して幾条にも同時並行することができるものである。若くして散って逝った特攻隊員たちの御霊の「声」を聴こう。

 戦後間違った精神教育を受けて来た日本人は今こそ目覚めなければならぬ。この時を逸したなら、日本は永久に日本で無くなってしまうことだろう。

 彼ら若き特攻隊員たちの思いに反して日本は実験用の原子爆弾を2発投下され一挙に何十万人という人が死んだ。東京など都市に対する絨毯爆撃で何十万人という人々が火の地獄攻めに遭って死んだ。それでも日本人はアメリカを恨んでいない。

 戦争の悲惨さはよく分かる。しかし国費で各学校に漫画『はだしのゲン』の購入・配布を成功させた日教組は表向き「平和愛好・反戦」を訴えているが、その実は日本を亡国の道へと誘っている。作者が実体験もしていない日本軍兵士による「斬首」「刺殺」等の場面を何故子供たちに見せようとするのか! この漫画の作者自身も戦後間違った精神教育を受けてきたに違いない。




2013年8月17日土曜日

「意識」と「仏教」(3)――「無記」の領域に踏み込む――

見えるはずがないものが見えたり(幻視)、聞こえるはずがないものが聞こえたり(幻聴)、‘金縛り’状態になっていたりするなどの奇妙な現象を正常な状態にある人はどう捉えるだろうか?ある人はそれは心霊現象であると大真面目に言うことだろう。医科学者はそれは1時間以上の仮眠を取ったり23時以降就寝したり、いやなことや心配事があったり、不規則な生活をしたりしたとき起きるという。幻視・幻聴な超常現象は麻酔薬などの化学物質を服用し続けたときでも起きるだろう。ある医学者は ‘金縛り’現象は‘睡眠麻痺’と呼ばれるものであって、‘レム睡眠’と‘ノンレム睡眠’の順番が崩れ‘ノンレム睡眠’に入ろうとするときに突然‘レム睡眠’状態が起きるときこの‘睡眠麻痺’が起きると説明している。

 ‘ノンレム睡眠時’では脳も体も休んだ状態にある。これは約90分間続く。一方‘レム睡眠’時には体は休んだ状態にあるが脳は比較的活動状態にある。この時間は短い。このとき人はストーリー性のある夢を見るという。健康な人は夜就寝後この‘ノンレム睡眠時’とレム睡眠’を5回繰り返しながら明け方に目が覚める。

 人は太陽が西に沈んで夜の帳が降りるのを見、22時頃就寝し、朝太陽が東に昇り辺りが明るくなりかけたころ鶏の鳴き声を聞いて起床し、一日の活動を始めるというような自然な暮らし方ができるならば幸せと感じることだろう。古代ではそれができていた。現代では人は不規則な暮らし方をせざるを得ない。古代人であろうと現代人であろうとその人の「意識」はその人の脳とは無関係ではない。医科学者たちは「意識」というものは私たちの脳の中で作られていると考えている。しかし私は「意識」というものは脳の働きに関わりを持ちながら実は脳の中と脳の外の全体で作られるものであると考えている。私は「意識」というものはその人の全体を包んでいるが私たちには見えない‘あるもの’であると考える。この‘あるもの’を仮に文字Xとすると、私はXは私たちの脳の中に錨を降ろしていて私の身体に纏わりついていると考えている。


しかし「仏教」では‘X’が私たちの脳との関わりの中で私たちの身体の外に「存在する」とか「存在しない」とか言ってあれこれ議論することを「無記」としてこれを禁じている。一方で仏教では「①人格の主体として業(ごう)を保持している霊魂は過去世・現世・来世の三世を通じて存在する」「②この霊魂は不生不滅ではなく輪廻の主体として業(ごう)や経験に従って常に変化しつつ連続する」と説いている。私はこの霊魂を「意識」に置き換えて哲学的思索を続けている。私の「意識」は私が死んだら消えて無くなってしまうものだろうか?仏教では霊魂(=意識)は三世にわたって輪廻転生すると説いている。私は仏教が禁じる「無記」の領域に入っていろいろ考えてみたいと思う。

2013年8月16日金曜日

「意識」と「仏教」(2)――国立追悼施設の建設には大反対である!――

仏教では「①人格の主体として業(ごう)を保持している霊魂は過去世・現世・来世の三世を通じて存在する」「②この霊魂は不生不滅ではなく輪廻の主体として業(ごう)や経験に従って常に変化しつつ連続する」と説いている。しかし人々が「それはきっと存在しているに違いない」として恐れているかもしれないような常住の実体としての霊魂について、仏教ではこれを説かない。それは似非宗教・新興宗教が説いているものである。

大東亜戦争で命を捧げ・あるいは命を奪われた方々の御霊、すなわち「①国のため自らの命を捧げ戦場に散った方々の御霊」、「②戦争の勝者らによる不条理な裁判の結果戦争犯罪人として処刑された方々の御霊」、「③戦時中の暮らしの中で敵国の航空機などによって投下された爆弾等により命を失った方々や戦場で戦闘行為によらず命を落とされた軍属や家族など一般の方々の御霊」はそれぞれ別々に祀られ供養されるべきである。③の施設は日本各所にいくつあっても良い。その祀る対象は特定せず①②が含まれていてもよい。

靖国神社は上記①の方々だけが祀られるべき神社である。上記②の方々のため別個に新たな神社が建立されるべきである。それは当面現行憲法下では国家によらず有志の人々の自発的行為として早急に建立されるべきである。そして戦勝国によって戦争犯罪人として処刑されたが日本国のため功績のあった方々を其処に祀り、その御霊を当面現行憲法下では首相はじめ政府関係者も「私人」としてその神社に参拝するようにすればよい。

日本人は「No More Hiroshima」という言葉に慣らされてしまっている。アメリカ人のように「Remember Pearl Harbor」というような言い方で「Remember Hiroshima」とは言わない。アメリカ人はアラモの砦の戦いが終わって「Remember Alamo」と言い、スペインとの戦争のきっかけとなった戦艦メイン号爆破事件の後「Remember USS Maine」という合言葉を作り、アメリカ人の戦意を高め、自国領土の拡張と権益拡大を図ってきた。

日本人はアメリカと同じやり方をすればよい。「武」を忌み嫌っていては日本の大義のため行使された「武」に従事し死んだ方々の霊魂は救われない。不条理な裁判の結果戦争犯罪人として処刑された方々の御霊を祀る神社は是非建立されるべきである。原爆死没者慰霊碑に刻まれている「過ちは二度と繰り返しません」の言葉は改められるべきである。


「意識」は生きている人々の脳内に錨のように繋がっているが生きている人々の身体全体を覆うようにして存在しているものである。その人が死ねばその「意識」は別の所に行き融通無碍・無辺のものとして存在すべきところに存在する。日本人は戦争で死んだ人の「意識」をその「意識」のまま感じ、その御霊を祀り、追善供養を為すべきである。

2013年8月15日木曜日

8月15日特別投稿

これは、“815日「大東亜戦争」敗戦(降参)の日”に際し、靖国神社に祀られている英霊たちの追善供養を行うものである。

 (添付してあった動画が著作権違反という理由で削除されていたので、平成27年12月12日、次の動画に入れ替え、本文の文章の終わりの部分を削除した。

 普天間基地の辺野古移転に関し、沖縄県知事は米軍基地を沖縄から無くすことを目的に政府と対立している。この動きは、史実を曲げ、武力によって現状変更を試みようとしている中国政府を利するものである。

 先の大戦で沖縄県民は言葉で言い尽くせないほどの苦しみ・悲しい思いをした。しかしその沖縄に米軍を侵攻させないようにするため戦った何千人・何万人という兵士たちも、また軍に従った多くの民間人も死んだ。本土では原子爆弾投下・都市無差別絨毯爆撃により何十万人という人々も命を落とした。

 日本はかつての敵・アメリカの武力なしには平和と安全を保つことはできない。非常に強い平和願望はあるが、「平和」「戦争反対」と唱えるだけでは平和と安全を確保することはできない。

 この動画で特攻隊生き残りの方が語っている。特攻で散って逝った方々は、自分が死んだ後の日本の平和と繁栄と安全を願望していた。

 その方々のことを思い、この日本の平和と安全と繁栄を維持するため、現実的にどうするべきか、日本国民はものごとにとらわれることなく、皆でよく考えなければならないと思う。)




2013年8月9日金曜日

「意識」と「仏教」(1)――「意識」は「霊魂」である――

 仏教では人間の思想は、その人一代で完成できるものではないということを教えている。仏教は「悉有仏性(しつうぶっしょう)」といって、「万物は単なる存在ではなく山川草木もの皆すべて仏のいのちと慈悲の相(すがた)を備えていて、万物は悉(ことごと)く仏性(ぶっしょう)を有する」と説く。「仏性」とは仏のこころ・仏のいのちのことである。この「悉有仏性」という四文字の言葉が生まれるまでには今から約2500年前インドにシャークヤ族の聖者(ムニ)・悟った人(ブッダ)が現れる以前からの哲学の積み重ねがあった。そしてブッダ滅後「ブッダはこう語られた」ということが書かれている膨大な数の経典を中国の仏教学者や高僧たちが一堂に集まって体系づけ・価値づけを行った。その結果仏教の各宗派が生まれたのである。

 仏教では物質と精神とを分けて物事をとらえるようなことはしていない。仏教では生者は必滅・会者は定離・諸行は無常であるから、仏法僧を敬って悉有仏性・縁起の真理が分かるように修行し努力するようにと教えている。ここで「法」とは「聖」・「真」・「善」の規範的理想を意味するものである。また「聖」とは「己を捨てた無我の実践を最高度に発揮すること」を意味するものである。(これは「武士道精神」の根幹をなしていると考えられる。)

仏教では「善因善果・悪因悪果」と教える。しかし「善因」のための「善行」は「聖」なるものでなければならない。従って現世ご利益を願って勝手に自分で「善い」と考える行いは「聖」なる行いではないのである。「聖」なる気持ちで行う慈善行為や「法」を説くことや恐怖・不安を取り除き安堵の心を起こさせる行為や自分の身を投げ出して他の人の生命を救う行為などは「布施」と言われるものである。(特攻隊員たちは日本の国体を守るため、そして自分が亡きあと愛する人たちの幸せを願いつつ自分の身を投げ出して「布施」を行ったのである。)

仏教では「輪廻転生」の連鎖を説く。凡夫にとってそれは「苦」であると説く。この「苦」から脱するには誤った行為や習慣力・素質などが無くならなければならないと説く。誤った行為や習慣は「煩悩」に基づくものである。仏教では人が前世において「煩悩」のため悪い行いや習慣・素質などがあったため今生においてその報いを受け、其処からは抜け出せないということを否定している。仏教ではその人の前世がどうであろうとその人が一生懸命精進・努力し精一杯の「布施」を行うならばその人は輪廻転生の連鎖から抜け出すことができると教えている。(さらに葬式・法要などを主導する僧侶や遺された家族が逝った人の冥福を願って追善供養を行うことにより、死者の霊魂は高みに上がってゆくことができると考えられるのである。)

しかし仏教ではある人が前世において容貌が優れていてもその行いが悪かったならば今生において容貌が醜い人、あるいは前世での行い次第では容貌が優れていても貧乏な人として生まれる。しかしたとえ醜い人であっても今生において仏教で教える真理に従い精進・努力し「布施」を行う人は、今生において幸せを得、来世においては容貌が優れた豊かな人として生まれると説いている。仏教では「輪廻転生」の連鎖から脱するためには仏教で教える真理に従い精進・努力し「布施」を行うことが重要であると説いているのである。(私は、①「供養」というものは「布施」の一つである。②僧侶は死者の「霊魂」に対して「法」を説き、葬儀の参列者にも「法」を説いているのであると思っている。)

仏教では「輪廻」の主体として「霊魂」を認めている。「霊魂」は「無始・無終」でありそれが宿る肉体を離れても永遠に存在し続けると説いている。また殺人・放火・窃盗などの罪を犯した人はその罪の深さに応じて「地獄」「餓鬼」又は「畜生」に生まれて痛苦を受け、あるいは「修羅」に苦しむ。一方「善行」した人はその行いの程度に応じて「天上」か「人間」に生まれることができると説いている。

「意識」は人間にのみ存在するものであるがその「意識」は「霊魂」と言い換えることができる。デカルトが「cogito ergo sum 私は考える、ゆえに私はある」と言って以降現代の自然観においては「物質」と「精神」を分けて考え、「意識」を科学的に解明しようと盛んに研究がなされている。しかしある特定の意識的知覚が脳のどの部位にあるニューロンによって生成されるかという課題については未だ解明されていないのである。

神経科学及び脳神経医学の権威であるインド人のラマチャンドラン博士は“インドで育つと「自己」や「意識」というものに非常に興味を持つようになる”と言い、“「意識」が脳からどう生まれるのか」という問題に科学的な解があるかどうかはわからない。「時間と空間が実は同じものの一部である」と考えたアインシュタインのように、意識を解明するためにはいずれかの時点で世界観を完全に転換する必要がある”と言っている。


最近の研究成果で「記憶」とうものは「脳」の外にあることが分かってきつつあるように、従来の自然科学的観方で「意識」というものを解明することには無理があると私は思っている。私は「意識」というものは人間の寿命が尽きたとき別の新たな胎児又は新生児に宿るものであるという立場で「意識」と「仏教」の関係を研究し、思索を続けてゆきたいと思っている。(続く)

2013年7月22日月曜日

参議院選挙が終わって思う(20130722)

参議院選挙結果今後日本の政治は安定するに違いない。シナ(中国)や韓国は自分たちが日本に脅かされると感じている。それでよい。これまで彼らはあまりにも日本に対して非礼かつ非常識な言動をしてきた。しかしこれからもその言動がますます高じることだろう。

今後数十年の間は徹底的に反日教育を受けた世代の人たちがそれらの諸国の指導的地位に在る。今後日本は明治時代の人たちが経験したような外交・防衛上の危機に直面することだろう。しかし日本はきっとそれを乗り越えることができるに違いない。しかしもし仮に日本がそのように危機を乗り越えることができないような状況になったとしてもそれに対して何を為すことができようか、男は思う。男は自分の子や孫たちのことを心配するだけで何一つ彼らの役に立つようなことはできないのでいると思っている。

男はすでにブログ上では憂国的・愛国的・啓蒙的・啓発的な発言をすることを止めている。男は今後はフェイスブック上でもそのような発言をすることを一切止めることにした。しかし一部の「フェイスブックの友達」に対して個人的にメッセージを送ることはあると思っている。

今後男は余生を「意識」と「仏教」と「科学」の関係について研究と思索のためより多くの時間を割きたいと思っている。そしてその研究と思索のことを記述し記録し保存し、ブログで一般に公開してゆきたいと思っている。


男は自分がたまに心が通い合う友だちと会って酒を酌み交わしながら語り合うことは楽しいと感じるだろうが、社会的諸関係により生じる緊張や諸々の感情の中で自分の貴重な時間を費やすことは馬鹿らしいと思っている。今、男は盛唐の詩人・「詩仙」李白の『山中問答』のような心境にある。男は自分がそういう心境で居られることを大変幸せに思っている。

2013年7月8日月曜日

真実の愛――『八重の桜』――会津藩士の妻女たちの最期に思う(20130708)


  男は今日の明け方つぎのような夢を見た。断片的でありよく覚えていないが、ある場所に皆が集まる夢である。男と男の妻ほか数人の人たちは誰だか定かではないがある誰かが運転する車に乗ってその場所に行った。其処で男の妻は他の人の妻たちとともに何か接待の役をするため其処に向かった。本来その接待役は主催者側の責任ある立場の人たちの妻たちが受け持つものであった。それなのに何故男の妻たちが接待の主役を務めることになったのかその理由は分からない。主催者側で本来接待役をする立場にあった女性たちは皆浮かぬ顔をしていた。その後場面が変わり、どういうわけか男の妻ほか幾人かの女性たちは処刑されるため何処かに向かっていた。先頭に男の妻がいた。男の妻は自分がこれから処刑されるというのに従容として其処に向かっていた。最後尾の二人の女性たちの表情は悲しみの表情をしていた。
 

 男の妻は純粋無垢の気持ちで男に尽くしてきた。自分が処刑される場所に向かっているのにまるで普通の表情である。男は呆然としてその列を見ている。男は目が覚めて思った。これは男の妻が男に深い愛情を示すとともに彼女がかねがね言っているように「私はいつ死んでも良い。長生きしたいとは思わない。これまで誰にも真剣に尽くしてきたので何も思い残すことはない」という心情をそのまま表しているものである。
 

 ここに男の妻が小学校5年生のときの学級の集合写真から切り取った写真がある。その集合写真に小学校5年生のときの男の妻が前列中央に学童服を着て写っている。その写真を見ると男の妻は小学校5年生の時、将来男の妻になることが定められているかのような表情を漂わせている。彼女は男の家のため尽くし、男の家を本来あるべき正しい有り様に変えてくれた。男の家は名門旧家であると伝えられているが其処には何か深い業のようなものがあった。それを男の妻は断ち切ってくれた。それは他のどのような女性も絶対できないものであった。男の妻はそれを行う役目を担って男の家の嫁となったように見える。
 

 昨夜NHK大河ドラマ『八重の桜』を見た。会津の女性たちは会津に侵攻してくる薩長軍主力の新政府軍と戦い散っていった。その中には、会津藩江戸詰勘定役中野平内の長女・中野竹子らにより組織された20名ほどの女性のみの部隊(娘子軍)の一員であったが捕縛され自刃したとも言われる神保修理(諱は長輝)の妻・雪子や会津藩家老西郷頼母の母や妻子らの自刃がある。また会津藩娘子軍の中心的存在であったが被弾し母・こう子の介錯により果てた竹子がいる。竹子は薙刀の名手でありその薙刀には「もののふの猛きこころにくらぶれば 数にも入らぬわが身ながらも」と辞世を記した短冊が結ばれていたという。ウィキペディアによれば彼女たちは頼母が登城後自分たちが足手まといになってはならぬと頼母邸で自刃したという。それぞれ下記のとおり辞世の歌を遺している。

 母 律子(58歳)  「秋霜飛兮金風冷 白雲去兮月輪高」

  妻 千重子(34歳) 「なよ竹の風にまかする身ながらも たわまぬ節はありとこそきけ」

  妹 眉寿子(26歳) 「死にかへり幾度世には生きるとも ますら武雄となりなんものを」

   由布子(23歳) 「武士の道と聞きしをたよりにて 思いたちぬる黄泉の旅かな」

  長女 細布子(16歳) 下の句、 次女 瀑布子(13歳) 上の句

                   「手をとりてともに行なばまよはじよ いざたどらまし死出の山みち」
 

 女性たちは最も価値あると確信するものに自分の命を捧げた。男の妻もそのようにしてきた。だから何も思い残すことはないのである。これ以上の無私・真実の愛は他にあろうか?男も男の妻のためならば従容として死に就くだろう。もしそういう場面に直面したならば・・。

2013年7月4日木曜日

臨死体験の実話に思う(20130704)


 男は自分が一世紀前か何世紀前か分からぬが過去の世の誰かの生まれ変わりだろうと思っている。自分が死ぬと自分の意識は未来に新たに生まれる誰かに宿るのだろうと思っている。男は意識は魂であると考えている。男はホーキング博士がニュートンの生まれ変わりだという話を聞いたことがあった。

 男は意識は時空を超越していて無限であると考えている。意識は融通無碍であり多様の様態のまま同時に進行するものであると考えている。このような意識は生物の中でヒトにしか存在していない。2500年前インドのシャーキャ族のゴータマ・ブッダは、人間には「過去の世」と「今の世(現世)」と「未来の世」の三世があってそれが連続しているというようなことを説いておられる。ブッダは現世の人の有り様はその人の過去世の行いの善悪次第であり、現世の人の行いの善悪次第によって来世の有り様が定まるというようなことを説いておられる。一方でブッダは現世の人の行いはその人の前世(=過去世)の業に左右されるものではないとも説いておられる。またさらにブッダは人の「過去世」や「来世」が存在するとか存在しないとかいうようなことを議論してはならないとも説いておられる。

 男は自分の身近な人が死の3日前に、その人がいわゆる幻覚・幻視をしたのだろうと思えるようなえも言われぬような非常に美しい光景のことを語ったことを記録した。それは彼の妻が彼から直接聞いて驚き彼に何度も「馬鹿なことは言わないで」と言ったという光景である。彼はその光景のことを彼の妻に話したあと「わしは25日に死ぬ、25日に死ななければ26日か27日には死ぬ」と言った。彼は26日の朝4時「のどが渇いた」と言った。彼の家族は彼に冷えたお茶を与えた。彼は冷えたお茶を沢山飲んだ。そして数時間後息を引き取った。彼は死ぬ4日前に男に「わしは為すべきことは全部為した、もう思い残すことは何もない」と言っていた。その時は彼の起居動作も左程困難そうには見えず元気そうに見えた。

 彼が見た光景というのは赤色系の大きな光のかたまりと白色の光のかたまりであった。彼は「お宮の方に赤い大きな日と白い日が見える。そりゃァとても美しい日だぞ、綺麗だぞ」と彼の妻に言った。彼はそのような光景を見た翌日の24日の午後、「お宮の方に菊の花が一杯広がっていてそれが等間隔に並んでいてわしの所で一本だけになった」と言った。「お宮」というのは彼が深く関わった地区の小さな神社のことである。その神社は彼の家から50メートルほど離れたところにある。彼の妻が「そんな馬鹿なことは言わないで」と言ったら、彼はいつものとおり元気な声で「実際に見たのだから仕方がないではないか」と言ったという。このような臨死体験の話はよく聞く。ある医者は「それは死の恐怖から逃れるため人間の脳に組み込まれ自己防御機能である」と説明する。しかしそれが科学的に証明されているわけでない。

 男は人の意識はその人が死んだ後も存在し、新たにこの世に生を受ける人の中に入ると信じている。その新たにこの世に生を受ける人はその人の身内とは限らない。男はその意識が宿る先はその人の生前の意識次第であると思っている。生前自分の意識を高みに近づけるように努力した人は、その意識をより高みに近づけることが可能な資質を持っている人の肉体に宿る。その逆に生前自分の意識を高みに近づけるような努力をしなかった人は、その意識をより高みに近づけるように一層の努力をしけかればならないような資質・形質を持っている人の肉体に宿る。その「来世」の人が「前世」のとき交通した人と意識の世界で交通するときはその意識のレベルは「前世」の人と交通しているときと同じようなレベルである。一方でその「来世」の人を供養し、回向している「現世」の身近な人や僧侶のお蔭や、その「来世」の人の精進努力次第で、その人はその「来世」において意識を高みに近づけるようになる。つまり「来世」にいるその人の意識は時空を超越し、融通無碍であり、多様の様態のまま「現世」と「来世」の間で同時進行しているのである。男はそのように考え意識というものは輪廻転生するものであると信じている。

 彼は6月26日朝死んだ。その日は正に男の父親の命日であった。男は自分の家・A家と彼の家・Y家のそれぞれの先祖は深い関係にあり、多分Y家はA家が先祖の時代の時のように再び興隆するように支援してくれているのだと思っている。男をこれまで支えてくれて、よい子孫を遺してくれている男の女房はY家から来ている。男は何か深い因縁を感じている。

 仏教は人間の正しい生き方を教えている。仏教に帰依し、死んだ人のため供養し、回向する人は「現世」において幸せであると同時に「来世」においても更に幸せになることが出来るのである。このようにして人間は生まれて一生を終えて死んでゆくことをくり返しながら今日まで営々として良い社会を作って来たのである。先祖を敬い、死者の供養をし、回向することは非常に大事なことである。日本人は靖国神社に祀られている英霊たちを供養し、回向しなければならない。そうすることが日本国の繁栄・平和・安全のため極めて重要である。

2013年6月11日火曜日


社会的諸関係を極力絶つ(20130611)


 ブログを毎日書かなくなり、フェイスブックのページも開かず、国のことを憂えることもない日が続いている。76歳になったので社会的諸関係はできるだけ断ち切るようにしている。例えば「創立何十周年○○会」とか「○○会」とかいったお付き合いも自分本位に考え、寸志を送るだけで義理を欠いている。そうすると「ああしなければならない・こうしなければならない」といった何かに追われているような気持ちもなく、かといって「これから何をしようか・どのようにして時間をつぶそうか」というようなこともない。それでいて結構忙しく充実した日々を送っている。李白の『山中問答』のような境地である。


人はこの様子を見て「悠々自適な暮らしぶりですね」という。ある60歳代の近所の女性は私に「何歳ですか?」と尋ねる。「76になりました」と答えると「へーッ、本当ですか?随分若く見えますね」と驚き、「元気なのだから働いて貰わなくっちゃ」と言う。その人のご主人は何処かに勤めていてその人自身もパートで働いている。

郵便受け中に近くの地区センターで人材募集のちらしが入っていた。パソコンができてコミュニティ関係の仕事ができてパートタイムで働くことができる人を求めている。条件はそれだけで年齢の制限はない。もし自分が上述のように毎日何も為すことなくぶらぶらしている人ならばパソコンも若い人以上にこなせるし適任であるので早速申し込んでみるところであるが、そのようにしてまで貴重な自分の時間を費やそうとは全く思わない。


もし自分がこのような新興都会地の住民ではなく地縁・血縁が入り組む古い地域社会の住民であったらそんなことは言っておれないだろう。自分の齢にもなると何かと役を押し付けられ、それなりの金も出させられ、義理人情のお付き合いもさせられるだろう。幸いこの地域は昔からこの地域に暮らしてきた人たちが、ある意味で閉鎖的なコミュニティを形成していて集合住宅に住む新参者をそれとなく排斥する雰囲気がある。こちらは町内会費をきちんと払い、町内会の会合には委任状を出しておけば何も文句は言われない。この小さな集合住宅の管理組合は組合員が実質24名で、毎年3人づつ交替で役員を務めている。

管理組合は法律に基づく組織であるが実質自治会も兼ね役員交代時には町内会の役員宅に挨拶にゆき、市や県の広報などの配布先を変更して貰うだけである。市や県から広報配布の費用の一部が町内会には分配されているがこちらは入居者全戸分の広報誌をまとめて受け、輪番で理事長になった役員がそれを分け、各戸の郵便受けに投入するだけである。


毎年行われる社会福祉大会では地域社会で活動した団体や個人が表彰されている。せめてそういった表彰でもない限り、地域社会で何か役を引き受けた人は報われない。もっとも自ら好んでそのような役を引き受ける人がいるから地域社会は成り立つのである。この集合住宅に26年間住んで来たgが幸いそういう役を引き受けるような機会はなかった。あるNPOの理事長をしていた時は社会福祉協議会の評議員になったことがあった。それは自動的にそういう役目になっていた。これは社会福祉協議会という組織活動を維持するため必要なことであった。社会的諸関係に関わらない限り表彰も叙勲もない。それで十分。

2013年5月4日土曜日


合氣道佐久道場「永遠の‘いのち’」(20130504

 男は朝8時半に私の家を出て11時半には長野県にある新幹線佐久平の駅に降り立っている。新幹線の中で「ご自由にお持ち帰りください」と書かれている雑誌『トランヴェール』に目が止まった。「特集 感性に響く縄文の旅」という記事が48ページある紙面の半分を占めている。縄文時代は今から約15千年前から2950年前まで続いた。縄文土器は世界最古の土器でありそれがこの日本列島で発展したという。そのころ生きた人々の暮らしの様子を考古学的に復元したものが新潟県歴史博物館に展示されている。

 男はその写真を見て想像した。今を生きる自分はその頃生きた人々の遺伝子を間違いなく受け継いでいる。もし縄文時代の人々が自分の家から佐久平まで旅するとしたらどのくらいの時間がかかるだろうか?今を生きる自分が私の子孫の為少しでもよいものを遺そうとしているように、何万年という遠い昔から人々はその一代を生きている間僅かでも文化・文明を発展させ、次の代に受け継がせたのである。男の遠い先祖たちは代々そのようにしてきたから今を生きる男は自分の家から僅か3時間半で佐久平に着くことができたのである。
 
 男が佐久平にやってきたのは合氣道佐久道場創設20周年記念行事に参加する為である。この記事は佐久市にある一萬里ホテルの部屋で書いている。今日は午後佐久市総合体育館に隣接している武道館で合氣道の記念演武会が行われた。合氣道佐久道場では毎年5月の連休期間中「国際合氣道研修会」が行われていて世界中から遠藤征四郎師範の弟子たちが沢山集まって来る。今年は20周年記念ということで外国人合氣道愛好者の数が特に多く、16か国120人を超える外国人合氣道愛好の男女が集まった。

 20年前男はこの道場の建設に深く関わった。その頃男も外国人合氣道愛好者たちと一緒に数日間その道場で寝泊まりし合氣道の稽古に汗を流していたものである。夜は道場内に作られている台所兼居間で外国人合氣道愛好者たちと車座になりお互い酒を酌み交わしながら歓談したものである。夜も更けて皆三々五々と去り広い道場内一杯に敷きつめられている布団の上に雑魚寝した。男の右隣はドイツ人で左隣はフィンランド人といった具合であった。佐久平の駅からタクシーで道場まで行く道すがらタクシーのドライバーと会話した。彼は「毎年この時期になると外国の方が非常に多いです。昨日はトルコから来た方を道場まで送りました」という。

 今日の記念演武会でも遠藤征四郎師範を慕う外国人指導者たちの演武があった。合氣道は文字どおり「気を合わせる」武道である。合氣道開祖植芝盛平翁は「合氣道は愛の道であり和の実現である」という理念を弟子たちに教え込まれた。遠藤征四郎師範はその開祖が80歳代のときの弟子である。合氣道は試合がない武道であるが力任せにやると必ず怪我をする。遠藤師範の演武をみているとその動きは全く自然で「宇宙と一体となった」ような融通無碍の動きである。ヨーロッパ系の大の男も遠藤師範の手にかかるとまるで魔法にかかったようにねじ伏せられたり投げ飛ばされたりする。どう逆らっても負けてしまう。それが合氣道である。

 この日本列島に住みついた縄文人は今から2950年前以前長江の河口から直接または北上して遼東半島と朝鮮半島南部を経由してこの日本列島に稲作文化をもって渡来して来た人々(渡来系弥生人)と混血した。それが古墳時代人である。その子孫、つまり日本人が「合氣道」という武道を開いた。そしてその弟子たちが合氣道を日本中は元より世界中に広める活動を続けている。聖徳太子の「和を以て尊しと為す」の精神が受け継がれている。

 一萬里ホテル4階大広間は「人類は皆兄弟」「世界は一家」のような雰囲気であった。120名余りの主としてヨーロッパ系の人々もローマ字で書かれた『花の合気道』という歌を声高らかに合掌した。最後の締めの三々十拍子「・・・ ・・・ ・・・ ・」も日本人と全く変わらないぴったり合った拍子の取り方で行われた。下記URL『COSMOS』で合気道佐久道場の活動の様子を知ることができる。


 20年前道場建設に関わったOld Boys が千曲川の「あゆ」の解禁の時期に再会することを約束した。男はそのOld Boysの最年長者である。日本人の平均寿命で見れば男はプラスマイナス5年ほどで「この世」と別れる。男がそう言うと彼の仲間たちは「まだまだ」と言う。誰も未来のことは分からない。人々は皆そのように思いながら日々を送っている。縄文人たちは土器や黒曜石の矢じりなどを今の世に伝えたが、今の我々は文字や写真や映像などで「合氣道佐久道場」の様子を記録し保存する媒体を後世に残すことができる。

 未来の世において「男」である自分は今の自分の子孫であるかもしれないし、今の自分の子孫ではないかもしれないが、その媒体により「合氣道佐久道場」という建物と運営組織があったことを知ることになるだろう。かくして「いのち」は連綿として永遠に続いている。「この世」だけが「いのち」ではないのである。「いのち」は縄文時代の昔から今なお「生き続けて」いるのである。
 

2013年4月10日水曜日


「道」(20130410

 「生者必滅会者定離」。生きている者は必ず死ぬ。会うことは別れの始まりである。人生は定まりなく時の流れに身を委ねるしかない。

合気道という武道がある。大相撲を見ていて思ったことがある。白鵬の相撲を見ていると「これは合気道だ!」と思うことがしばしばある。白鵬は強い相手の力を一瞬のうちに利用して勝っているように思う。勿論そのような動きが無意識に出来るようになるまでには相当な修練が必要であろう。頭で理解して「会得」していても体が無意識のうちに動くようになっていなければ決して「体得」したことにならない。白鵬は意識しなくても相手の力の向く方に自分の力を向けて相手を制しているように見える。白鵬は敵対する相手の力の向く方向、つまり相手の「気」の流れに逆らわず、その方向に自分の力の向きを合わせている。それも無意識のうちに行なっている。これは白鵬が意識していなくても自然に合気道の技を「体得」しているからであろう。白鵬は広大なモンゴルの平原に生まれ育っているから、幼少のころから宇宙と一体になるような感覚が自然に身に付いているに違いない。そのような生来の特質をもって相撲道に励んだからあのような大横綱になることができたのであろう。

仏道・剣道・柔道・華道・茶道など日本古来の「道」の修行においては何よりも「精神」が大事である。武士道も同じである。日本人はその「精神」を取り戻さなければならない。

「道」ということにおいては「人生道」も同じである。その「人生道」において「精神」は何であるか?それは「合気」のように大宇宙の時間の流れに逆らわず、自分が大宇宙に漂っているとても大きな船に乗っているような気持をもって、一日を一生のように思ってその一生を懸命に生きることではないだろうか?

自分の人生をそのように考えると冒頭の「生者必滅会者定離」の意味を深く理解できるのではないだろうか?現に生きている自分がある日突然死ぬことになったとき、その死を恐れおののくのか、或いは従容自若として頬笑んで死を受け容れるのか、それはその人の「人生道」の修行の仕方如何によるのだと思う。また趣味の会などで深い縁ができた仲間たちと別れるとき後ろ髪を引かれるような気持になったとしても、「会うは別れの始まりである」という人生の真実に思いを致して「また何処かでお会いしましょう」と言って別れることができるだろう。「生者必滅」「会者定離」「一日一生」「一期一会」などそれぞれ四字の短い句の中に「人生道」の「精神」が凝縮してこめられている。

それにしても漢字・ひらがな・カタカナ・ローマ字の「文字」を自由自在に駆使し、天皇を頂き、「道」の「精神」を知る日本国民は何と幸せな国民であることよ!